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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/12/29の日記 2004/09/20の日記 2004/09/23の日記
 中城 安戸城 山田館 青山城
おすすめ評価
訪城季節4 遺構状態9 探し易さ4 交通利便4 体力消耗3 歴史経緯4 印象5 総合33
所在地
埼玉県比企郡小川町大字腰越字木落・根古屋
歴史と沿革

山田伊賀守の居城
 文政11年(1828年)に江戸幕府の地理局により編纂された「新編武蔵風土記稿」によれば「西の方山丘の上にあり、広さ五段ばかりの地にして構堀のあと残れり」とあり、松山城の上田案独斎朝直の家臣山田伊賀守直定の居城であるとされています。
 なお、直定は永禄5年(1562年)越後の長尾景虎(上杉謙信)の第1次関東出兵の際、寄居町の赤浜原で長尾方の岩附城主太田資正の軍勢との合戦で道祖土図書助(比企郡川島町の土豪)に討たれています。(「道祖土文書」より)
 また、地元では「城山」「根古屋城」ともいわれています。なお、「武蔵国郡村誌」(明治初期の県撰の村誌)に腰越村の古跡の記述として「東西三丁南北二丁五間村の西方笠山の頂上にあり.......」というくだりがありますが、これは伝聞記述による誤記であると思われます。

確認できる遺構
本郭、二の郭、西の郭、腰郭、帯郭、囮小口、土塁、横堀、土塁、堀切、竪堀
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■低山ハイキングコースで首都圏では有名な標高344mの官の倉山から南側に派生した尾根筋の先端部分であり、槻川が南へ大きく蛇行した個所にあります。本郭の標高は216mであり、比高140m程度と思われます。比較的小規模ですが、本郭までの道筋が複雑に工夫され、横堀土塁、堀切、竪堀などの保存整備状態がすばらしい連郭式の山城です。

参考資料

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「小川町の歴史 通史編上巻」(小川町/2003編集発行)
「小川町の歴史 資料編2古代・中世1」(小川町/1999編集発行)
「小川町の歴史 資料編1考古」(小川町/1999編集発行)
「小川町の文化財」(小川町教育委員会/2001年編集発行)   

文化財指定
1992/03/11 県指定史跡に指定
訪城年月日
2004/09/20、09/23、2005/12/29
訪城の記録

( 2005/12/29 )
冬枯れの腰越城
 腰越城の所在している県道11号線は家内の実家の前の道路なので、必然的に何度も腰越城の麓を行き来しているのですが、あまりにも機会がありすぎるためになかなか写真に収めることができませんでした。そうこうする間にすでに一年以上の年月が経過してしまい、また以前の画像が初秋の9月中旬のものであったため東秩父村の安戸城に行く道筋なので、ともかく遠景だけでも撮影しようとした写真が下の写真です。

( 2004/09/20 )
腰越城―初めての本格的な山城
 場所は分かっていたのですが、準地元でありながら登山口を探すのに少し時間をとられました。その理由は腰越城入り口の看板が県道沿いにあるのですが、すぐ近くに金融機関(埼玉県信用金庫)の看板があって目立たなかったという訳です。(^^)
 やっと上り口を探し一路城跡を目指したのですが、すぐそこに見える割にはなかなかの登りです。全体として順路の表示も新設で各所に簡単な説明版も多く、完全な山城ですが下草もよく刈られていて本郭から西側の眺望もよく、ちょっとした快適なハイキングコースです。全体として腰郭、帯郭、2の郭、横堀、竪堀、堀切などの遺構も大変に良い状態で保存されていました。竪堀や堀切の保存状態に限れば寧ろ杉山城よりも良いくらいではないかと思いました。
 本郭へはぐるっと本郭の下を一周して行くようになっており、思ったよりも非常に複雑な縄張りです。順路の標識がないと初めての場合には確実に道に迷いそうな感じです。石灰岩の採掘の関係で南側の一部が削り取られているとのことですが、十分に山城の面白さを堪能しました。
 帰路に近くの「中城」によっていこうと思ったのですが、時間があまりなくて探せませんでした........お彼岸の墓参りのついでだったもので(^^)

( 2004/09/23 )
2度目でも疲れる...
 2度目の訪城ですがやはり上りはきつく登りにおよそ20分、下りに15分、城跡の見学にざっと30分といった時間配分ですが、天気がよければ弁当と飲み物を持参して山頂の本郭で昼飯を食べると非常に満足できる城跡めぐりになりますこと請け合いです。小川町周辺には、このほか青山城、高見城、中城、高谷砦、安戸城(東秩父村)などがありますが、ここから徒歩でもう1か所行くとするならば平城ですけど小川町の駅の近くの「中城」をお勧めします。(2005/12/30 HP改定に伴い文面を一部訂正) 

記念撮影




 県道11号線沿いに所在するのでいくらでも撮影する機会があるのですが、そのうちになどと先延ばししているうちに一年以上が経過してしまいました。今回腰越城のHP改定に伴い撮影したものですが、南側からは県道沿いの電線が障害物となるため撮影が難しく結局この東側の定位置からの撮影となってしまいました。県道からはやや見づらいのですが、左側の城跡の看板が腰越城への登山口の目印です。

( 2005/12/29 撮影 晴れ )
訪城アルバム
注記の無いものは全て2004/09/20撮影です。
画像クリックで拡大します
■1■(2004/09/23撮影)画像クリックで拡大
 腰越城を県道(秩父往還)から撮影したもので、山頂の平坦で疎林になっているところが本郭の辺りのようです。
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■2■画像クリックで拡大
 秩父往還の別名のある県道11号線沿いの矢岸の歩行者専用橋の手前200mのところに入り口の標識が立っています。しかし、徒歩ならば問題ないが幼馴染が勤めているはずの某金融機関の看板の方が目立ってしまうので、車の場合には行過ぎてしまう可能性があるかも知れません。自分の場合がそうでした...家内の実家から僅か1.2kmの近さであるにも拘らず(^^;;
■3■
 榎戸または一の木戸と呼ばれている場所で、平成3年に想定復元された木戸とその説明標識ですが、平成9年に再建された標識の方が根元が腐って後ろの杉の木に寄りかかっていました。でも、それはそれとして非常にいい雰囲気になってきます。
■4■
 このような鬱蒼とした杉木立の中をひたすら上って行きます。そういうわけで、花粉症の方は春先の花粉が飛散する時は自重した方がよさそうです。
■5■
 このあたりから丸太の階段が続きますが、のぼりの時はこれがなかなか長く感じます。逆にくだりの時には膝ががくがくしますけど........小規模ですけれども山城ですから当然の話ですが........(^^)
■6■
 やっと峠部分が見えてきた........とても標高僅か200m程度の山とは思えない深山幽谷の風情(^^)
■7■
 左側が本郭への順路、右は根古屋および東秩父村の安戸方面への道で、明らかに堀切になっているのが分かる。腰越城のすぐ下には城下の集落を意味する根古屋という地名も残されている。夏場は踏み跡を探すのが難しそうですが、梅沢氏の著書「中世北武蔵の城」によれば以前には南側からの登山道もあったらしくそちらが大手口とすれば、こちらは本郭の北側の搦め手口ということになると思います。
■8■
 堀切はこの場所に東西に向けて掘り切られ、ほぼ南北に二本が平行している。その間に位置するこの小郭状の遺構は堀切から高いところで約2m程度の高さを有します。本郭はこの画面のすぐ左側ですが、順路は本郭を時計の針の方向に半周以上回り込むことなります。
 比高は先ほどの堀切のあたりからだと約20メートルの高さで途中で2段になっているため、最終的には約8メートル程度の高さなので無理すれば直接上れなくもないかと。しかし、明らかに遺構の破壊につながるので自重して順路のとおりにぐるっと迂回しました。斜面をよく見るとやはり無理して上った心無いハイカーもいるようで、少し斜面が崩れていました。
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■9■画像クリックで拡大
 本郭の真下にある案内板で、全体として本当にこまめに設置されていて大変助かります。この案内板の配置図にあるとおり先ほどの登山道は本郭の北側の堀切の峠部分に出るようになっている。堀切はもう一本南側のこの案内板のところにもあります。
■10■
 先ほどの案内板の設置されている堀切。左が本郭右側が2枚前の小郭?状の遺構です。
■11■
 順路はこのようにあえて下り坂となり、本郭から離れていくような気持ちにさせる、よく考えられた配置です。この道を右に曲がらずに直進して道なりに右に曲がると少し下ったあたりに横堀がある...ああ、ややこしい説明になってきた...
■12■
 下り坂の分かれ道を右折れるとこのような分岐に出ます。左側が本来は袋地になっている構造の二の郭と横堀の中間にある腰郭への道で、右側が二の郭を通り本郭へ至る道。
■13■
 左の道を進むとこの50u足らずの半月形の腰郭。背後の頭上が2の郭、5メートルほどすぐ下に横堀が見える位置にある。体重移動に伴う摩擦係数と歩幅のバランスが乱れ、この腰郭に下る場所でコケた......(^^;
■14■
 腰郭を右に進むとこの帯郭に出る。このルートは竪堀の上部に無理やり作ったような道で、本来の道には無かったもようですので、ルートや場所を確認するうえでやや混乱することとなります。自宅に戻って写真の整理を始めたところ、撮影してきた案内図などと異なるもので、少なくとも自分は分からなくなりました。ま、便利には違いないのですが........このため、別の用もあったので9月23日に再訪城することとなりました(^^;
■15■
 さらに右へ進むと、この囮小口に。築城時はもっと上りにくく柵なども施されていたはずで、これを突破することは非常に難しかったと考えられます。現在は1メートルぐらいの段差しかないので簡単な上がれてしまいますが工夫された非常に巧妙な縄張りです。
■16■(2004/09/23撮影)
 左側が2の郭に向かう小口右側が西の郭(3の郭)となる部分の堀切。
■17■(2004/09/23撮影)
 西の郭(3の郭)はおよそ10m×40m程度の平坦な場所です。
■18■(2004/09/23撮影)
 西の郭の南側の高さ1メートル程度の土塁。この先の奥にもちょっとしたピークがありますが、城跡かどうかは不明で踏み跡はそこでとまっていました。南西側は石灰岩の採掘のため山がひとつ分ほど削り取られ、かなりの断崖となっているのであまりは端までは行かない方がよさそうです。
■19■(2004/09/23撮影)
 西の郭の北側の腰郭状の少し開けた場所で手前右側に竪掘が見えます。
■20■
 ここを先に進むと西の郭へ行くことができます。
■21■
 2の郭は幅は50mぐらいありますが、奥行きは15mも無い横長の地形です。
■22■
 本郭に上がる前の腰郭。
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■23■画像クリックで拡大
 ここが本郭への小口...本郭はなかなか遠い。
■24■本郭
 本郭には設置運搬費用含みで100万円以上もかかりそうな大変立派な石碑が設置されています。これほどのものでなくともよさそうな気もいたしますが、西側の石碑の後ろに高さ60〜80cm程度の土塁がしっかりと残されています。
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■25■画像クリックで拡大
 また、このような丁寧な説明版も複数配置されています。同じお金をかけるのなら説明版や案内板の方がうれしい(^^)。
■26■
 本郭の広さは幅10メートル長さ30m程度の小規模なものではありますが、此処にたどり着くまでの縄張りの分かりにくさにはつくづく感心します。
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 腰越城の詳しい説明版。それほど広いとは思えない本郭に、本当にこれでもかというぐらいに配置されている。
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■28■画像クリックで拡大
 本郭より東秩父村の安戸方面を望む。有名な城郭サイトのトップページの写真は此処で撮影されたらしい。下に見える道は新しく建設されたバイパスですが、集落の中を通る古い道が別にあり寄居の鉢形城方面(正面の低い山の向こう側の右手あたり)に続いています。また、外秩父や奥武蔵の山並みを越えれば秩父方面に出ます。
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 二の郭から見た本郭。岩山の体をなしているのが分かります。
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 二の郭の真下辺りにある横堀と土塁。右側が帯郭方面。この縄張りを見る限りはこちら側、つまり南側の槻川に面した方が大手口と考えた方が自然なようにも思えます。
■31■
 先ほどの横堀土塁のところを右側(西側)に進んだあたりで、小規模ながらもこのように折がつけられまっすぐには進めないし、先が見えません。
■32■
 このような規模の大きい竪堀も切られていて、竪堀に関しては杉山城よりもよく保存整備されていると思います。
■33■
 ふもとの畑まで下りてきたら、もう汗だくで........今日も30度を越えたようです。
■34■(2004/09/23撮影)
 県道沿いの上り口あたりから見た腰越城。民家のすぐ後ろに見えるのがそれ。
■35■(2004/09/23撮影)
 本郭北側の堀切への登攀道から本郭を見上げる。三角形の山頂が中央部分やや上の木立の間にかすかに見えます。
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■36■(2004/09/23撮影)画像クリックで拡大
 腰越城の遠景。
 東へ1キロほど離れたあたりから腰越城を見る。雲に隠れているのが奥武蔵最北端の標高837メートルの笠山。田んぼの稲はすでに刈り取りが終わっていた。人様の収穫物でもこういう光景を見ると、食料の確保が実現されているという安心感があります。
交通案内

・小川町の駅から県道11号線小川秩父線(秩父往還)をひたすら西進し道の左側に見える「町立総合福祉センターパトリアおがわ」(ここに車を停めて歩くという手も)の先の「バス停木落」を目指します。
矢岸の歩行者専用橋まで行ったら行き過ぎで、入り口の道幅は1メートルぐらいのものなので見落としやすく、バスの本数は少ないのであまり当てにはできません。
MapFan Web の案内図です  

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