( 2006/04/26 )
凸産廃の郭跡が形成
国道17号線加納交差点南東の角が目指す屋敷跡。したがって交差点近くには外食レストランの「馬車道」が所在しているというような交通量の多い地域。屋敷跡の大部分は産業廃棄物を埋め立てを完了したと思われるような平坦な台地状の人口地形が残っているものの、北東部分には明らかに堀跡とわかるやや幅の広い溝が残されていました。もっともその場所も家電の不法投棄やらでゴミだらけの状態ではありましたが。
目的地が国道沿いということもあり、大分離れたお寺の駐車場に駐車させてもらったために、この場所に到達するまで徒歩で20分ほどの時間を要しました。しかしそのお蔭で、途中の平地林の手前にて、おそらく構堀と思われるような一部折のある延長50mほどの連続した地面のくぼみに出会いました。
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平地林沿いの堀跡には電化製品を始めとして様々なゴミが散乱。また写真の左側は産廃の埋め立てにより堀跡に沿った台地が形成。このため現在でもちょっとした得体の知れない水溜りとなっているのであまり近づくのは危険な様子でした。したがって、いずれにしても何処までが本来の堀跡であったのかがあまり判然としない状況でした。
( 2006/04/26 撮影 曇り )
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■1■産廃の台地の先に
手前左側の広い台地状の地形は産廃の埋め立てによるものと思われますが、さらに表土が流出していて古畳などの廃材が露出しているというようなとても悲しい光景が展開していました。
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■2■通称「松山道」から
この道路沿いにも堀跡らしき窪みが確認できますが、空き缶・ペットボトルを始めとしてポリ袋に入った家庭用ゴミが至るところに散乱。城館跡の探訪というよりも、どう見てもゴミの不法投棄の監視をしているようにしか見えないと自己分析を。
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■3■別の堀跡?
小高屋敷北東約200メートル付近に所在する平地林の北東側に、おそらく構堀と思われるような一部折のある延長50mほどの連続した地面のくぼみがありました。自然に形成された雨水の流路にしてはやや規模が大きく、幅が2間以上、深さは推定でざっと50cmほどはあるように思われました。古い畦堀か農業用水とも考えられますが、果たしてその真相は。
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・国道17号線加納交差点の南東角、レストラン「馬車道」北東の平地林周辺。
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市)
「桶川市史 通史編」(1990/桶川市)
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