( 2006/01/15 )
凸減量しなくては
北側の天神砦よりもさらに登りがいはありそうで、逆光のため見づらかったのですが眺望は余りなさそうなようすでした。そのうちに必ず比高差140メートルの山頂を目指さねばとはおもうものの、正月太りの体重の減量を実行しなくては。せめて何とか80sぐらいまで絞り込まないと、登坂で息が切れてどうにもなりません。
現在秩父困民党の「秩父事件」に関係する文献を少し調べ始めていますが、旧吉田町、旧小鹿野町、秩父市などとともに、この地域も比較的関連が深いと指摘されている土地柄のようです。僅か120年ほど以前におこった10日間足らずの国家権力に対する民衆蜂起ですが、ことによると中世城館跡との意外な接点が見出せないものかと思ったりしています。
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高松城の採掘現場は日曜日のため休業のようで誰一人としていませんでしたので、こうしてゆっくりと周辺の城砦の遠景などを撮影することができました。
もっともわざわざ日曜日に出かけたのも、幾分そういった魂胆を含んでの訪城には違いなかったようにも思います。
( 2006/01/15 撮影 晴れ )
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■1■旗塚または鳩塚とも
高松城や天神砦から城峰方面は北西部の尾根筋に視界をさえぎられて殆ど眺望することはできません。「皆野町史 通史編」によると、この標高338mの旗塚の山頂からならば見通すことができると記されています。樹木の生育の関係で眺望が余りよくなさそうな印象が強いのですが、いずれ早いうちに確認しなくては...「城跡ほっつき歩き」ではなく、「城跡よたよた歩き」とならないうちに。
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・皆野町下日野沢所在の「満願の湯」などの入浴施設の南東にある円錐形の小山
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)、「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)
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