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■1■武甲山 標高1304m(かつては1336m)
金仙寺の墓地からは南東の方向約4.5キロメートルに所在しています。しかし北側と西側の大部分がセメント原材料となる石灰岩の採掘がすすみ、現在御岳神社の所在する山頂は削られて低くなりました。特に東部東上線の沿線や秩父盆地側から眺めると、かつての山容を記憶しているだけにその変容ぶりには驚かされます。
40年以上前には北側の山麓にある羊山公園まで石灰岩の岩尾根伝いに下ってこれたことを思い出します。北側の石灰岩の間のチチブイワザクラを始めとした高山植物群(国指定天然記念物)はどうなってしまったのでしょうか。画像クリックで拡大
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■2■東側土塁 画像クリックで拡大
高さ2mから2.5m以上の個所も見える堂々とした土塁が遺されています。
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■3■東側空堀
空堀の幅は上面で8mほどの規模ですが、長年の堆積した落ち葉などで大分浅くなっているように思えました。
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■4■郭内
間口は100m以上ありますが奥行きは最大でも50m前後で、全体が三角形の形状なので意外に狭いという印象でした。
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■5■出枡土塁
東側から撮影したもので、空堀も出枡に沿ってしっかりと遺されています。
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■6■東側小口
郭内から撮影したもので、このすぐ右側が出枡土塁に続いています。
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■7■出枡土塁の内部 画像クリックで拡大
肉眼では見事な出枡土塁なのですが、画像にするとただの平地林のようにしか見えなかったりします。大きさは歩測によると内側部分で幅35m、奥行き8mほどでした。
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■8■西側小口
郭内から撮影したもので、地形が全体としてやや右側の荒川方向に傾いています。
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■9■眼下を流れる荒川
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■10■郭内西側
郭内の西側はやや西側に傾斜してそのままストンと荒川の比高差約40m断崖に向かって落ち込んでいます。ここでも通常人が入らないであろう事を前提にしているようで、何の防護柵どころか危険を知らせるものもなく全て自己責任ということで。もちろん足を滑らせればそのまま...
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■11■堀切 画像クリックで拡大
空堀で堀切った西側の先端は、そのまま高さ40メートルの断崖に続いていますので、この撮影場所もある程度崖の先端部分から少し距離を置いてはいますが、それほど安全というわけではけっしてなく...
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■12■西側の小口
西側は東側の郭部分よりも一段低く形成されていますが、金仙寺境内の西側の人工的な印象の斜面(写真手前の部分)形成とどのようなつながりがあったのでしょうかか。排水施設がこの空堀に一部存在していることと何か関係しているのかもしれませんが。
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■13■出枡土塁 画像クリックで拡大
南側から撮影したもの。
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■14■出枡土塁 画像クリックで拡大
「5」の写真と同じ角度で接近して東側から撮影したもの。
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■15■東側土塁 画像クリックで拡大
最も高い部分は3m弱の高さを有している個所も遺されていました。
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■16■枝垂れ桜 画像クリックで金仙寺の解説へ
1935年3月31日指定の埼玉県指定天然記念物である金仙寺の枝垂桜。推定樹齢600年といわれています。
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■17■金仙寺城遠望 その1 画像クリックで拡大
撮影ポイントを探しつつ移動しながら撮影したもので左の川原は荒川。
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■18■金仙寺城遠望 その2 画像クリックで拡大
この荒川の段丘を利用した秩父地方の城館は諏訪城を始めとして永田城、宮崎城、寺尾城など数多くの中小規模の遺構が存在しています。また、秩父盆地からはやや外れますがその代表格の最大規模のものが鉢形城となります。
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