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■1■登口
琴平大神社の麓の鳥居のある右手の道から徒歩で登っていきます。なおこの右手の奥に所在する駐車場は神社や岩井堂の参詣者用として設置されていてざっと10台近くは駐車可能なようです。ただし、春先の季節を迎えて温かくなってくると札所めぐりの観光客が増えると思われますので土日祝日は満車の可能性もあるかもしれません。
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■2■石灯籠と地蔵
岩井堂の谷沿いの道の左右には所々に古い石仏などが所在し単調な登坂もさほど苦にはなりませんでした。
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■3■どこまで続く石段
岩井堂への谷筋の道はすぐにこのような石段の坂道となります。年配の札所の参詣者に配慮して真ん中には頑丈なステンレス製の手摺が設置されていました。なお石段の数は途中に踊場のような平坦地があるもののざっと320段以上はあるという話です。上りはともかくとして、下りの時は大分お世話になりました。
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■4■尾根上の分岐
さて、石段をやっとの思いで登りきるとこの稜線にでます。左へ進めば岩井堂・長者屋敷(根岸城)、右へと進めば札所27番竜河山大淵寺となり、駐車場からの距離でいえばだいだい城跡までの中間地点に相当します。
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■5■秩父札所26番 万松山円融寺岩井堂 画像クリックで拡大
秩父市下影森348番地(秩父市指定史跡)
岩壁の途中に建てられているために京都の清水寺のように谷側に向ってせり出すような構造となっています。後ろの東側には枝越しには飯盛山につづく堂々とした武甲山の姿も見えて宗教的信仰には余り縁がないものの自然と敬虔な心持にさせてくれます。 肝心の城跡への道は以前は岩井堂の脇を通り抜けて尾根筋へと続いていたようですが、岩塊の崩落の危険があるとのことで現在は岩井堂の手前を左に折れてから岩井堂の頭上の尾根筋へと登っていきます。
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■6■
岩井堂の裏側の大きな岩山の途中には禅僧が修行したと伝えられる斜面に突き出した岩塊やブロンズ製の観音像などが所在します。そこから少し進むとこの秩父修験道の堂宇に到達します。ハイキングコースを兼ねる城跡への山道はこの堂宇の中を通過し、幾分揺れ動く軽量鉄骨製の階段を利用して一度比高差にして20m近く下ります。
この階段がないと岩山を越えるのはかなりの困難が伴うようで、まさに修験道の世界かと。
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■7■痩せ尾根上の「岩」
特に謂れや由緒のあるものではなさそうでしたが、腰掛けて小休止するのに丁度良い窪みがありましたのでこれ幸いと一休み。岩井堂の尾根筋から先は多少のアップダウンを繰り返しながらこうした痩せ尾根上を進んでいきます。
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■8■城跡に到着 画像クリックで拡大
岩井堂から20分足らずで城跡の下部に到着。城跡の手前の尾根筋は樹木の枝が多いので遠くからでは城跡の形状を望むことが難しいようです。なお、右側が南の郭で左側が本郭。この堀切もしくは竪堀状と思われる坂を登ってとりあえず南の郭へと向いました。
最近でこそ、こうした地形について何とか山城の跡として認識できるようになりましたが、2年前までだったらおそらくただの尾根筋上の鞍部としてしか見えなかったかも知れません。
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■9■南の郭
北側の堀切部分以外は写真の通り急斜面であるため土塁などの痕跡は見当たりませんでした。幅5m、長さ10mほどの小さな郭です。
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■10■通称飯盛山 標高945m 画像クリックで拡大
武甲山から西側に派生する尾根筋に所在する特徴的な形をした山ですが、地形的な関係からかこの部分を残してその向こう側も左側の部分も石灰岩の採掘が進行しています。南の郭から眺望できる頭上に被さってくるような錯覚さえ覚える印象的な景観です。稜線を目を凝らして見てみると採掘が全山に及んでいるのがよく分かります。
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■11■主郭
ハイキングコースの解説板は所在するものの「城跡」の説明が全く無いのが寂しくもあり不思議な感じがします。確かに「石垣や天守閣」はありませんが、複数の郭や堀切などがしっかりと遺されている戦国時代の頃のものと推定されている山城なのですけれど。主郭上の中ほどにはハイキングコースの休憩施設として東屋が建てられていますが、城跡自体が大きく改変されている印象はそれほどありませんでした。
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■12■主郭と二の郭を分ける堀切 画像クリックで拡大
現状では主郭側で高さ2m、二の郭側で1.5mほどの深さがありました。なお、堀切られた土がそれぞれの郭の先端部分に土塁のように積まれている形跡も明確に残されています。当時に比べて堀切の深さや鋭さが減じているとは思うもの、果たしてこれぐらいの規模の堀切が現実問題としてどの程度実戦において役立ったのかどうかということについては些か疑問が残ります。
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■13■二の郭
主郭の半分くらいの広さで幅8m、長さ15mほどの広さです。
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■14■腰郭
二の郭から北西の尾根筋に所在する人が3人もいれば満員となるような複数の小さな腰郭です。
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■15■三の郭
煮の郭より2.5mほど下位の北側に所在し二の郭の腰郭ともいえなくも無い5m四方程度の小規模なものですが、下の「16」の堀切がこの北側に続いています。
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■16■北側の堀切
左の三の郭側で深さ2.5m、右の物見台風の細長い郭側で1m弱の深さが確認できます。
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■17■物見郭
「16」り堀切の北側に続く幅5m長さ20mほどの細長い形状の物見台のような郭で堀切以外の三方の斜面に切落とされたような形跡が感じられます。
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■18■武甲山山頂 画像クリックで拡大
山頂そのものでさえ石灰岩の採掘で削り取られてしまいましたが、秩父地方のその象徴的存在は不変のようです。冬の枯枝越しに眺めると採掘跡の痛々しさが幾分和らぐようにも見えたのですが...
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