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■1■画像クリックで現地解説板へ
1928年2月7日国指定史跡(記念物)指定の高さ5mに及ぶ日本最大の板碑
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■2■画像クリックで部分拡大
阿仁和直家が延文2年(1357)秋山新九郎に敗れて討死を遂げたのち、十三回忌にあたる応安2年(1369)に奥方の芳野御前(妙円尼)らに造立されその菩提を弔ったことなどが板碑自体に刻まれてた文言から推定されています。
この板碑は明治25年に現在の国道140号線となる県道が新設されたために現在の場所に移転されたとのことです。
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南西側の西光寺の白壁漆喰の堂宇が良く目立ったので立寄ったのがそもそもの間違いで、この寺が目に入らなければ北側のカタクリの自生地の方から回りこむ予定でした。とはいうものの、別にこの無住のお寺に責任があるわけでもなく全ては自分の判断誤りに尽きます。
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■4■画像クリックで拡大
この辺りの斜面の角度は40度近くあり、このため掴まるものがないと横への動きが厳しい状態です。この岩塊も多分緑泥片岩で、右側の斜面を斜めに登りながら岩の上へと上がりました。そこから先も岩の上は掴まるものもなく足元も不安定で...またもこの間の藪漕ぎは筆舌に尽くしがたくとても写真などを撮影している余裕は...(^^;
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やれやれやっと人心地。板碑の原材料の原産地周辺だけにがあちこちにこのような破片が散らばっていました。中央の緑泥片岩は近世の民間信仰の石碑のようですが、他の普通の緑泥片岩の破片と混ざっていました。
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写真の右端の低い山が天神山城のようです。
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御嶽山、三笠山、八海山の大神を祀った近世以来流行していた民間山岳信仰の石碑。
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本郭の南側の腰郭の露出している岩塊で、これも恐らくは板碑の原料となる緑泥片岩かと思います。下の帯郭状の平坦地よりも2mほど高くなっていました。
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一番南側の帯郭のような腰郭にはNHKの電波増幅装置が設置されていました。
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本郭南側の腰郭との間に存在している堀切ですが、現在では本郭側で2m、腰郭側では1m程の高さしかありません。
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本郭の南側の腰郭状の100uほどの平場。
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本郭から南側の方向にやや低くなって続いている細長い地形で、二の郭というにはやや規模の小さな腰郭状の平場。
東西方向に幅約10m、南北方向に長さ約15m、面積にして150uほどの規模があります。
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■13■画像クリックで拡大
本郭の東屋の脇に設置されている城跡の解説板。意外にもこういうものと遭遇するととても嬉しくなります。
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本郭の東側の岩塊の後ろ側は小さな腰郭のようなスペースが見受けられましたが、地形がオーバーハングしていることと足元が相当に不安定の模様なので接近を断念。
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東屋が設置されている250平方メートルぐらいの広さを有する本郭。ここで呑んだペットボトルのお茶が実に美味くてお握りが欲しいところですが、非常用の食料しか携帯していないので残念でした。
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■16■画像クリックで拡大
本郭の北側の掘切部分は南側の備えに比べて遥かに規模が大きく、このような岩が露出して堀切の東側部分はそのまま谷底へ切れ落ちていました。
ここで落ちると数十メートルほどは落下しそうですのでまず無事ではすまないかと...尤も本郭側で堀切の高さは現状で3m以上ありますが、その反対側は50センチ程度しかありませんでした。このため見方によっては竪堀のようにも見えなくもありません。
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本郭北側の堀切を過ぎるとこの細長い痩せ尾根にでますが、両側は切り立った斜面となっていてこの尾根筋の東西方向から登攀することは極めて困難です。下山の途中で右手の東側の谷から相当冷たい風が吹き上がってきました。
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下山路はこのような痩せ尾根をぐんぐんと下っていきましたので、本当にあっという間に「19」「20」の地点に到達してしまいました。
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「20」の峠の右手斜面にこういう登山口の標識が丁寧に立てられていました。この峠部分から登ればどう考えても僅か20分程度の道程(休息含めても)なのでありました。
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■20■この峠が登山口の目印
尾根筋の道は標高220m地点との現代の堀切である切通となった人工的な峠部分には、下山路ということもあり山頂から僅か10分も要せずに到達してしまったのであります。
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■21■画像クリックで拡大
今年は多分全体として柿の当たり年かも知れません。仕事先の柿の木も200個以上の実がなりましたし、10月下旬頃にはあちこちで鈴生り状態の柿の木をよく見かけたものです。朝晩の低温、日中の乾燥した北風と暖かい日差しがより甘い干し柿を生み出すという見本のような光景です。(下山路の途中の民家の2階の軒に吊り下げられていましたのを失礼して撮影)
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■22■この場所から登ってください
本来の順路は県営長瀞団地(コンクリートの集合住宅)の先にあるこの写真幅3mほどの道を右折します。集落の中の細い道を進んでいくと仲山城への標識が集落の道が分岐する要所要所に丁寧に数ヶ所ほど設置されています。道は直ぐに坂道となり5、6分ほど標高を上げていくと「20」の仲山城の本格的な山道の入口となる峠部分に到達します。
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