( 2005/07/11 撮影 )
|
■深谷市総合体育施設ビッグタートルの建物のあたりに中世城館を想定できるような三ヶ所の郭跡と掘立柱建物跡、井戸跡などが確認されたということですが、そうした記録や伝承の類は遺されてはいないとのことでした。 確かに「大きなカメ」に似ています、建物もそうですが仙元山の方も...。
|
|
■近年設置されたと思われる歌碑が仙元山の南東側丘陵の林の中に点在していました。
|
|
|
■周辺の地域とは50m以上の標高差があるようで、浅間神社に向かう参道の途中からは人見氏館のほぼ全貌が確認できます。現在眺望が優れているのは南側の一部だけですが、樹木が少なければ深谷地域は深谷城の方角も含めて360度見渡すことができるはずです。 |
|
■深谷上杉氏が勧請したと伝わる富士浅間神社は日本全国に1300社を数え、農業、漁業、火除け、安産、酒造りの神として名高い「木花開耶姫命」(コノハナサクヤヒメノミコト)を祭神としています。 |
|
|
■浅間神社の社殿の所在する場所は仙元山山頂にあり、郭といってもよいような細長い平坦に削られた地形をしていました。 |
|
■浅間神社参道の中腹から見た深谷上杉家の墓所のある昌福寺境内。なお、写真の中の高架橋は上越新幹線。 |
|
|
■歌碑が点在するビッグタートルのすぐ北側の丘陵と浅間神社の所在する丘陵は自然の谷によって南北に分かれていますが、見れば見るほど如何にも「要害」らしく見えてくるので困ります。 |
|
■南側から見た曹洞宗人見山昌福寺と仙元山の丘陵。昌福寺自体が深谷上杉氏により仙元山を背にして建立され、その山頂には浅間神社が鎮座するという状況です。 |
|
|
■深谷市の史跡に指定されている深谷上杉氏の墓所。第5代房憲と第8代憲盛の二体の宝篋印塔がそれであるらしいのですが... |
|
■曹洞宗人見山昌福寺の本堂。深谷市内の小学校と思われる高学年の小学生の一行が写生の真っ最中でした。 康正2年(1456年)に深谷上杉氏第5代上杉右馬助房憲が開基したと伝えられています。 |
|