その他の分野の書籍

  アクセスありがとうございます。専門的な文献・史料を読み取る能力がなく、読了の雑感のようなものでございます。




その他の分野 55冊

55  「地学のススメ」(ブルーバックス)
  鎌田 浩毅 著 講談社 2017年刊行 980円 (2019/03)

 京都大学教授による一般向けの地球科学(地学)の入門書である。「地球史の年代と区分」は各年代における特徴的なできごとを挙げており視覚的に分かりやすく、各論においてもそうした視点が貫かれている。とくにヴェゲナーによる大陸移動説の論拠となった中生代の超大陸パンゲアの化石分布の解説、大西洋の中央海嶺発見のいきさつ、その北端に所在するアイスランド島の地溝帯の存在、生命体の大量絶滅の解説など数々の興味深いエピソードが記されている。
 副題となっている「日本列島のいまを知るために」に関しては、地球科学のメカニズムとして今後必ず発生する可能性がある巨大地震と巨大噴火による大災害に関する項については、更に詳しく知りたいという欲求を強くする。この点については新書という刊行形態によるページ数の限りもあるのでやむを得ないのかも知れない。
 なお、本書が一般の読者に対する「啓発の書」であるとするならば、巻末に一般向けの参考文献が付されていないことが惜しまれる。

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54  「山はどうしてできるのか」(ブルーバックス)
  藤岡 換太郎 著 講談社 2012年刊行 980円 (2019/03)

 山のできるプロセスとその成因について、プレートテクトニクスとブルームテクトニクスの観点から分かりやすく記した入門書である。未だプレートテクトニクス論が「トンデモ学説」扱いをされていた時期に、初歩的な「地学」にふれていた自分にとっては、あたかも「目からうろこ」ことは確かである。もっともこうした学説は時として変遷や微修正を繰り返すことも想定されることから、今後も機会があれば最新の学説に注目していきたいと感じた。
 インド亜大陸の北上に伴うユーラシアプレートへと衝突により、ヒマラヤ山脈とチベット高原が生成した、京都東山の横ずれ断層、六甲山塊の逆断層、富士山の生成過程などのエピソードには興味をひかれる。火山のホットスポットである天王海山のエピソードも興味深いものを感じる。なお北米プレートとは別に東北地方を含む北日本のマイクロプレートの存在(説)についてはもう少し詳しい解説が欲しい。
 地球を構成している岩石と鉱物に関してはカラー写真による解説が欲しいところなのだが、新書シリーズの定価を考えればやむを得ないのであろう。

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53  「フォッサマグナ」(ブルーバックス)
  藤岡 換太郎 著 講談社 2018年刊行 1000円 (2019/02)

 フォッサマグナは約1500万年前に成立したと考えられている「大地溝帯」とも呼ばれている世界でも稀有な存在であるが、その成り立ちについては謎に包まれている。その西側のラインは明確であるものの、東側についてはフィリピンプレーの移動に伴う伊豆・小笠原弧の北上などの衝突による地殻の変動などの影響により、詳細には解明されてはいないという。また、その成因についてはプレートを生み出す「オラーコジン」(マグマの噴出に伴うY字形の地殻の亀裂)と「房総沖の海溝三重点」の同時期発生によるものという試論を提示している。ただし、この「試論」に関する評価等については今後の推移を注視することが必要であろう。
 「川はどうしてできるのか」などに続く藤岡氏によるブルーバックスシリーズの最新刊であり、「地球科学」に関するテーマについて難しいことを易しく解説するという姿勢が貫かれた好著である。関連するジオバークに関するコラムも添えられている。

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50・51・52  「人間臨終図巻1・2・3」
  山田 風太郎 著 徳間書店 1996年刊行 1400円 (2016/09)

 古今東西の著名人について享年別にその臨終の様子を簡略にまとめた個人伝記集で、1986年から1987年にかけて上下巻で刊行されたものを後に3分冊に分けて再刊されたもの。
 30年ほど以前の作品であることから些か古めかしさも感じられるが、当時の日本はバブル経済の真っただ中で、そういう時代背景で語られる人物評であることを考慮に入れると別の面白さも見えてくる。
 因みに享年56歳で亡くなったのは双葉山、越路吹雪、柳沢吉保、57歳が北原白秋、以下58歳が黒田如水、種田山頭火、59歳が孫文、五味康祐、森鴎外、61歳が柴田錬三郎、川上宗薫、有馬頼義、64歳が大河内伝次郎、三好達治、山本周五郎の各氏。昔の方々は老成するのが早いとあらためて感じると共に、その年齢を過ぎている己の存在に暫し茫然とする。

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48・49  「人間晩年図鑑1990〜1994」 「人間晩年図鑑1990〜1994」
  関川 夏央 著 岩波書店 2016年刊行 1900円 (2016/08)

 1990年から1999年にかけて死没した著名人を中心にその晩年の姿を記した作品。その人物と関わる他の人々への言及のひろがりを記すことで、スポットをあてた人物が変遷し、その時代背景が克明に浮かび上がる。
 山田風太郎氏の「人間臨終図鑑」の続編を意識したと著者のまえがきがあるが、同書が歴史的人物を含めその没年齢ごとに項目立てしていることに対して、本書では90年代10年間の暦年ごとに亡くなった人々の晩年を描いていることから、その折の時代背景をも思い起こさせると共に、さらには読者自身の人生をも振り返らせることにも成功しているという点で、遥かに山田氏の著作を凌ぐ視野の広がり、奥行きの深さを感じさせる著作となっている。

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47  「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生」 
  萩本 欽一 著 文芸春秋 2016年刊行 1400円 (2016/05)

 2015年4月駒澤大学仏教学部の大学生となった萩本欽一さんの大学生活の日常を語ったエッセイで、週刊文春に掲載されていた「欽ちゃんのボケないキャンパス珍道中」をベースとして単行本用に再構成したもの。
 人生80年時代とはいえ74歳という年齢で孫の世代の若い人たちと一緒に大学生活を送る、その同氏の生き生きとした学生生活ぶりの充実さには驚かされるものがある。
 年齢相応の記憶減退という厳しい現実を抱えつつも、ユーモアを交えつつもあくまでも学ぶことの楽しさを追求するその謙虚で真摯な姿勢は、芸能人という特別な境遇を差し引いても現在の超高齢社会が抱える社会的な諸問題を考慮するうえで大きなヒントを提示しているともいえよう。

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46 「ねこの秘密」 
  山根 明弘 著 文芸春秋 2014年刊行 770円 (2015/05)

 家畜としてのねこは、約4000年前の古代エジプトを起源と刷るという通説ではなく、約1万年ほど前にメソポタミア周辺でネズミ対策として家畜化が進められたリビア山猫を起源とするという有力な新説が近年において提示されているという。
 一般に野良猫の寿命は3年から5年で、また満1歳まで生き残ることができる子猫は20パーセント程度に過ぎないとしている。そのほか元来が肉食である猫にとっては炭水化物は有用な栄養成分ではなく、また玉ねぎ、にんにく、ニラ、などの野菜の摂取は害があり、チョコレートも有害であるとのこと。
 したがって、いわゆる「猫まんま」の食事だけでは栄養不良となるらしい。
 著者の山根氏は動物生態学・遺伝学の専門家であり、玄界灘に浮かぶ相の島において7年間にわたる「地域ねこ」のフィールド観察を行っている。

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45 「日本史が面白くなる「地名」の秘密」 
  八幡 和郎 著 洋泉社 2013年刊行 800円 (2015/04)

 古代から近世、江戸・東京、京都、廃藩置県の時代、そして平成の大合併に至るまでの様々な地名の由来について興味をひくエピソードを交え平易な文体で記述しているが、その出典は主に地名関連の刊本であり、著者独自の調査によるものは少ないようである。
 その点で独自性を欠くことは否めないがコラム欄を読むような親しみやすい内容であることから、通勤電車内などで通読するには好都合の書籍である。
 また、特に京都の項に関しては条里制の変遷を含め京都市内の地理・地名入門編のような趣があることから、現在でも時々参照することも多く重宝している新書である。
 著者には別に「47都道府県地名うんちく大全」「世界の国名地名うんちく大全」(いずれも平凡社新書)がある。

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44 「一度、死んでみましたが」 
  神足 裕司 著 集英社 2013年刊行 1200円 (2015/03)

 まだ50代という働き盛りのコラムニストであった著者は2011年9月にくも膜下出血のため緊急手術を行われるも、その体には半身麻痺及び高次脳機能障害という重篤な後遺症が残った。長期の入院と転院後のリハビリにより筆者の意識は驚異的な回復を見せたが発病による動作の制約に加えてその思考にさえも大きな制約を受ける中で執筆された著作である。
 著者は現在在宅介護によりその日常生活を送っているが、筆者の家族が抱える負担の大きさは想像を超えるものがあると思われる。苦境にもめげることの無いユーモアのある闘病記ではあるが、近親者の負担の重さに思いをはせると割り切れない感情も生まれてくる。

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43 「なぜ時代劇は滅びるのか」 
  春日 太一 著 新潮社 2014年刊行 720円 (2015/02)

 月刊誌「新潮45」に不定期連載されていた「時代劇が廃れた本当の理由」等をベースに大幅に加筆訂正し単行本化された作品である。
 かつては大衆娯楽として全盛を誇った時代劇映画の衰亡、そのあとに訪れたテレビ時代劇における束の間の興隆とその衰退に至る過程に焦点を当てその経過と原因を示唆するが、プロデューサー、監督、脚本家などの制作者や俳優をふくむ個々の評価については嗜好性に起因した独善的とも読み取れる傾向があることは否めない。
 またいわゆる映像的時代劇が衰退する反面、映像作品の素材ともなりうる時代小説・歴史小説の人気は決して低くはないし、メディアの多極化を含めた観点からの論究が見られない点が惜しまれる。
その一方において、単なる娯楽メディアの興亡史であるとしても、その時代々々における世相を如実に映し出しているともいえよう。

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42 「日本列島地震の2000年史」 
  保立 道久・成田 龍一 監修 朝日新聞出版 2013年刊行 1500円 (2014/12)

 17名の歴史学者が語った地震、津波、噴火の日本災害史。
 すでに地震学においては一部の地震学者がその周期性を予見していた「貞観地震」に対する歴史学としてのアプローチの弱体性を反省する観点から編纂されている。
 「東北太平洋岸地震」「東海、南海、東南海地震」の周期性などを含め、来たるべき災禍に対する警鐘の書として評価できるが、「日本人の忘れやすい国民性」に対する論究が控えられている部分は歴史学のその社会的役割に対する認識の不十分さを表しているのかも知れない。
 巻末の「日本のおもな地震と火山災害年表」ならびに「年表おもな地震と噴火」は、要約されていて分かりやすいが、出版を急いだ事情から、明らかに本文との記述不整合な個所も散見される点が惜しまれるとともに、またプレート境界と火山分布か境界(火山フロント)の凡例記述には相互の取り違え個所が見受けられる。

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41 「川はどうしてできるのか」 
  藤岡 換太郎 著 講談社 2014年刊行 860円 (2014/12)

 同著者による「山」「海」につづく、ブルーバックス「地球に強くなる」シリーズ三部作の三作目である。
 黄河と揚子江の源流が異常に接近している謎、ヒマラヤ山脈を越える大河の存在、砂漠地帯に発生する大洪水、天竜川の源流をめぐる大胆な仮説、 多摩川の源流からその河口までを辿る踏査記録など河川の成り立ちについて論究し、壮大なプレートテクトニクスとしての地球の地殻変動に関する反復性を示唆する好著。
 なかでも地下水脈の水量は地上の河川の4800倍に相当するとの学説の存在には瞠目する。
 地球の営みという大きな時間軸のなかで、人類の文明発達という認識がいかに希薄で脆弱な概念であるのかについて改めて思い知らされる。
 新書版としての制約からか脚注の無いことが惜しまれるが、巻末の丁寧な参考図書一覧と索引の存在はありがたいのひと言に尽きる。

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40 「東京の地名」 
  筒井 功 著 河出書房新社 2013年刊行 1800円 (2014/11)

 東京都内の地名を題材にしてその地名の語源、由来を推察する論考である。
山手線の駅名にはじまり都心部、中央線の一部、下町、旧武蔵野地域、奥多摩、伊豆・小笠原諸島などの地名の成り立ちについて論究している。その手法は角川書店「日本地名大辞典 東京都」をベースに「大日本地名辞書」「地名の研究」(柳田國男)を引用しつつも、著者の長年にわたる研鑽に基づき独自の比較対照による解析を行った力作である。
阿須和、百目鬼、垣内(カイト)、上荒久、ハケ上、根古屋などの地名についての論究もありがたい。
その分野からはいくぶん専門領域における研究書というような趣があるものの、地名が有する豊かな歴史、文化、民俗の側面がわかりやすく著述され一般的な読み物としても十分に通用する構成となっている。
地名は音にはじまり、次第に転訛し、美称を含めてさまざまな漢字を充て地名の持つ本来の字義から遠ざかっていくという事例について、先人の事績に学びつつ民俗学等の手法を用いて解明していく過程はおおいに興味深いものを感じさせるものがある。
地名の成り立ちに関して「安易なアイヌ語、朝鮮語語源説を否定する見解」についてはもう少し著者の見解を披瀝して欲しいところだが、これについては別書である「日本の地名」2011年 (河出書房新社 刊)を参照すれば補える模様である。
なお余談ながら地名辞書代わりに使用する場合においては、巻末の参考文献一覧、引用文献一覧とあわせ掲載地名の索引が欲しいところではあるがこの価格では難しいのかも知れない。
著者は元共同通信社勤務で、従来の学術団体には帰属しないフリーの民俗学・地名研究者である。 

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39 「地名は警告する−日本の災害と地名」 
  谷川 健一永 編著 冨山房インターナショナル 2013年刊行 2400円 (2014/10)

 住居表示の実施に伴う災害の危険性を内包した旧小字、小名などの歴史的地名の消失は、彼の地における災害の記憶を薄れさせ災害の再発を拱手する結果となっていないのかという警鐘を基本として編纂された著作である。
 17名からの著者による共著という構成から、記述の重複および災害史なのか地名研究なのか明確ではないように感じられる部分もあるが、全国各地における地名研究の専門家による記述は極めて興味深い。  甚大な被害が発生した「宮古・八重山の明和大津波災害」については、恥ずかしながら今回初めてその存在を知るにいたり、離島・島嶼部とりわけ沖縄地域に対する知識・情報の偏在を改めて痛感した。
 文中における地滑り地名の事例とされる「小柏⇒かしぐ、桜山⇒崩壊地名のひとつ、妹ヶ谷⇒埋もれる、譲原⇒揺する」などは、過去においてすでに調査・探訪を終えた群馬県の神流川地域であったことに改めて当該地名が有する意味合いの深さを痛感した。
 一般に中世城館調査における歴史的な古地名の存在は大きなウェイトを占めることは珍しくない。この場合における転化、方言、音から生じた当て字など示唆にとんだ部分も少なくないことから、いましばらくは関連書籍を渉猟することになるものと思われる。無論本書で指摘されている災害地名がすべて自然災害を起因とするものであるのかについては議論の余地があるのかも知れない。
 なお本書の編著者である民俗学者、地名研究者谷川建一氏(本書上梓後の2013年8月没)は嵐山光三郎氏の平凡社社員当時の上司でもあったという。数多の出版物が溢れる昨今での奇遇といもいうべきものなのかも知れない。さらに、谷川氏の兄弟は日本エディタスクールの創立に関わっていたが、偶然にも現専務理事の方と面識のあったことを思い出したことも不思議な縁を感じた次第。 

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38 「大晩年」 
  永 六輔 著 中央公論新社 2014年刊行 1300円 (2014/09)

 雑誌「婦人公論」「週刊文春」「文芸春秋」およびラジオ放送番組などで行われた対談を中心としてを書籍化したもの。対談者は遠藤泰子、黒柳徹子、阿川佐和子ほかの各氏。
 パーキンソン病を発症し一時は言語が聞き取れないまでに重篤化していた著者。しかしその後粘り強いリハビリを行い奇跡的とも言うべき回復をみせた。そのようななか、活動にひとつの区切りをつけるべく、TBSラジオの長寿番組として有名な「永六輔の誰かとどこかで」を終えた。
 20年以上前のこと、永六輔氏、遠藤泰子氏ほかのメンバーにより地元のホールで行われたトークショウを懐かしく思い出した。 

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37 「年をとったら驚いた」 
  嵐山 光三カ 著 新講社 2014年刊行 1400円 (2014/08)

 年をとって初めてわかる日常の些事について独特のユーモアを交えて綴られたもの。加齢に伴う体の劣化を楽しむという姿勢に共感しつつもどこか悲しみも感じるエッセイ。
 崩れていく自分の人間性を恍惚として眺めるという境地には到底辿り着けそうもないが、こと眠たさに関しては大いに共感するところがある。90年代の初め頃に同氏の著作数冊を読んだ記憶があるが、その文化人との交流範囲の広さ、著者の博識が嫌みの無い程度にちりばめられ嵐山節は今も顕在の模様である。
 なお、たまたま同時に読んでいた地名に隠された災害史を記述した「地名は警告する」の編著者である民俗学者、地名研究者矢川建一氏(2013年8月没)に関するエピソードの記述が登場。谷川氏は著者の平凡社社員当時の上司でもあった。
「週刊朝日」連載に連載された「コンセント抜いたか」のシリーズを加筆訂正して単行本化した作品である。 

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36 「ふくしまノート」 
  井上 きみどり 著 竹書房 2013年刊行 838円 (2014/08)

 仙台市在住の作者が南相馬市、浪江町、郡山市、相馬市在住の人々あるいは県外避難の人々を取材する形で、人々の置かれているふくしまの今を描いている。
 避難したくとも仕事や家庭の事情により避難できなかった人々、不安に襲われつつも日々の生活に追われる人々、避難先を転々とせざるをえなかった人々、そのすべての人々に向けた作者のもつ視線のやさしさが伝わる佳作である。
 あらためて当時の政府の無理解と無責任さに怒りを覚える。未だ収束しない、そして将来においても収束する気配を見せない重篤な原発事故を引き起こした原発。原子力の平和利用という偽りの美名を盲信させられていた我々都会人の浅はかさと社会的責任を痛感する。 

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35 「原発と日本人」 
  小出裕章/佐高信 対談 角川学芸出版 2012年刊行 781円 (2014/07)

 原発と日本人の関わりについて5つの角度から対談したものを纏めたもの。公害等の環境問題を含む広い視点で多くの先人達の業績を語り合う。自分を売らない、騙されていたとの言い訳をしない市民としての自立の必要性を訴える。
 主な登場人物は次の通り。岡部伊都子(随筆家)、高木仁三郎(科学者、原子力資料情報室創設者)、平井孝治(数学者)、原田正純(医師)、木野茂(理学博士)、宮本憲一(経済学者)、久野収(思想家)、田中正造(政治家)、荒畑寒村(社会思想家)、石牟礼道子(小説家)、林竹二(教育哲学者)、松下竜一(小説家)、伊丹万作(映画監督)、竹内好(評論家)、幸徳秋水(社会思想家)、川本輝夫(市民運動家)
 チェルノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故、足尾銅山の公害、水俣病、四日市喘息公害等の解説コラムも掲載されている。 

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34 「100年後の人々へ」 
  小出裕章 談 集英社 2014年刊行 700円 (2014/07)

 小出氏の原子力に関わってきた40年間の軌跡を述懐し、福島第一原子力発電所事故が如何に取り返しのつかない甚大な原子力災害であるのかを語ったものである。
 それまでも原子力科学技術者としての立場から、原発の危険性を訴え事故後も様々な機会を通じて事故の重大性について警鐘を鳴らしてきたが、反面において所謂抗議活動としての関わりは避けていた。しかし小出氏は2013年8月30日に至り、初めて国会前の反原発抗議活動に参加した。同氏によれば「個人主義的な立場」から、抗議活動の前面に立つことには消極的でありつづけたという。同書はこの抗議活動参加の際に当該編集担当から声をかけられたことが出版の経緯であったと記されている。
 当初における書名は「10万年後の人々へ」というものであったが、核物質としての危険性が薄まるのは確かに10万年という年月は必要とされるひとつの目安かも知れない。しかし果たして10万年後に今の政治体制が継続し、人類そのものが存続しているかどうか分からないというなかでは、未来に向けてメッセージを発信しようがないことから、あくまでも、「いま、ここ」を時空の基軸として捉え、現実的に想像できる「100年後の人々へ」というタイトルに変更したとされる。
 なお、実際の文章化に際しては集英社新書編集担当とライターが2013年末頃までに纏めている。 

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33 「猫ピッチャー 1」 
  そにし けんじ 著 中央公論新社 2014年刊行 800円 (2014/05)

 子ネコのミー太郎がプロ野球球団のピッチャーとなって巻き起こす、猫ならではの抱腹絶倒な話題が満載されている。作者は筑波大学出身で大日本印刷勤務を経て漫画家に転進した。
 このコミックスを購入した動機は、ネコ好きであること、電車の車内広告でたまたま見つけたこと。以上の2点であり、秋には第2集が出版されるという。 

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32 「中級作家入門」 
  松久 淳 著 角川書店 2014年刊行 1000円 (2014/05)

 共著の「天国の本屋」を上梓して一躍世に出たものの、その後がなかなか恵まれない現役作家ランキング100位から200位の間くらいと自嘲する中級作家と自称した作者日々の生き様を記したエッセイ。
 面白いかと問われれば、人それぞれとしか語れない自虐ネタの多い内容となっている。このため孤島に1冊だけ持ち込むことが許容される本の中には、まず入ってこないことは間違いなさそうな本であるというのが最大の特徴なのかも知れない。 

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31 「福島原発22キロ 高野病院奮戦記」 
  井上 能行 著 東京新聞 2014年刊行 1400円 (2014/04)

 大事故の発生した福島原発からわずか22キロの広野町に所在している高野病院(医療法人社団養高会)が、移送不可能な患者を残された僅かなスタッフで守り通した迫真のドキュメント。
 著者は東京新聞編集委員(東京新聞福島特別支局)の井上能行氏。
 高野病院の方々の尽力は筆舌に尽くしがたい状況はつたわってくるものの、スタッフの放射線被曝による健康被害を含めて、福島県民全体の放射線被曝の危険性が明確にされていないことに違和感を感じる。このことは改めて福島原発事故被害の深刻さの背景が、実に複雑な事情を抱えたものであることに気づかされる。
 

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30 「さよならタマちゃん」 
  町田 一義 著 角川書店 2013年刊行 686円 (2014/04)

 「精巣腫瘍」の悲しくもほのぼのとした闘病記(コミックス)。抗がん剤の副作用に苦しみ、そして病巣の転移、同室患者の相次ぐ死亡。そして摘出手術の成功、再発防止の抗がん剤治療。
 主人公夫婦をふくめ登場する様々な人物の人間的な温かみが、生死の境に置かれた者の死への恐怖を和らげる。ごく普通に生きていることの大切さを改めて示唆してくれる筆致に敬服する。
 

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29 「ストーリー311 あれから3年」 
   角川書店 2014年刊行 890円 (2014/04)

 東日本大震災から3年が経過した。11名の漫画家による被災地の復興に向けての今が描かれているが、被災地の復興の困難性、震災関連死の問題、国および東電の事故責任、そして今も終息の気配さえ見ることのできない福島第一原発廃炉への見通し。
 とのわけ福島を中心とした内部被曝の問題については殆どといってよいほど描かれてはいない。無論、医学的な観点からさまざまな議論のあることは事実かも知れない。
 しかし、成長期にある子どもたちの将来を本気で考えるならば、より安全に配慮した政策が求められるものと確信する。「コミックス」というジャンルとはいえ、あまりに楽観的にすぎるような印象を残す。
 現政府の主導による原発再稼働の策動が進行する中では、結果的にそれらの危険性を隠蔽してしまう役割を果たしてしまうように思えてならないというのは穿った見方なのであろうか。

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28 「記者たちは海に向かった」 
   門田 隆将 著 角川書店 2014年刊行 1500円 (2014/04)

 東日本大震災を背景に、福島県の地方紙である「福島民友」の新聞記者たちが体験した、翌日の3月12日版の朝刊を刊行するに至るまでの苦難のドキュメント。
 日刊紙である地方紙の刊行を継続させ、「紙齢」を欠かせないために一人の第一線で取材した若い記者の命が失われた。たしかに職務を忠実に全うした福島民友の記者たちの必死の労苦は伝わる。
 しかし、福島第一原発の大事故がもたらしたその後のフクシマについての問題意識への提起が欠けており、遺憾ながら若い記者の殉職を美談のように印象づけ、放射能の被曝問題から遠ざけるという作為があるとするならば著者の責任は重いと言わざるを得ない。因みに同紙は「読売新聞社」との協力関係が強いともいう。

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27 「流星ひとつ」 
   沢木 耕太郎 著 新潮社 2013年刊行 1500円 (2014/04)

 僅か10年間の芸能活動で昭和の歌謡界から引退した藤圭子。全編がインタビュー形式のルポルタージュという特異な手法により、一時代を画した昭和の歌姫のデビューから引退に至るまでの経過が淡々とした時間の流れのなかで語られて行く。そのある意味で心地よい二人の会話は1979年に記されたものとは思えない新鮮で鮮烈な印象をともなって読者を引き込んで行く。
 現役当時話題となった藤圭子の家族、両親、デビューのきっかけ、そして引退を決意するまでの数年間の苦悶についても、沢木氏との信頼関係を前提に記されている。
 表現者として、人間として真っ直ぐな心を持った藤圭子とこれに正面から向き合い記録として書き上げた沢木氏の筆力に改めて敬意を表する。
 なお、この本は沢木氏の意志に基づき、彼女の引退後に出版されることなく、また彼女の娘である宇多田ヒカルが成功を収めた2000年台初頭にも日の目を見ることはなかった。しかし、その後彼女が自死を遂げたことにより出版されたものである。
 この本を読んで、改めて聞く藤圭子の歌声は一層研ぎ澄まされ甘く切ない。

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26 「原発に反対しながら研究をつづける小出裕章さんのおはなし」 
   小出 裕章 監修 野村 保子 著 クレヨンハウス 2012年刊行 1200円 (2013/10)

 著者は放射線工学の研究者であるが、その反原発的言動からその研究成果にもかかわらず、未だに京都大学の助教(かつての助手)という地位に甘んじています。原子力発電というシステムが如何に未熟で、不安定で危険で、将来に大きな禍根を残す存在であるかについて、小学校高学年から中学生を対象に分かりやすい表現で記されています。一方放射能被害、原発の構造、放射線の種類と特性などの基本的な視点についても要領よく集約されています。この点からは大人向けの原発の入門書ともなりうる内容を伴っているとも言えるでしょう。
 日本という国が、真剣に国民の幸せを願い、その政治と社会システムが機能しているならば、こういう書籍こそが社会科あるいは理科の副読本として採用されなければならない深刻な状況が迫っています。
 しかし、現実には福島の原子力第一発電所における取り返しのつかない未曾有の放射能汚染事故という事実を意図的に隠蔽矮小化し、各地の原発再稼働を画策する電力会社とこれを推進する政府が政権を担っています。
 放射能により汚染され将来的に帰還することが不可能な地域の指定、被爆者に対する全面的な補償対策、とりわけ子どもたちへの健康被害を一刻でも早く食い止める真摯な政策が求められていますが、「こども・被災者支援法」の運営方針は、その厳しい現実を見ようとはせず、おざなりな対策を提示しているに過ぎません。 

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25 「精神科は今日も、やりたい放題」 
   内海 聡 著 三五館 2012年刊行 1300円 (2013/10)

 現在の精神医療のあり方を根本から問い直し、問題を投げかける告発本。取り分け、過剰なな薬物投与による薬害、製薬会社と精神学会などとの利権構造にも論究。一口で言えば、精神医療否定本ともいうべき過激な主張が延々と記されている。子どもたちに対するSSRIなどの抗うつ剤の処方の危険性も指摘。精神疾患そのものの定義についても、より厳密かつ狭義に捉え安易な薬物漬けの精神医療の現在を告発している点では刮目に値する。
 従って、彼自身は精神医療を否定する立場から決して精神科医を標榜することなく、内科医として主に漢方薬療法を中心とした治療をおこなっているという。ただし、現在の精神医学会の頑迷さや製薬会社の利権構造を大きく変えるまでには至っていないことも事実であり、多くの重篤な副作用を伴う患者が再生産される社会病理的システムの改善までには至ってはいない。 

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24 「陽だまりの彼女」 
   越谷 オサム 著 新潮社 2011年刊行 514円 (2013/09)

 結末が大切な小説なので結末は敢えて記しません。2013年の10月12日より同名の映画が公開されるその原作本です。
 動物好き、取り分けネコ好きの方には、悲しくも愛おしくなる物語です。
結末への布石が、ストーリィが展開する過程のそこかしこに、それとなく見え隠れするところの筆致が、実に絶妙です。そして、優しい幸せな気持ちになれるふしぎな作品です。 

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23 「まさき君のピアノ」 
   橋本 安代 著 ブックマン社 2012年刊行 1333円 (2013/09)

 自閉症と診断された橋本雅生君は、宮城県牡鹿郡女川町で生まれた。雅生君の自宅は港から1キロメートルほど離れた小高い岡の上に立っていました。しかし2011年3月11日の東日本大震災の大津波により女川町は甚大な被害を受け、雅生君の父方の祖母はその姉妹と共に帰らぬ人となりました。
 雅生君の家も大津波の被害を受けて全壊し、家族は小学校の避難所で暮らすことを余儀なくされました。脳の機能の偏りがもたらすとされる雅生君の障がいは、3歳の頃から次第に顕著となり言語コミュニケーション能力の不足と環境の変化に順応することが難しく、時折パニックを起こす行動となって現れましたが、小学校4年生の中頃からピアノを習い始め、小学校の学芸会ではピアノのソロコンサートを経験するまでに成長していきました。
 そのような中で、雅生君が中学2年生の終わり頃あの未曾有の大災害が発生したのです。避難所の暮らしでは、誰もが辛い思いをしながらの耐乏生活を余儀なくされました。そんな時、狭い避難所で運動不足になりがちなお年寄りたちを集めてラジオ体操をすることになりました。電気はまだ復旧していなかったため、始めは先生が伴奏したのですが、楽譜もなく演奏につまずいてしまいました。
 そんな時、雅生君が「僕がピアノ弾けます。僕がラジオ体操弾いてもいいですか」と自ら発言して、ラジオ体操の曲を見事弾きこなしました。それからは、毎朝7時30分から雅生君のピアノに合わせてラジオ体操を行うことが日課となりました。それからは雅生君は様々な曲を弾くことによって自分自身の、そして避難所の人たちの小さいけれども確かな希望となっていったのです。 

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22 「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」 
   金子 哲雄 著 小学館 2012年刊行 1300円 (2013/02)

 2012年10月に亡くなられた金子哲雄氏の文字通り最期の著書です。
 流通ジャーナリストとして、その人なつこい風貌からここ数年はテレビなどのメディアにも多く出演され、消費者の目線に沿った「お得な情報」を発信しつづけました。しかし、2年前に発症した「肺カルチノイド」という癌性の難病のために、僅か41歳という若さでその生涯を終えられてしまいました。
 この無念さはまさに筆舌に尽くしがたいものがあります。病名の告知から500日にも及ぶ、本人自身による闘病の記録でもあり、何と亡くなられる前日まで「電話取材」での仕事をこなされていたことには、仕事への情熱に対する敬意ともに深い悲しみを禁じ得ません。
 金子氏は病名の告知後に、葬儀の事前予約から、戒名、埋葬する予定の墓地まで用意周到な準備を済まされ、在宅での終末期医療のあり方を世の中に問いかけつつ、東京タワーの足下に所在する墓地にて永眠された。

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21 「働く、ということ」 
   佐藤 仙務 著 彩図社 2012年刊行 1200円 (2013/01)

 この本の著者は、脊髄性筋萎縮症という10万人に1人という難病に罹患しているため、話すことのほかには僅かに指先を僅かに動かすことなどができるだけであるという。また体の移動には電動車いすを使用し、日常生活を送る場合にも他者の介助を必要とする重度の身体障害者である。
 しかし彼は同様の難病を抱えた年長の幼なじみとともに、小さいながらもIT企業を発足させた。無論この厳しい経済環境の中で、その経営は漸く端緒についたばかりではあるが、将来的には障害者の雇用までも視野に入れた経営を目指す若干20歳の若き実業家でもある。
 避けることの不可避な日々の難病とのたたかい、不自由な身体をものともせず、IT企業としての活動に積極的に関わっていく姿勢には、率直に感動するとともに、読者は自らの生き様の有り様を問い直さざるを得ないような力強いメッセージが伝わってくる好著である。

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20 「アスペルガーの館」 
   村上 由美 著 講談社 2012年刊行 1400円 (2013/01)

 著者も述べているように、自分自身がアスペルガーの当事者であり、家族(配偶者)もアスペルガーである。さらに発達障害の人たちをサポートする言語聴覚士(ST)でもあり、これら三つの立場を踏まえたうえで記されているという極めて稀有な著書である。
 著者は発語の遅れから、すでに6歳の時に母親から発達障害であることを告げられ、母親の厳格な療育のもとで成長を遂げたことが記されている。この療育についての具体的な内容に関心が注がれるが、残念ながらこの点についてはそれほど詳しくは記されてはいない。
 言語聴覚士の職務についても、構音障害、音声障害、言語障害、聴覚障害、嚥下障害と多岐にわたることが説明されている。
 著者は、発達障害において、治らないのは「脳の状態」であって、その特徴とされる他者とのコミュニケーションの取り方や物の管理の仕方などについては、学習することにより「改善できる」胸を自己の体験を通じて語っている。
 また、療育の目的は、人とかかわることの必要性を理解してもらうこと、その子に適合した生活や幸せの形を見つける手助けを行い、庇護者である親の死後においても、社会の中で生きていくてたてを見つけられるようにすることと結論づけている。
 アスペルガーという発達障害にかかわる人々のみならず、発達障害の社会的理解を広めていく上でも有用な著書といえよう。

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19 「アスペルガーですが、ご理解とご協力をお願いいたします」 
   アズ 直子著 大和出版 2012年刊行 1300円 (2012/12)

 「アスペルガーですが、妻で母で社長です」の続編。
 著者の日々の活動を支える家族、友人との関わり、そしてアスペルガー者との具体的な交流の継続、意思疎通のコツについて当事者本人の立場から冷静な自己分析に沿って述べられている。
 またアスペルガー者が有する個性的な特性にも、それぞれの多様性があり、それぞれの個性に配慮した「トリセツ(取扱説明書)」作成の有用性を論じている点は、研究者サイドには見落とされている視点であり大いに注目に値すると考えられる。

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18 「あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか〜大人の発達障害を考える」 
   加藤 進昌著 PHP研究所 2011年刊行 533円 (2012/12)

 著者は精神科医であり、国立精神・神経センター神経研究所所長、東京大学大学院医学系研究科精神医学分野教授、同付属病院長などを歴任し、現在は昭和大学医学部精神医学教室主任教授、同大学付属烏山病院院長の職にある。
 脳科学における見識をPTSD、発達障害等の治療に役立てるとともに、とりわけ成人のアスペルガー症候群の治療法の開発研究に邁進している。
 安易な「アスペルガー天才説」に対して警鐘を示すとともに、巻末には、最近におけるアスペルガー症候群の病態仮説、オキシトシンホルモンの不足説の2説が簡易な形で紹介されている。

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17 「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか〜大人の発達障害を考える」 
   米田 衆介著 講談社 2011年刊行 1400円 (2012/12)

 自閉症スペクトラムのカテゴリーに含まれるアスペルガー症候群。この障害について、成人の場合におけるその特徴を医学的、ないしは心理学的見地から詳細に解説。
 著者は1000例以上にも及ぶアスペルガー障害の臨床事例にかかわり、成人における社会参加の具体的手法をを、当事者の立場に立って夫々の特性を考慮しつつ提言していることに対して大いに敬意を表したい。
 些か難解な専門用語の使用頻度の多さ、このことに対する一般読者に対する配慮不足の感も残るが、その分真剣に熟読を要差ざるを得ない充実した構成となっている。

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16 「アスペルガーですが、妻で母で社長です」 
   アズ 直子著 大和出版 2011年刊行 3500円 (2012/11)

 アスペルガー症候群に加えて注意欠陥障害をかかえている著者自身が、円滑な対人関係を構築するためのノウハウについて分かりやすく解説している。アルペルガー症候群は近年ようやくその社会的理解が進み始めたとはいえ、障害者自身とその周囲の家族を含む人々に十分理解がなされているとは言い難い。
 著者がアルペルガー症候群と診断されたのは、ごく最近の2009年のことであり、それまでは筆舌に尽くしがたい生きづらい人生を送ってきたことが窺われる。そうした中で記された彼女自身の生き方のひたむきさには感動を禁じ得ない。
 なお、その後新たに2冊の著書を上梓している。

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15 「図解よくわかる大人のアスペルガー症候群」 
   上野一彦/市川宏伸 共著 ナツメ社 2010年刊行 1500円 (2012/11)

 一般に発達障害という場合LD(学習障害)、ADHD((注意欠陥多動性障害)、自閉症などが比較的よく知られている。
 しかしアスペルガー症候群、とりわけ成人のアスペルガー症候群に対する社会的認知度は高いとは言えず、結果的に福祉行政の挟間におかれていることから、障がい者手帳の交付も自閉症、うつ病などの二次障害が認められないと交付されることは難しい。
 この障害は知的障害を伴わないが、いわゆる社会的常識を欠く言動が散見され、対人関係の構築が難しく、就労を継続することには著しい困難も伴い、日々生きづらい生活を送ることを余儀なくされている。
 必ずしも同書がこれらすべての問題を解決する術を明示しているとは言えないが、成人におけるアスペルガー症候群の特性を理解するうえでは、わかりやすく丁寧に記述された入門書である。

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14 「うつ病治療 常識が変わる〜NHKスペシャル」 
   NHK取材班 宝島社 2009年刊行 1443円 (2009/11)

 「うつ病は心のカゼ」との社会的認識の高まりを背景に、乱立するクリニック、過剰な抗うつ薬(SSRI=選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の投与による重篤な副作用の発症事例を一年間をかけて取材し、その社会的警鐘を提起した「ドキュメンタリー番組」(2009年2月22日放送)の内容を元にその後の経緯を付け加え単行本化したもの。
 巻頭に「決して抗うつ剤の効能や存在意義を否定しているわけではない」と明示しつつも、「ビジネスとしての薬漬医療」という粗悪な事例の存在、「SSRI処方による重篤な副作用」の告発、我国において何故「心理療法」が普及しないのかという社会的背景への切込みといったセンセーショナルな内容であることには変わりはありません。この点で、徒に社会不安を増長する危険性も内包したテレビというマスメディアの存在・影響力の大きさというものについて改めて痛感する一冊です。
 なお、同書に収録されている野村総一郎氏(日本うつ病学会理事長)の「医師選びの注意点5カ条」は、必読と判断されましたので下記にその要点を引用いたしました。
 1.薬の処方理由とその副作用について説明しない。
 2.初診でいきなり3種類以上の抗うつ薬を処方する。
 3.処方薬がどんどん増える。
 4.薬について質問すると不機嫌になる。
 5.薬以外の対処方法を指示しない。

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13 「うつ病の脳科学」(幻冬舎新書) 
   加藤 忠史 著  幻冬舎 2009年刊行 760円 (2009/10)

 理化学研究所総合研究センターにて精神疾患動態研究チームリーダーを務める精神科医・脳科学研究者による著書ですが、図示を伴う説明が皆無であり「脳のメカニズム」の詳細に関する記述については些か難解の感も。
 基本的なスタンスとしては、「うつ病」は福祉行政の対象としての「社会的障害」ではなく、あくまでも「回復可能な疾患」であるとの視点に立ち、「脳科学」の視点からその「病変」である「脳の異変」を科学的に把握しその病理学的な原因の解明を追求するという姿勢に徹しています。
 またその病理学的な仮説として、「うつ病の一部は、脳神経細胞の突起が委縮する、あるいは神経細胞が減少する」という最先端の研究成果についても示唆しています。
 したがってSSRIの服用に伴うところの所謂重篤な副作用についてはこれを認めつつも、旧来の三還系抗うつ剤の副作用の重篤性に比較するとより安全性が高いものと許容せざるを得ない実情を語り、「DSM−4−TR」(「精神疾患の診断と統計のための手引き」)による効率的な診断方法の存在については、やや肯定的に評価するという側面も見受けられます。
 その上で、臨床現場での医師による診断の不統一、抗うつ剤処方のみの画一的な医療とその副作用が抱える諸問題の存在を明言し、「病理学的」解明のため、「うつ病」患者のデータベースとしての「ブレインバンクを創設すべきである」との卓見は脳科学研究者としての信念を明示するものと言えそうです。

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12 「双極性障害のことがよくわかる本」(講談社健康ライブラリー) 
   野村総一郎 監修  講談社 2009年刊行 1200円 (2009/10)

 日本うつ病学会会長の経歴を持つ精神医学会権威者の「監修」による、大変分かりやすい躁うつ病の入門書で、簡便な症状チェックテスト、遺伝子・成育歴・神経伝達物質の不具合など発病の原因と背景、いわゆる「うつ病」との相違、精神療法を始めとして薬物療法、日常生活の改善など多様な角度から治療していくことの必要性などがイラスト付きで記述されています。
 無論、近年社会問題化された「うつ病の特効薬」と思い込みがちなSSRIや双極性障害で処方される「気分安定剤」などの重篤な副作用についてもある程度は掲載されていますが、出版社の営業事情からか余りにもハードルを低くして記述しているため、安易な素人診断、思い込みといったものに繋がる危険性も視野に入れて読み進める必要もあるようです。

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11 「一眼デジカメ虎の巻」(講談社+α新書) 
   吉田 繁/蟹江節子 著  講談社 2004年刊行 800円 (2008/03)

 デジタル・カメラの性能向上により幾分内容が古くなった向きも無くはないものの、撮影対象別にISO、ホワイトバランス露出補正などに始まりフルオートでは撮影できないノウハウが多数記載されています。できるだけ分かりやすく書かれてある筈の一般向けの入門書ではありますが、超初心者である管理人のレベルでは時折専門用語が飛び出し困惑してしまう部分も散見されます。

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10 「護衛空母入門」(光人社NF文庫) 大内 建二 著  光人社 2005年刊行 686円(2007/05)

 現在では「護衛空母」という名称が定着している模様ですが、この言葉を聞くと50年近く前の小学生の頃に父親に買ってもらった児童向けの太平洋戦争に関する戦記を愛読していたことを思い出します。当時の曖昧な記憶によると日本海軍では一般に「特設空母」」と呼ばれ、アメリカ海軍のものは「護送空母」と翻訳されていたような...しかし元来は大西洋方面のドイツ軍の航空機・潜水艦からの輸送船団護衛を目的とした艦種だったということも今回初めて理解したような次第。
 さて、量産型の貨物船や油槽船を改造したアメリカ海軍は英国に供与したものを除いても77隻もの大量の「護衛空母」を建造し、その脆弱性にも拘らず戦時中の損失は僅かに6隻のみ。これに対する日本海軍では優秀な高速客船を改造したもののその数は僅かに5隻に過ぎなかったというシビアな数値はそのまま当時の両国の工業生産力の格差を象徴しているようです。
 加えて航空機の発艦を効率的に運用するための「油圧式カタパルト」装備の有無はその「護衛空母」としての実用性を大きく左右し、「油圧式カタパルト」を装備したアメリカ海軍の護衛空母は低速・甲板の短さなどの弱点を克服し航空機運搬、後方支援のみならず第一線でも大きな役割を担う結果に繋がったとのこと。
 以前から旧日本海軍でも偵察水上機用の「火薬式カタパルト」は装備されていたのに、何故航空母艦に装備できなかったのかという誠に素朴な疑問が漸くにして何と半世紀ぶりに解決されたのでありました。

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9 「幻の航空母艦」(光人社NF文庫) 大内 建二 著  光人社 2006年刊行 905円(2007/05)

 計画だけで終わったもの、建造の途上で中止されたもの、艦載機の開発の歴史など多岐にわたる内容で航空母艦の時代の幕開け当初、いまだその役割が明確化されていない時代から第二次大戦後までの表舞台で活躍することができなかった数々の航空母艦のエピーソードが満載されています。それだけに各テーマの掘下げ不足が気になるとともに内容も些か散逸気味となり通読しづらい印象が拭えず、不本意ながら奥の手として拾い読みをする結果となりました。

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8 「鎮守の森」 宮脇 昭 著  新潮社 2000年刊行 1300円(2006/09)

 鎮守の森の自然植生に学ぶ「植物生態学」の入門書。 植物にとっては「最高条件」と「最適条件」があり、ある程度、生育条件上の競争が存在(最適条件)する方が、却ってその植物としての植生競争力を高めて成長を活性化させるという事例・法則性が存在するとのこと。これに対して「最高条件」の環境下では、却って成長の阻害、枯れ死を早める事例が散見されるとのこと。
 このことはまさに人間社会にもそのまま当てはまる指摘であり、「衣食足りて礼節を欠く」との言葉がそのまま当てはまるような「物質的な豊かさ、便利さ、目先だけの経済性」などを追い求めてきた戦後の我々日本人の行く末を示唆するように思えてくる時代の潮流に対する警鐘の著。
 HPの主要テーマとして中世城館跡を探訪する過程で、これまでに200か所以上の埼玉県内の様々な神々が祀られた大小の社の実情を見てきました。祠自体に対する宗教的尊崇が廃れつつある実情もさることながら、自然植生に近いとされるふるさとの「鎮守の森」の本来あるべき姿が、近年宅地開発などによりその姿を大きく変えて確実に消失しつつあることを実感します。

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7 「日本人のしきたり」 飯倉 晴武 編著  青春出版社 2003年刊行 700円(2005/03)

 正月行事、年中行事、冠婚葬祭のしきたりなどについて一般向けに平易に解説した内容となっている。200ページの新書サイズに多くの内容を詰め込んでいるため、その解説は全体として大まかな内容となっている。正月行事と年中行事だけに絞ってもらうと読み応えがあるかもしれない。逆にいえば殆ど引っ掛かりがなくさらりと読めてしまうという点がプラス面ということに。
 その中で「ハレとケ」についての記述はおおいに参考になった。「ケガレ」とは「ケ」が枯れて、普段の日常的な状態ではなくなることを意味していたのであって、現在では「穢れ」「汚れ」という字を充てているが、本来の意味は普通どおりでなくなる「気枯れ」を指していたということを改めて知った次第。もう一つはじめて知ったのは法要の際に用いる「回忌」と「周忌」は殆ど同じ意味であること。一般的には一周忌と三回忌というように使い分けられているように思っていたのだが、どちらでもよいらしい。ちなみに、筆者は元宮内庁書陵部主席研究官とのこと。

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6 「日本の神社が分かる本」 菅田 正明 著  日本文芸社 2002年刊行 705円(2005/01)

 有名神社95社の縁起・祭神・ご神徳について書かれている。交通アクセスも掲載されている。一般向けに書かれた内容であるが、神霊学的な色彩も垣間見られるので純粋に民間信仰としての宗教学、民俗学的な解説を期待してしまうと、やや読んでいて辛いものを感じる。
 しかし、旧制度の社格、延喜式の神名帳などについて分かりやすく詳しく具体的に解説しているとともに、巻頭のQ&Aも神社の宗教法人としての現状についての説明など神社についての基礎知識として非常に有用な内容も多い。

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5 「神社と神々 知れば知るほど」 井上 順考 監修  実業之日本社 1999年刊行 1300円(2004/12)

 本社・本宮など著名な神社25社と伊勢神宮の詳しい紹介、生活に結びついた七福神、荒神、牛頭天王、庚申振興、屋敷神などの解説、さらに神社に祀られることとなった著名人だけではなく、義民といわれた佐倉宗五などに対する信仰も含め歴史上の人物についても収録されており大変分かりやすい記述が特徴。
 また、日本神話に登場する神々と神社の関係、神社建築、参拝の礼法、神職などについても記載されている。専門分野別の4名の著者による合作のため微妙に語法・表現の特徴が異なる部分が多少気になるものの、神社と神々に関する一通りの知識に出会うことができる。
 アマゾンのマーケットプレイスで格安で購入したので、きわめて投資効果の高い買い物だった。

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4 「日本人なら知っておきたい神道」(河出夢新書) 武光 誠 著  河出書房新社 2003年刊行 720円(2004/12)

  神道の原点、八百万の神々の世界、日本史の中の神道、宗教施設としての神社、祭祀と参拝の作法など多岐にわたり平易に解説している。神社、神道が様々な形態で人々の心の拠りどころとして現代に継承されていることが見えてくる。
 また、参拝の手順、玉串のささげ方、お祓いの受け方、神職になるには、祝詞の抜粋なども収録されていて、神社施設としての解説とあわせて一通りの神社についての理解が得られるようになっている。
 神社・神道というと靖国神社の政治的問題とダブって見えてしまいがちである。しかし、本来信仰形態としての神道は、「人々の心の中にある清浄なもの=常日頃、万物に神が宿ると考えそれを敬い信ずる」ことにより、敬虔で謙虚な姿勢を保ち続けることにある。そういう本来の姿が見えてくる。
 なお、この本の参拝の作法によれば賽銭は鈴の後にと書かれているが、「神社の見方」では鈴の前にとあり....どうもはっきりとしないのだが。 どうもはっきりしない。

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3 「神社の見方」(ポケットサライ) 外山晴彦・「サライ」編集部編  小学館 2002年刊行 1200円(2004/12)

  神社についてその視覚的な構成要素からビジュアルな分かりやすい解説がなされている。鳥居、注連縄、狛犬、眷属、灯篭。手水舎、拝殿、本殿、拝礼の方法、摂社・末社、建築様式などにいたるまでが僅か160ページに凝縮されている。宗教的対象としての捉え方ではなく身近な歴史的・伝統的存在としてアプローチしており神道に特別関心がない人にもお勧めの入門書。
 鳥居一つとっても様々な形態があり、その奥の深さを知ることができた。特に2拝2拍手1拝や手水についての写真入で掲載され、この歳で初めて正しい作法を知るに至った。信仰心は別としても、神社がより身近で面白い存在となること請け合いの好著。この本を持って近所の神社をウォッチングしてくれば、知的好奇心はかなり充足されるはず。値段の高さは、カラー刷りなので致し方なし。

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2 「日本の神々と仏」(プレイブックス・インテリジェンス) 岩井宏實監修  青春出版社 2002年刊行 700円(2004/11)

  中世の城跡めぐりをしているもので、必然的に神社・仏閣と遭遇することが多くなる。城館跡に祠、社寺が同居しているのけっしては珍しいことではない。ならば城館の全体像を理解するに当たり、近世の檀家制度により変質しているとはいえ、関係者の菩提寺であったり、その地域の人々の信仰、心の拠りどころであったそうした社寺などのことについて何も分からないのではちとまずい。あくまでも一般的な入門書ですが、読んでみるとこれが結構面白い。決して信仰を押し付ける立場の本ではなく、一定の距離を置いて信仰を民俗学的に扱った本なので。
 日本のあちこちにある八幡さま、明神さま、お稲荷さん、天神さまなどの神社、くらしの中の神々としての竈の神(荒神様)、屋敷の神そして参拝の作法などの神社にかかわること。神仏混淆と仏教の宗派の解説などの平易な知識も略述。由緒のある社寺から民間信仰にいたるまでを、自分のような全くの素人でも理解できる内容で書かれている。日本人として生まれたからには、やはり神仏についての一通りのことを知らねばという思いをさらに強くさせる。
 いきなり専門的な本を読むよりも、軽い気持ちでこうした定価700円位の新書版の平易な入門書を通読する。そして自分の関心のあるテーマを見つけたら、定価1300円位の「○○選書」のような本を読んで少し知識を深める。さらにその分野の多少専門的な用語や問題点が分かるようになったらいよいよ定価2000円を超えるハードカバーの専門分野の本に親しむ。こうした形で物事に対する知識と理解を広げていくことは結構楽しいのではないか。そんな気持ちにさせてくれる本です。これも神仏のご利益...。

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1 「旧暦で読み解く日本の習わし」(プレイブックス・インテリジェンス) 大谷光男監修  青春出版社 2002年刊行 700円(2004/11)

  仕事柄、旧暦についての余りの知識の乏しさに、一般的な入門書はないものかと探してとりあえず通読...うーむ、益々分からなくなってきたというのが率直な印象。
 旧暦の暦注の専門家の監修による本ではあるが、奥が深いことと同時に神道、仏教、道教、民間信仰などの宗教的要素に加えて陰陽五行説、十干・十二支、方位、六曜、月齢、24節気、旧暦の歳時記、節句、暦の歴史....。内容が多岐にわたり値段の割にはボリューム満点というより過剰気味の傾向があり、消化不良を起こしかねないくらいの内容。あくまでも自分にとっての話ですが。
 たとえば節分、24節気や節句だけに絞って1冊にまとめ、ほかの要素はコラムにまとめるという形の方が読みやすいし、頭に入りやすい。部分的に用語としての知識はあったとしても、これだけの要素を体系的に理解するのはなかなか難しそうである。
 ともあれ、たとえばお彼岸の「牡丹餅」と「お萩」がその時期に咲く花の名に因んだもので、全く同一のものを意味することなど、目からうろこの事柄も豊富で、旧暦生活の不便な反面季節の移り変わりとともに生きるという暖かい人間らしさを感じる。そうした内容がが多いだけに、益々わが身の知識不足を呪いたくなる。
 ただ一ついえることは、新暦に旧暦の年中行事を無理やり当てはめている現在の世の中は、かなり滑稽であるということを確認できた。たとえば元旦、立春、桃の節句、端午の節句、七夕、中秋の名月などの年中行事だけでも旧暦の日にあてて行うべきでは。そのほうがよほど文化的な香りがすると思うが。
 2週間も前から書くことなどをせずに旧暦の元旦に年賀状をしたため、3月の春到来の季節に節分の豆まきをする。まさしく桃の花の咲く頃(現在は梅の節句になっている(^^;)にひな祭りを祝い、8月の上旬に星祭を行う(梅雨時ではないので天の川は見やすい、だから仙台の七夕は正しい!)....こちらの方が人間的にも自然であり理にかなっていると思いますが。

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