城館跡の目次 トップ頁へ戻る サイトの趣旨 城館跡の目次 HP雑記帳
参考資料等 リンク集
PAGEの先頭 PAGEの最後 管理人へメール 工事中

アクセスありがとうございます。     素人の趣味ですので不備や間違いなどが相当あると思います。     もしお気づきの点がございましたらご教示ください。  
関連ページへのリンク  2006/05/29のブログ 菖蒲陣屋 内藤氏陣屋 鳩井氏館 菖蒲城 加納城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象3 総合22
所在地
埼玉県南埼玉郡菖蒲町下栢間
歴史と沿革

萱間氏の館跡とはいうものの
 「埼玉の中世城館跡」などによると萱間氏館と記されているものの、菖蒲町の町史である「菖蒲町の歴史と文化財」などの書籍には館跡としての記述は特にありません。従って誠に遺憾ながら口碑或は幸福寺の寺伝によるものかどうかなどについては不勉強のため萱間氏の館跡とする証左を明らかにすることができません。
 なお、「菖蒲町の歴史と文化財 通史編」では、鳩井氏が14世紀の終り頃に栢間氏本拠である沼尻の地(鳩井氏館)を継承し居住したとの説を提示しています。しかし、沼尻のあたりでは余りにも水害に対して無防備であることから、少なくとも当所はこの台地周辺に本拠を置いたものと考慮すべきではないかと思われます。

萱間氏について
 また、栢間氏(萱間)は武蔵七党の野与党に属し「野与党系図」によれば野与小太郎行基の三男にあたるとされる弘光が栢間の地に居城し栢間氏を称したと考えられています。この萱間氏については、「吾妻鏡」によれば暦仁元年(1238)の将軍藤原頼経の入洛に栢間左近将監(季直--弘光の3代後)が供奉していることが記されています。また建仁2年(1250)の閑院殿造営負担に栢間左衛門入道の名が記され、仁治2年(1241)にも武蔵野新田開拓の奉行として栢間左衛門尉の名が記されています。(「鎌倉年代記」「吾妻鏡」)
 このほかには正嘉2年(1258)、文応元年(1260)、弘長3年(1263)の弓始の儀の射手に栢間左衛門次郎(季忠)の名が、文永2年(1265)、文永3年(1266)の弓始の儀には栢間左衛門次郎(行泰)の名を見ることができます。(「吾妻鏡」より) 

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■標高の低い菖蒲町の地にあっては元荒川左岸の大宮台地の最も標高が高いと思われる地域に所在するとともに、その半ば独立した感のある丘陵と近くの水田面との比高差は目測によると最大で5m以上を測るようです。

文化財指定
訪城年月日
2006/05/29
訪城の記録

( 2006/05/29 )
平坦な菖蒲町としては例外のような地形
 曹洞宗幸福寺の南側の高台付近が館跡と推定され、元荒川北岸の河岸段丘上に位置し、今回の菖蒲町地域の訪城の中で唯一台地に所在しています。従って元荒川の氾濫などによる水害の懸念も少なかったことが窺がわれます。水害対策などの土木技術がそれほど普及していなかった中世の当時においては在地領主が自己の居館を構えるには格好の地形であり、また周囲が平坦な地形が続いていることから元荒川対岸の様子も含めて手に取るように眺望することができます。歴史の古い幸福寺の山門付近では周囲との比高は目測によればおよそ5mを測ることができます。
 しかし、その山門付近の自然地形の高まりを除いて残念ながら館跡に直接繋がりのありそうな遺構は確認できませんでした。なお、最近寺院の防犯センサーが作動するトラブルが連続したこともあり、失礼とは思いつつも本堂の遥か遠方から参拝。

記念撮影
曹洞宗幸福寺

 曹洞宗光明山幸福寺山門。延徳元年(1489)に天台宗から改宗したと伝わります。(「新編武蔵風土記稿」栢間村の幸福寺の由来より)
 台地の最高地点付近には18世紀末から19世紀前半頃の建立と思われる重厚な印象の山門が閑静な周囲の景色に見事に融合していました。

( 2006/05/29 撮影 曇り )
訪城アルバム
■1■曹洞宗光明山幸福寺の本堂 
 南側の山門から本堂までは延長80mほどの緩やかな下り坂となっていますが、山門よりも本堂が遥かに低位置にあるというこうした形態の境内配置は今までに余り目にしたことがありません。
■2■参道
 延長100mを超える参道の途中に記念撮影の「山門」が所在しています。写真「1」の北側の本堂側から山門方向を撮影したもので、緩やかな上り坂となっています。館跡は現在の地形から見る限り、概ね正面に見える山門を中心とした範囲に所在していたであろうことが想定されるのですがこれも全く推測の域を出ません。
交通案内

・内藤氏陣屋跡の南東約300mの曹洞宗幸福寺周辺。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類記述の状況
■新編武蔵風土記稿
 萱間氏に関する記述と幸福寺に関する記述があるものの館跡に関する記述はありません。
■武蔵志
 同上。

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編1古代」(1987/埼玉県)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 資料編7中世3記録1」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「菖蒲町の歴史と文化財 通史編」(2006/菖蒲町教育委員会)
「菖蒲町の歴史と文化財 資料編」(2006/菖蒲町教育委員会)
「菖蒲町の歴史ガイド」(1986/菖蒲町教育委員会)
「蓮田市史 古代・中世資料編」(1999/蓮田市)
「蓮田市史 通史編1」(2002/蓮田市) 

・2006/06/27 HPアップ

PAGEの先頭 PAGEの最後 ご感想はこちらへ 工事中