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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/01/09の日記 浦山城
おすすめ評価
訪城季節5 遺構状態7 探し易さ5 交通利便3 体力消耗4 歴史経緯2 印象3 総合29
所在地
埼玉県秩父郡下日野沢上の平1278、1279
歴史と沿革

後北条氏の家臣阿左美氏の館跡
 この館跡の石垣などについては、「新編武蔵風土記稿」下日野沢村の阿左美氏に関する記述によれば17世紀の末元禄7年(1694)に普請された旨が記されていますので、現在目にすることのできる遺構の大部分はあくまでも江戸時代初期のもののようです。
 「武州文書」などによれば、阿左美氏は北条氏邦の家臣として永禄12年(1569)の武田氏の秩父侵攻に当り朝見伊勢守玄光が防備を固めたことに対する北条氏邦の感状が残され、その子伊賀守慶延は上杉氏に対する備えとして横瀬の根古屋城の守りを固め氏邦から加増の沙汰を受けています。また、「鉢形北条家臣分限録」には先手衆として浅見右馬助が105貫文(標準的な軍役の計算だと15人から20人の兵力の動員力と推定)を知行されていることが記されています。なお、後北条氏の滅亡後には伊賀守の息子朝見左馬助がこの日野沢の地に帰農土着して郷士として日野沢村の里正(名主)を代々務めたとされています。

確認できる遺構
石垣
構造的特徴と
周辺の地理等

■麓の集落から比高差にして50m程の南側斜面中腹に所在し、一見すると城郭の構えのようにさえ見える大規模な石垣により大きく分けて三ヶ所ほどの平坦地が築かれています。

文化財指定
1984年4月1日 皆野町指定史跡
訪城年月日
2006/01/09
訪城の記録

( 2006/01/09 )
斜面の中腹に忽然と現れる石垣の館
 日野沢左岸の暖かな南側斜面に所在する見事な石垣の館跡。地図で見る限りは500mほどの僅かな距離かと思い、麓に車を停めて徒歩で登ったところ意外と比高差が。正月太りの運動不足で90キロの大台に達していたこともあり、息が切れて二度ほど小休止をしてやっと町の指定文化財となっている石垣にやっとのことでご対面。
 後で、よく調べてみると麓の道路からは比高差で50mほど。この九十九折の急な道はここにお住まいの二軒お宅の事実上の専用道路の模様で、車道ができる以前は徒歩で毎日上り下りされていたかと思うと日常的には大変なご苦労があったのではないかと推察。足腰と心肺機能の鍛錬に繋がるとは思われるものの、これを日常的に上り下りするなどということはとても自分には不向きかと。

記念撮影

 枯れ草に覆われて少し見づらい感じでしたが、このあたりの最も高い部分で4m近くの見事な石垣が積まれていました。「新編武蔵風土記稿」下日野沢村の阿左美氏に関する記述によれば元禄7年に普請された旨が記されています。またその後においても当然のことながら経年変化により幾度となく部分的な補修が行われていると考えられますが、戦国時代の在地領主の系譜に繋がるとされる郷士の館跡は堂々とした威容が感じられます。
              ( 2006/01/09 撮影 晴れ )

訪城アルバム
■1■九十九折の坂道
 こうした山村にお住まいの方々の距離と時間の感覚とあわせてその足腰の強さを思い知ったのは、この場所から10kmほど北にある下久保ダムでのこと。もう40年以上も以前の中学生の時分のことで、まだ下久保ダムが工事中の城峰山からの帰り道だったと記憶。多分現在は湖底に沈んでいるような谷合の場所で、地元のお年寄りに児玉駅へ向うバス停の場所を尋ねたとき、「そこの道を登ればすぐそこ」とのこと。ところが、いざ登り始めたもののなかなか到着せず、ハアハアいいながら30分近く費やしてやっとのことで十国峠からの県道のバス停に到着。これ以来田舎の方、とりわけ山間部での「すぐそこ」は、最低30分はかかるものだという認識に改められました。
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■2■
 西側のお宅の石垣の下の平坦部分にはよく見ると石畳の跡も遺されていました。
■3■
 この館跡の立地は南側の斜面に面しているものの決して緩やかな斜面ではなく、2戸のみの集落までのこの道路は九十九折となって上っていきます。この写真から斜面の角度が判断できると思いますが、多少防備としての意味合いもあるとも思われましたが、同時にこうした石垣の普請により居住部分としての平坦地を作り出しているようにも思われました。
交通案内

・日野沢川沿いの県道284号線日野バス停西側の坂道を右手へ10分ほど上る
MapFan Web の案内図です  

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)、「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)、
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)、「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)、
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)、「秩父の文化財」(1990/秩父郡市文化財保護協会)
「後北条氏と領国経営」(佐脇栄智 著 1997/吉川弘文館) 

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