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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/09/20の日記 玉井陣屋 別府城 東別府館 西別府館
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態2 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合22
所在地
埼玉県熊谷市上奈良在家702
歴史と沿革

保元の乱、承久の乱そして戦国時代にも足跡を残していた奈良氏
 奈良氏については「新編武蔵風土記稿」の上奈良村の条、妙音寺の項に「奈良三郎の墓」とともにその開基として記されています。また同稿には奈良氏が当地に居住していた旨の推定を行っているものの、館跡などについての具体的記述もないので、19世紀の初めにおいてもすでに館跡に繋がるような遺構は存在していなかったということなのでしょうか。奈良氏は「成田氏系図」によれば成田氏の祖である助高の子三郎高長が奈良氏を称したことを示しています。
 なお同系図によれば、このとき長男太郎助広が成田氏を継承し、次郎行隆が別府氏を、四郎助実が玉井氏を称したとされ、保元物語では鎮西八郎為朝との戦いである白河夜討の条に源義朝の従兵としてこの三人の名が登場します。
 東鏡では、建久元年(1190年)の源頼朝入洛に際して後陣の三列縦隊の先頭から39番目の随兵として別府太郎義の名とともに奈良五郎高家(「成田氏系図」によれば三郎高長の子)の名が見えます。また同様に建久6年(1195年)の頼朝の東大寺供養の行列にも高家の名が見えます。更に承久の乱(1221年)の鎌倉方で戦功のあった武士の中に五郎高家や奈良兵衛尉などの名も見えます。更に時代は下って、16世紀後半の天正年間に成立したとされている「成田家分限帳」によれば、「永楽 奈良下野 三十貫文」として恐らく軍役にして4人程度の小規模な在地領主としてのその名が見えています。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■下記の写真のように現在周辺は妻沼低地の水田地帯であり、館跡の南北を慶長年間に開削された玉井用水と奈良用水が流れていますが、周辺は元来天然の水路があってもよいような地理的条件で、妙音寺の境内は館跡と推定される場所の南端部分に位置しているようです。
 なお、同族の玉井四郎の館とされる玉井陣屋は玉井用水の水路を挟んで西北西約800メートルの位置に所在しています。また、近世に上中下の三村に分かれた奈良村は中世においては奈良郷として一つの村であったとされています。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編1古代」(1987/埼玉県)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 資料編7中世3記録1」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「熊谷市史通史編」(1984/熊谷市)
「成田家分限帳」(鷲宮町史資料編四 1983/鷲宮町)    

文化財指定
なし、ただし奈良三郎の墓は1955年11月3日に史跡として熊谷市が指定しています。
訪城年月日
2005/09/20
訪城の記録

( 2005/09/20 )
雨は次第に強くなり
 玉井陣屋のあと更に雨は降り続きもう戻ることにしようとも思ったのですが、車で5分もかからない場所なのでとりあえず行ってみることに。ここも現在はお寺になっているので、場所そのものについては直ぐに分かりました。しかし奈良氏の墓所については、暫く小雨の中妙音寺の境内をあちこち歩き回ったもののとうとう見つかりませんでした。雨さえ降っていなければ、はたまた傘さえあればなんとしても探し出すところなのですが、このあと雨はいよいよ本降りとなり、いったい今日は城館跡めぐりとしての収穫はあったのだろうかと自分自身に問いかけつつ、一路帰途へとつきました。これからは何はおいても、天気だけはしっかりと確認しなくてはと心に強く刻み込んで。

記念撮影

 南側から見た奈良氏館跡とされる真義真言宗妙音寺境内。雨が強いのでこの通を通って境内へ向おうとしたのですが、舗装部分が2m足らずの細い通なので危うく脱輪しそうになりました。
 館跡の南北を慶長年間に開削された玉井用水と奈良用水が流れていますが、周辺は元来天然の水路があってもよいような地理的条件です。
 ( 2005/09/20 撮影 雨 )
訪城アルバム
画像クリックで拡大 妙音寺境内の画像
■@■
 この妙音寺は奈良三郎藤原頼尊が開基したと伝えられています。

画像クリックで拡大 熊谷市文化財の標柱
■A■
 熊谷市の設置した指定史跡の標柱が長年の風雨に晒されて文字も読みづらくなり、幾分水田よりに傾き始めていました。
交通アクセス

・JR高崎線籠原駅より徒歩40分 MapFan Web の案内図です  

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