( 2006/04/24)
凸土塁消滅、空堀跡未確認、花粉症も悪化
2006年6月からの駐車違反取締りに対応すべく、北本団地の近くのローソンに駐車。然るべく「トロピカルりんご何とか」というジュースとチーズあられ各1点ずつを購入。ローソンからは僅か400mほどの距離なので、徒歩にて北本団地東側の館跡が所在しているはずの平地林に赴くことに。
さて、館跡と思われる場所の西側にはコンクリートで囲まれた江川支流の如何にも水質の良くなさそうな水路が南流。館跡の所在する場所は宅地開発から取り残されたような平地林の一角。また比較的最近に砂利敷き駐車場が開設されたため、遺構の一部を含む微高地の丘陵の一部が削り取られている模様。
さて、肝心の館跡とされるあたりは大半が柵で囲まれていることと全体的に雑木林、笹薮、雑草などが生茂り、地表の形状を観察することが事実上困難な状況。このため持参した資料を基にしてコの字型の空堀や土塁があるとされる個所を何度か確認してみたものの、残念ながらそうした遺構を現在の地表の状況からは見出せず。なお、残念ながら土塁跡は後に資料などから判断して東側の宅地開発された場所に含まれている模様であることを確認。
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都市部では往々にして見られる事例ですが、館跡とされる平地林の中は遺構の確認ができないことに加えて、不法投棄された多種多様のゴミがやたらに目立ち、加えて風邪と花粉症の症状が悪化し始めて1ヶ所目からがくんとテンションが低下の一途を辿ることに。
いずれにしても季節柄かなり雑草が伸び始めていることとあわせて、この笹薮と潅木の状況では地表の観察はかなり難しく、地表の確認は厳冬期以外にはまず困難な模様かと。
( 北西の北本団地バス停から 2006/04/24 撮影 晴れ )
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■1■南西側から
水路沿いの平地林である微高地は、少し離れた場所からでも何かありそうな雰囲気を醸し出していましたので、ある程度の遺構との対面が期待されたのですが。
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■2■西側から
「北本市史 第3巻下古代・中世資料編」によれば、空堀跡とされる遺構は写真の右側に開口部を向けた「コの字」をしているとのことです。しかしその発見・調査から35年以上が経過し、東側の宅地開発やその後のゴミの不法投棄などで遺されているはずの空堀跡もかなりの部分が埋まっていると思われるような状況でした。
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■3■北側から
駐車場との境界近くに溝状の地形が遺されているようにも見えたのですが、その後人為的な地形の改変がかなり加えられている様子なので何とも判断のしようがありませんでした。少なくとも右側の細い道路から10m以内の地点に並行した空堀跡が確認できても良さそうなものですが、ついにその形跡さえも見出せませんでした。
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・北本団地南東の平地林
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「北本市史 第3巻下古代・中世資料編」(1990/北本市教育委員会)
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