アクセスありがとうございます。  主として歴史小説、時代小説の読書記録です。  
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 1 戦国関東血風録(伊東 潤)  2 悲運山中城(伊東 潤)  3 しゃばけ(畠中 恵)  4 ぬしさまへ(畠中 恵)
 5 ねこのばば(畠中 恵)  6 おまけのこ(畠中 恵)  7 虚の舞−織田信雄と北条氏規  8 女信長(佐藤 賢一)
 9 里見義堯(小川 由秋) 10 佐竹義重(近衛龍春) 11 武田家滅亡(伊東 潤) 12 墨攻(酒見 賢一)
13 松明あかし(国分 ヒサ) 14 水の城(風野 真知雄) 15 桶狭間の勇士(中村 彰彦) 16 信長の棺(加藤 寛)
17 最上義光  (中村 彰) 18 のぼうの城(和田 竜) 19 哄う合戦屋(北沢 秋) 20 孤闘 立花宗茂(上田秀人)
21 光秀の定理(垣根 涼介)

 
21冊


21 「光秀の定理」 垣根 涼介 著  角川書店 2013年刊行 1600円(2014/8)

 架空の人物である兵法者玉縄新九郎と僧侶愚息の二人に明智光秀と細川藤孝が絡み、15代将軍擁立の過程、信長の上洛と六角氏平定などを軸に記された歴史小説。架空の登場人物である二人の自由で栄達や権力志向とは無縁な生き方の痛快さはエンターテイメント小説としても心地よい読後感をもたらす。
 「平城の山城」といったような山城の記述に関しては些か資料の渉猟を欠く傾向があるが、ミステリ小説が本業であり歴史小説分野執筆の実績が少ないことを考慮すればやむを得ないことなのかも知れない。
 なお数学におけるベイズの確率論(定理)について丁寧な記述がなされているが、思考能力が低下しているせいか未だによく分からないことが口惜しい。

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20 「孤闘 立花宗茂」 上田 秀人 著  中央公論社 2012年刊行 686円(2013/3)

 豊前大友家の重臣の家に生まれ、波乱に満ちた立花宗茂の生涯を描いた歴史小説。宗茂は大友家の重臣である高橋家の嫡男として生まれたが、若くして西の大友とも呼ばれた立花道雪の養子となり、長じてその家督を継承した。しかし、主家である大友家の衰退により、薩摩の島津家の攻勢に晒され、結局実家の高橋家は滅亡してしまう。
 しかし、豊臣秀吉による九州平定に従い戦功を挙げて、破格の筑前12万石の大名へと上り詰める。ところが、関ヶ原の合戦において西軍に与したために、敗北しその所領をすべて喪失する。その後、小藩ながらも奥州棚倉藩主へと返り咲き、やがては筑後柳川藩主田中家の断絶に伴い柳川藩主として九州の地へと復活を遂げる希有な一生を送った。
 養子として入った立花家での置かれた立場の苦しさのなかで、次第に戦国時代の名将として成長を遂げていく過程に力点の置かれた作品として仕上がっている。

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19 「哄う合戦屋」 北沢 秋 著  双葉社 2009年刊行 1400円(2011/6)

 時は天文年間の末、中信濃に割拠する小豪族の「軍師」を主人公にした戦国時代小説です。小説の前半では山間の小豪族間同士の領地争いの様子がリアルに描写され、後半では甲斐武田氏の信濃進攻を背景としたなかで翻弄される旧勢力、国人衆の姿がフィクションとは思えないほどの存在感を感じさせてくれます。登場する地名などから推定すると保福寺峠、武石峠に近い小県郡、東筑摩郡辺りが、その舞台となっているように思われます。

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18 「のぼうの城」 和田 竜 著  小学館文庫 2010年刊行 457円(2011/6)

 忍城の攻防戦を題材とした歴史小説。主人公城代成田長親は全くつかみどころのない人間として描写され統率力、決断力、状況判断力に優れた人物とはかけ離れた存在として描かれる。彼自身の独白・心理描写も少なく主人公としての際立った活躍は無いに等しく周囲の脇役が活躍する展開。頼りない人物を演じているのか、生来のものなのかも最後まで明確にはされずその判断は其々の読者へと委ねられる。
 史実の成田長親も実在の人物であったが、忍城の攻防戦の際に城代を務めていたという以外には事績の分からない人物でもある。40倍の大軍と対等に干戈を交えたとも伝わる忍城攻防戦の謎はますます深まる。映画化され2011年に公開予定。

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17 「最上義光」 中村 彰 著  PHP文庫 2006年刊行 571円(2010/11)

 最上郡山形の領主から天童氏、白鳥氏、寒河江氏を滅亡させて次第にその勢力を拡大。関ヶ原合戦時においては奥羽最大の会津120万石を領した上杉景勝の動きを封じ、一躍出羽57万石の太守へと飛躍した最上義光(もがみよしあき)の生涯を描いた歴史小説。しかし義光没後の元和8年(1622)には家督相続をめぐる騒乱を理由としてあえなく最上家は改易となる。
 1987年に叢文社より刊行された「修羅鷹最上義光」を加筆改題した作品。

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16 「信長の棺」 加藤 寛 著  日本経済新聞社 2005年刊行 円(2010/08)

 天正10年の本能寺の変で織田信長は非業の死を遂げる。信長の事績を記した第一級の同時代資料として定評のある「信長公記」の著者太田牛一(通称を又介、諱は信定)を主人公とした信長の遺骸(遺骨)捜索をテーマとした歴史ミステリ小説。
 当時信長の遺骸を埋葬したとされる阿弥陀寺の清玉上人の出自、本能寺と南蛮寺を繋ぐ地下道、秀吉の本能寺の変への消極的加担の様子などが解き明かされる。
 著者75歳にしての文壇デビュー作品であり当時ベストセラーとして話題になったもので、あくまでもフィクションの領域ではあるが、「信長公記」や「本能寺の変」を考察するうえではひとつのヒントを示唆する作品であるといえよう。

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15 「桶狭間の勇士」 中村 彰彦 著  文藝春秋 2003年刊行 円(2010/05)

 確か2009年頃には読了していものと記憶。しかし内容が殆ど記憶にないために再読したが、そこである問題が発生してしまった。
 偶々続けて「桶狭間合戦」関連の書籍を読んでいたたことが災いして、「信長公記」等の史料あるいは谷口克弘氏の著書などと逐一照合する悪癖が抜けきれず。 つまり「歴史小説」として読み進むよりも、どごまでが作者の創作かどうかなどについて確認しながらの読書に。本来は脚色やフィクションを含むエンターティメントとして了解すべき性格のもの処。けれども実際には些細な個所まで一々調べることにより結果的に付箋とメモだらけになるという嫌味な性癖に自己嫌悪も...
 主人公は言わずと知れた桶狭間合戦で名を揚げた「毛利新助」(⇒のち本能寺の変で信忠とともに討死を遂げたとされる)と「服部小平太」(⇒のち秀吉に仕えて松坂城主となったものの、羽柴秀次の処断に連座して切腹したと伝わる)の両名。
  桶狭間合戦以降においての詳細な事績については余り明確とはいえない二人のその後の物語が中心。 美濃岩村城への使者、三方ヶ原合戦、武田氏の滅亡、小牧長久手合戦、本能寺の変、羽柴秀次改易事件とすすんでゆく。 毛利新助の血筋は絶えたが、寛政重修諸家譜によれば服部小平太の一族は徳川家に仕えて旗本として続いたとのこと。

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14 「水の城−いまだ落城せず−」 風野 真知雄 著  祥伝社 2001年刊行 円(2009/12)

 天正18年(1590)豊臣秀吉の関東侵攻により後北条氏が滅亡。小田原城の開城後も最後まで抵抗を続けたとされる成田氏本拠である忍城の攻防を描写した時代小説。岩附城、八王子城などに比べて遥かに小規模で兵力の劣る平城が何故1か月以上も籠城し持ち堪えられたのかを解き明かすストーリィ。
 氏長系の宗家は、後に烏山城主として3万7千石の大名となったものの家督争いにより改易。一方庶家は尾張藩に仕えて「成田氏系図」を遺した。氏長の娘甲斐姫は後に秀吉の側室に。なお氏長の従兄弟である主人公成田長親に関しては、「戦国合戦大事典2」(新人物往来社)に城代として記されているがその詳細は不明。

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13 「松明あかし」 国分 ヒサ 著  歴史春秋社 2000年刊行 1260円(2008/06)

 鎌倉以来の名族二階堂氏の流れを汲む戦国時代末期の須賀川二階堂氏滅亡の物語で、その主人公となるのは女城主としてその名を残したとされる二階堂盛義正室大乗院。天正17年(1589)の伊達政宗の攻勢に落城・滅亡した二階堂家の事跡を背景に「日本三大火祭」のひとつといわれる「松明あかし」のルーツに迫るという趣旨の書き出しに始まり、古記録や軍記物などを基礎史料として丹念に女城主大乗院の生涯を描き出そうとしていますが、大乗院の内面性に対する掘下げ、甥である政宗との確執の背景描写などに不足を感じるとともに、後北条氏の滅亡時期の記述に明らかな誤りも見受けられます。
 児童文学の色合いが濃い文学作品とはいえ、残念ながらいまひとつ物足りなさが残ります。

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12 「墨攻」(新潮文庫) 酒見 賢一 著  新潮社 1994年刊行 362円(2007/08)

 中国紀元前の古代、文字通り諸子百家が輩出された戦国時代が舞台。墨子を教祖とする謎の教団を専守防衛の軍事顧問団として設定し趙の大軍から小国梁を守る主人公革離の超人的な活躍が読みどころ。また古代の雲悌、衝車などの攻城兵器、連弩車、火そつなどの防御兵器、都城の外郭の構造など興味深く読めます。中島敦記念賞を受賞した著者の出世作で、本文は140ページほどの短編のため、文庫化にあたって著者のあとがきが16ページと解説が8ページが付され内容がさらに充実。
 そういえば「墨守」とは墨子が宋の城を固守して楚の軍勢を退けた故事に基づく成語でありました。(「大辞林」「大辞泉」「広辞苑」ほか)

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11 「武田家滅亡」 伊東 潤 著  角川書店 2007年刊行 1900円(2007/05)

 武田氏の急速な滅亡の一因には、名門武田家の後継者でありながらその出自から勝頼の当主としての求心力に限界のあったことと同時に、武田家の財政基盤を支えてきた金山の枯渇による財政破綻に求めるという視点は興味深いものがあります。
 主人公である勝頼夫妻以外の脇役にも複数の魅力的な人物が配され、ひたひたと滅亡に向かう武田氏の苦境がそれらの人物の行動とともに克明に描写されています。信濃先方衆の一人として登場する伊奈の地侍宮下帯刀はまさにその一人。高天神城の守備兵の一人という地味な役回りであるにも拘らず、そのしたたかで堅実な生き様には作者自身のイメージする戦国武士の理想像が投影されているようにさえ思われます。
 なおたまたま、この著書を読んでいる最中に天正7年に勝頼が城攻めを行ったとされる「広木大仏城」(埼玉県児玉郡美里町)の比定地を訪れる機会がありました。南北方向に細長い丘陵の先端部は斜面の勾配もあり水田面からの比高差は25メートル前後。人工的に削平された地形、切岸状の斜面、謎の溝跡なども所在。戦国期の遺構であるかどうかの判断が難しいところですが、のどかな中にも当時の戦火で消失したと伝わる常福寺の周辺を含めて歴史的な味わいを感じさせる田園風景が広がっておりました。

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10 「佐竹義重」 近衛龍春 著  PHP出版 2006年刊行 743円(2007/01)

 上杉謙信亡き後に後北条氏の関東制覇に対して常陸、下野、下総の豪族を糾合して立ち向かい、一時は奥州南部まで版図を拡大した戦国大名を主人公とした歴史小説。歴史的な根拠明示するために時折現れる中世文書の引用が、歴史的事実としての裏づけを強化するという役割よりも、詳説としての流れに棹を指すと感じられる部分が散見されます。
 また局地的な戦国時代の合戦の模様もその動員数や合力の実態を極力忠実に再現している点は好感が持てます。なお、巻末の参考文献一覧と佐竹義重年譜は佐竹義重の事蹟を調べていく上ではかなり重宝。

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9 「里見義堯」 小川 由秋 著  PHP出版 2005年刊行 686円(2006/12)

 江戸湾の対岸に後北条氏の圧力を受けながらも、一時は房総の地にその覇を称えた戦国時代里見氏中興の祖といわれる里見義堯とその重臣正木氏などの活躍と共に描いた歴史小説。一族の内紛に始まり次第に近隣の豪族を糾合して後北条氏と正面から戦うだけの勢力を拡大していく過程は読み応えがあります。
 真理谷武田氏、土岐氏、原氏、千葉氏などの余り馴染みのない一族も登場し房総の戦国時代の概要を把握するには手っ取り早い小説です。

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8 「女信長」 佐藤 賢一 著  毎日新聞社 2006年刊行 1800円(2006/07)

 「織田信長は女性だった」というフィクションに基づく直木賞作家の歴史小説。従来は西洋史を題材とした作品が多い中では異色のもの。確かルイス・フロイスの「日本史」の記述の中に、信長の肉声を表現した個所があり「その声は甲高い声であった」との記述があったような。現代に伝わる有名な信長の肖像画から伝わる印象も、確かに男性的というよりも女性的な線の細さが感じられることは事実ですが。
 明智光秀が後に天海大僧正となったとの逸話も取り込んだエンタテイメント性の高い内容。しかし、信長が女性であったということをごく限られた数人の人物にしか知られていないという設定には、如何せん些かの無理がありそうです。それにしても毎日新聞一筋で32年間の愛読者であるにも拘らず、その連載中には一度ももを通したことが無かったのでありました。

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7 「虚けの舞-織田信雄と北条氏規」 伊東 潤 著  彩流社 2006年刊行 1900円(2006/04)

 織田信雄と北条氏規を主人公とし、その半生を描いた歴史小説。天下人織田信長の次男でありながらその恵まれた境遇と多くの機会を生かすことのできなかった凡庸な人物の代表格とされる信雄。武将としての才能が横溢するものの、その境遇と機会に恵まれることのなかった氏規。天正18年の秀吉の関東攻略の際に成田氏の忍城と共に大いに善戦したとされる伊豆韮山城をめぐる息詰まる攻防と氏規の機略溢れる戦術描写は、周辺の砦群の配置を含むその詳細な縄張り図の掲載と共に戦国城郭に関心を寄せるものにとっては読み応えあり。
 また、権力者秀吉によりもたらされた「清洲会議」「小牧・長久手の合戦」「小田原の役後の改易」などの屈辱のなかで、信雄自身が次第に自分自身の能力とその役割に覚醒していく様子は、これまで余り顧られることの少なかった信雄とその人物像に新たな魅力を投影している。
 そののち豊臣氏やその恩顧の大名の大半が敗北・改易などにより滅亡していく中で、共にその最盛期と比較すれば少禄の外様大名ではありながらも、最終的には織田家と北条家の家名を後世に伝える礎となった信雄と氏規。こうしためぐり合わせは、見方を変えればこの二人の生き様に対する正当な天の配剤なのかもしれない。

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6 「おまけのこ」 畠中 恵 著  新潮社 2005年刊行 1300円(2006/02)

 シリーズ第4弾となる、連作短編集。鳴家(やなり)の一匹が主人公となる「おまけのこ」での鳴家の冒険物語が楽しい。柴田ゆう氏の作画によるキャラクターをテーマにした「鳴家てぬぐい」(抽選で1000名様に当たる!と文庫版の帯に記されていた)を応募しておけばよかったなどと思ったりしました。

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5 「ねこのばば」 畠中 恵 著  新潮社 2004年刊行 1300円(2006/02)

 シリーズ第3弾。本性は犬神の佐吉が仕えた昔の若旦那との悲しい物語がテーマの「産土」、貧乏神が登場する「茶巾たまご」ほか3作品による連作短編集。やはり歴史関係の研究書などとは異なり、小説は読むスピードが速く一冊あたり2時間から3時間で述べ2日もあれば読めてしまうのでありました。

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4 「ぬしさまへ」(新潮文庫) 畠中 恵 著    2005年刊行 476円(2006/02)

 シリーズ第2弾となる主人公である一太郎の出生の因縁に繋がる短編「仁吉の思い人」を含む6編から構成される短編集。ほかに主人公の異母兄松太郎のサイドストーリーの「空のビードロ」などが収録され脇を固める登場人物のキャラクターの深まりがシリーズ全体に深みを与えています。また、時々登場する鳴家(やなり)を始めとした妖怪の挿絵そのものの可愛らしさもこのシリーズ好評の要因かと。

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3 「しゃばけ」(新潮文庫) 畠中 恵 著  新潮社  2004年刊行 514円(2006/02)

 江戸時代を舞台に廻船問屋長崎屋の一人息子の若旦那とその周りに集う妖怪たちが周囲で起きる難事件を解決していくというスタイルの時代小説ミステリ。若旦那である一太郎は生来人並みはずれた虚弱体質だが正義感が強く頭脳は明晰で、手代として奉公している二人の妖怪とともに時々寝込みながらも事件の解決に当たっていく。おもしろいミステリの不可欠の要素として「魅力的な主人公」「論理的な筋運び」「あっと驚くドンデン返し」という視点で捉えると、主人公自体は格好の良いヒーローでもなくどちらかといえばその対極にいるようなすぐ体調を壊す半病人。妖怪が登場するぐらいなので論理的な展開にも余り縁がない。目を剥くようなドンデン返しがあるかというとそうでもない。
 妖怪がぞろぞろと登場するので、おどろおどろしい中身かといえば全く正反対の明るいユーモアのある場面が多い。ひとえに時に人間よりも人間らしい情愛を示す妖怪たちのキャラクターの多様さと、主人公との掛け合いの暖かみががこの小説を魅力的なものにしています。

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2 「悲雲山中城--戦国関東血風録外伝」 伊東 潤 著   叢文社 2004年刊行 760円(2004/06)

 秀吉の関東制覇の前に脆くも敗れ去った男達への鎮魂歌。  中世の城跡に関心を持ち始めたばかりなので小説のテーマとしてはまさに格好のものでした。攻撃側の一方的で凄惨な戦いは1日足らずで終焉し小田原北条氏滅亡の序曲となるのですが、わずかに残されたひとびとのその後に多少の救いが残ります。筆者も意図する小田原評定に代表されるマイナスイメージの多い後北条氏の復権が期待されます。後北条氏、戦国期の山城のファンにとってはぜひともお奨めしたい力作です。
 主人公は小田原衆所領役帳に約700貫の知行を与えられている間宮康俊という玉縄衆の築城技官のような職務の武将です。当時の軍役に関する資料によると、大体5貫につき雑兵1名を召集することができたとされていますので、自らの兵力はせいぜい200名足らずの編成で岱崎出丸に他の中小領主とともにたてこもりあわせても数百人の人数で、圧倒的な人数の秀吉軍の前に敗れ去ることとなりますが、そこに運命づけられた爽やかな敗者の美学を感じます。

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1 「戦国関東血風録--北条氏照修羅往道」 伊東 潤 著 叢文社 2003年刊行 (2004/09)

 北条氏照と乗馬の名人であるその家臣中山勘解由家範らの活躍を中心にした歴史小説。徳川家の関東入府により100年にわたる北条家の関東支配の痕跡は殆んど払拭されている。しかし、北条家が着実に関東の支配権を確立していったことは紛れも無い事実である。その支配の仕組みは兵農分離を行わず在地領主を巧みに取り込み、乾いた台地に水か沁みこむようにじわじわと浸透していったことにあるようである。謙信や信玄はその強大な権威や軍事力をたてに数度にわたり関東に侵入するものの、極めて一時的な点の支配にとどまっていた。それは領国としての支配を目指すというよりも、略奪を基本とした乱暴・狼藉の戦いであったのではないだろうかと考えさせる。そのことは彼らが引き上げた後は、また北条家の支配下に戻るという構図が繰り広げられたことからみても明らかなようである。
 それにしても、敗者である北条家の陪臣に過ぎない在地領主中山家の子孫たちの近世における繁栄隆盛には目を見張るものがある。高禄の旗本、水戸家の家老職、果ては三万石の大名というように敗軍の一武将の子孫たちの取り扱いとしては極めて破格の処遇であろう。北条家の家臣たちの多くは帰農し名主などの有力農民に戻ったものも多いはずである。彼らを軸にした一揆などの反乱を防ぎ、徳川家の関東支配を揺るぎないものに作り上げていくためにも、八王子に千人同心が置かれたことと合わせて、敗軍の英雄としてのシンボル的な存在が求められたからなのだろうか。
 また、北条氏は軍事的に敗退するという必然性があったにせよ、氏照がもしも小田原城に入場せずに八王子城で6500名の城兵とともに篭城したとしたら、その後の合戦の様相は和戦も含めて一体どのような展開を見せたのか、興味深い問題ではないだろうか。さらに、いささか遅きに失する感もあるが、八王子城の縄張りについては予備知識が余りなかったもので、その城域のスケールの大きさや防御機能などの特徴について体感すべく、現地に赴く必要性を痛感した次第である。B6版502ページ2段組の大作。

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