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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/01/15の日記 高松城 浦山城 設楽氏館 阿左美氏館 天神砦
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗3 歴史経緯2 印象3 総合21
所在地
埼玉県秩父郡皆野町下日野沢字富平
歴史と沿革

高松城の物見か
 「皆野町史 通史編」によれば、永禄年間のはじめに後北条氏の前線として高松城が金鑚御嶽城に備えるようになってから日野沢川対岸の独立峰に物見、狼煙のための砦を取り立てたとしています。この記述は文献や記録によるものではなく、高松城との関連、伝承やその立地条件などから推定したものと思われます。

確認できる遺構
不明
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■高松城の南約600m、天神砦の南西約400mほどの地点で、「皆野町史 通史編」によれば城峰・金沢城山へ続く上野筋の道のある日野沢川の右岸に所在し、旧児玉町の杉の峠経由の御嶽筋も監視できる立地条件であるとされています。また、山頂には約直径10mほどの削平した平坦地が所在するとのことですが堀や土塁の痕跡は確認できないとされています。

文化財指定
訪城年月日
2006/01/15
訪城の記録

( 2006/01/15 )
減量しなくては
 北側の天神砦よりもさらに登りがいはありそうで、逆光のため見づらかったのですが眺望は余りなさそうなようすでした。そのうちに必ず比高差140メートルの山頂を目指さねばとはおもうものの、正月太りの体重の減量を実行しなくては。せめて何とか80sぐらいまで絞り込まないと、登坂で息が切れてどうにもなりません。
 現在秩父困民党の「秩父事件」に関係する文献を少し調べ始めていますが、旧吉田町、旧小鹿野町、秩父市などとともに、この地域も比較的関連が深いと指摘されている土地柄のようです。僅か120年ほど以前におこった10日間足らずの国家権力に対する民衆蜂起ですが、ことによると中世城館跡との意外な接点が見出せないものかと思ったりしています。

記念撮影

 高松城の採掘現場は日曜日のため休業のようで誰一人としていませんでしたので、こうしてゆっくりと周辺の城砦の遠景などを撮影することができました。
 もっともわざわざ日曜日に出かけたのも、幾分そういった魂胆を含んでの訪城には違いなかったようにも思います。

( 2006/01/15 撮影 晴れ )
訪城アルバム
画像クリックで拡大します
■1■旗塚または鳩塚とも
 高松城や天神砦から城峰方面は北西部の尾根筋に視界をさえぎられて殆ど眺望することはできません。「皆野町史 通史編」によると、この標高338mの旗塚の山頂からならば見通すことができると記されています。樹木の生育の関係で眺望が余りよくなさそうな印象が強いのですが、いずれ早いうちに確認しなくては...「城跡ほっつき歩き」ではなく、「城跡よたよた歩き」とならないうちに。
交通案内

・皆野町下日野沢所在の「満願の湯」などの入浴施設の南東にある円錐形の小山
いつもガイド の案内図です 地図 

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)、「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町) 

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