市町村別の城館跡の目次 トップ頁へ戻る サイトの趣旨 城館跡の目次 「ほっつきブログ」へリンク
参考資料等 リンク集
PAGEの先頭 PAGEの最後 管理人へメール 「城館遺構まがい」を集めたPAGEへリンク

アクセスお礼申し上げます。  素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。  お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。  
関連ページへのリンク  2007/03/04のブログ 中城 腰越城 安戸城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合22
所在地
埼玉県比企郡小川町大字大塚字中城
歴史、人物、伝承

上田氏関連の遺構である可能性も
 近年の「八幡台7次および10次の発掘調査」の成果により、中城南方に位置するこの八幡台南端において2ヶ所の堀跡状遺構が検出されました。その出土した焼物と天文6年(1537)と記された紀年名を有する板碑や遺物などからは中城自体の規模は南北方向に約200m以上の規模であったという可能性も示されています。したがって中城と一体となる遺構であるとすれば、武州松山城主上田氏との関連についても想定されることとなります。

確認可能な遺構
地表上には無
地理的特徴

中城と一体の遺構と推定
 一帯は八幡台と呼ばれる小高い台地を形成し、その南東先端部分に所在。平地部分との15m前後を有する比高差により、西側の台地続き部分を除いて大塚、小川、増尾、青山地区方面などの周辺部の見通しがよく利きます。なお、鎌倉街道上道からは南西に3kmほど離れた位置に所在し、北に甲川、南に槻側を擁する地理的関係にあります。西側には官の倉丘陵が続いているため低山ハイキングコースで有名な官ノ倉山の下山ルートにもあたります。また国道254線の旧道が北側300m、県道11号線の秩父往還が南側200mを走っています。 

文化財指定
訪城年月日
2007/03/04
訪城の記録 記念撮影

( 2007/03/04 )
 幅約5mの空堀跡が発掘により検出
 宅地開発に伴う発掘により、堀幅約5メートル・深さ約2mの規模を有する連続すると考えられる2ヶ所のL型の空堀跡の所在が確認された地点で、その立地条件や遺物の近似性からおそらくは「中城」と遺構と関連があるとも考えられています。これらの遺構が「中城」と不可分一体のものであるとすれば「中城」の規模は南北方向に200mを超える現在の2倍以上の規模となることが推定されますが、堀跡がL字型の90度の角度で曲折していること堀底の形状の違い−北側の堀跡は現状から見る限り薬研堀の形状に近く、一方こちらは箱堀に近いこと−から役割や性格の違いも想定されます。しかし何れにせよ現在のテニスコートを中心とした遺構とともに空堀で囲まれた郭群のひとつを構成していたと考えられます。またさらに憶測を働かせるとすれば、西側部分も西側約200mの白山神社、あるいは更に200m以上西側の南東側に開いた谷の所在する増尾地区の境辺りまでの丘陵を占有していた可能性もあるやも知れずと言いたいところですが、現在の地形から堀切などが刻まれた様子を窺い知ることはできません。

中城の南に隣接した八幡台遺跡 クリックで拡大します
第10次発掘調査地点付近から古寺砦方面を遠望
画像クリックで拡大
( 2007/03/04 撮影 )
訪城アルバム
第7次八幡台遺跡 画像クリックで拡大します
第10次八幡台遺跡 画像クリックで拡大します
凸1 第7次調査個所付近
 黄色の線が推定を含むおおよその堀跡の位置に相当するはずですが、弟7次分の方は宅地開発が完了しておりました。なお、第7次発掘調査報告書では板碑、五輪塔などが出土した事実から宗教的性格の施設であるという可能性も示唆しています。しかし、このように眺望にすぐれた居住性良好な個所であることを考えると些か疑問の余地もあるような印象でした。
凸2 ヒメオドリコソウ
 第10次発掘調査地点の西側付近の野原に咲いておりました。当該発掘調査に関する堀跡が検出されたのは、おおむね左側画像の右手前付近の模様です。
交通案内

・小川町立図書館から西側の台地を登りつめた付近
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述
■新編武蔵風土記稿
 比企郡増尾村の古城蹟の項に「村の小名中條にあり、四方二町(約218m)ばかりの地にて、から堀の蹟所々に残り、また櫓の跡なりとて小高き所あり、その辺今は杉の林なりたれど、城蹟のさま疑ふべくもあらず..」と記されているようにその遺構としての記述から見た限り、編纂当時においてはすでに地表上の遺構としては消滅していた模様です。
■武蔵志
 増尾村の項に「古城 山上にあり、猿尾太郎種直住之という」との簡潔な記述が記されています。

凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)・)
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)・「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「小川町の歴史 通史編上巻・下巻」(小川町/2003編集発行)
「小川町の歴史 資料編2古代・中世1」(小川町/1999編集発行)
「小川町の歴史 資料編1考古」(小川町/1999編集発行)
「小川町の文化財」(小川町教育委員会/2001年編集発行)
「町内遺跡発掘調査報告書7」(2001/小川町教育委員会)
「シンポジウム埼玉の戦国時代 検証 比企の城」(2005/埼玉県立歴史資料館) 

・2007/07/18 HPアップ

PAGEの先頭 PAGEの最後 管理人へメール 工事中