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・2005年9月30日    久しぶりに蕎麦にありつけた
           

 今月9月なんと5回目の城址めぐりです。最近は丸1日かけて目いっぱい何か所も回ることを控え、3、4ヶ所程度に留めるようにしています。HPの更新作業の関係、貧弱な記憶力、低下する一方の体力といったことがその背景にあります。

凸増田氏館(埼玉県大里郡江南町)
 同様の名称の遺構は深谷市にも所在しているのですが、こちらは江南町の文珠寺の境内にあります。本堂裏手西側の内堀らしき遺構は本堂の拡張工事により大半が消滅していますが、現在でも南北のそれぞれ端の方に多少の堀跡らしき遺構が確認できます。また、もちろん西側と北側の土塁と空堀は健在で、特に西側では二重の土塁に挟まれた空堀の形が今でもはっきりと確認することができます。文珠寺の境内地であるため空堀跡もよく整備されているので、この時期でも堀底がしっかりと確認できるというのは大変ありがたいことです。しかし、薮蚊と蜘蛛の巣はまだまだ健在ですので、草木の落葉した時期に来るほうがベターかと思いますが、北側の遺構の東側は孟宗竹の竹林のため、冬季でもかなり見づらいと思われます。
 増田四郎重富は古河公方足利成氏の家臣であったとされており、「新編武蔵風土記稿」では、深谷市の増田氏館の主として、また比企郡小川町の高見城の城主としても登場します。また、この文珠寺は増田四郎重富が中興開基したと伝えられていますが、文殊菩薩は学業関係のご利益があるということで受験生徒に人気があるようです。なお、大正大学のキャンパスと北側の堀跡は道路をはさんで向かい合っています。
 なお、本堂に賽銭を入れてお参りすると自動的に防犯用のスポットライトが点灯し、梵鐘が一回鳴り響きますので思わず笑い出しそうになってしまいました。
 
凸成沢館(埼玉県大里郡江南町)
 深谷上杉氏関係の城館の一つらしく関東管領上杉憲政の時代に武田氏に対する備えとして築かれたと静簡院の入口の説明版に記載されていました。自分の見た限りにおいて、現在遺構として確認できるものは本堂北側の農道沿いの長さ30m、高さ1.2から1.5mほどの土塁だけでした。しかし、南北の地形をよく見てみるとそれぞれに水路が東から西へ向けて流れる浅い谷が形成されており、比高差は北側で約3m、南側の少し離れた所では5m以上あり、東西にのびる細長い台地の上に所在していることが分かりました。
 ここでは、延々とご詠歌が流れています。最初はどなたかの法要かとも思いましたが、ご本尊のお参りの際によくよく見てみると本堂の正面の壁にスピーカーが据付けられていてそこから流れていたものでした。

凸谷縁館(埼玉県大里郡江南町)
 この場所に向っているはずが、何故か先週の26日に訪れた塩館の前に出てしまいました。途中の二差路を右に行くべき所を見落としてしまったようです。せっかくなので道端のコスモスの写真を撮影してから、先週食べ損なった蕎麦を食べに行きましたということで下記の話に繋がります。しかし、営業時間は午後2時まででしたので午後1時30分という時間は滑り込みセーフの状態でした。
 場所は余り分かりやすい所ではなく、地図を頼りに雑木林の次第に草に覆われていく幅員3mほどの道を進んでいきますと、左手に資材置場や閉鎖された産業廃棄物の処分場などが現れ、やがて左側にいくらか雑木林の開けた場所が現れます。周辺を探索しましたが恐らくこの場所から進入していくのが正解のようです。いずれにしても季節的には真冬向きのようで、まだこの時期では蜘蛛の巣、薮蚊は別としてもつる性植物や木々の枝や繁殖する雑草のため身動きが難しいばかりでなくほとんど視界が確保できませんでした。恐らく外側北東側の土塁ではないかと思われる遺構が確認できただけで、あとは「サバイバルゲーム」の競技場となっているらしく、あちこちにプラスチックの小さな丸い弾が散乱し細かいことを言えば資源ごみの不法投棄となる訳で...などと独り言を言いつつ撤退。人里はなれた館跡北側の林の中に、何故かポツンと「うなぎ屋」があるのを見つけたのですが、どうも記憶のある店構えで。そういえば20年ほど以前に江南町のうなぎ屋に家内の親類と食事しに来たことを思い出しました。そのときは日没後に来たので周囲の状況が見えませんでしたが、間違いない店構えとその所在地...あれからもう20年以上が...城館めぐりで再び目のあたりにするとは。


「そば茶房やしろ」「とろろ蕎麦大盛」
■「とろろ蕎麦」大盛1050円也、小花の生花はテーブルの飾りです。

「そば茶房やしろ」にて
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「コスモス」
■ついでの「コスモス」
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 先日26日の月曜日は定休日のため食べ損ない、そのまま昼抜きと相成りました。埼玉県内に限られますがこれだけあちこちウロウロしていると、個人営業の蕎麦屋でいつか行ってみようとあたりをつけている店は少なくありません。しかし、月曜定休日若しくは休憩中がおおくて、結果的になかなかありつけず昼食確率50%というところです。
 この店は月曜と火曜日が定休日で営業時間は午前11時から午後2時までで、そば打ちの関係からか蕎麦が無くなり次第終了という遠慮深い営業方針のようです。店の入口だけ見ると随分と狭そうに思いますが、小あがりに4テーブル15席以上、集合テーブル2か所で15席以上で茶房の名の通り喫茶店のような店内の雰囲気です。そばは細めでやや固めの二八そばで、まだ新そばには少し早いようです。
 先週小川町方面で彼岸の帰りに食べた評判の蕎麦が味も店内の雰囲気もいまひとつであったのに比べ、今回は店の雰囲気について自分の好みとしては最高点の部類ではないかと。スタンダードなジャズ&ポップスが流れ...確かあの曲は「セプテンバー・ソング」か「ニューヨークの秋」だったような。比企郡小川町から熊谷に抜ける県道沿いの右側、ゴルフの熊谷ショートコース300m先、八幡神社の前、バス停塩八幡前にあります。江南町、熊谷市方面には、まだあと2回以上行く必要がありますので、ぜひもう一度立寄ってみようと思っています。

撮影:2005年9月30日
撮影場所:埼玉県大里郡江南町塩

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・2005年9月29日    久しぶりの肉代労働
           

 仕事で久しぶりの肉体労働をしてしまいました。元々両膝の具合がよくないので前日にテーピングとサポーターで武装して出動。現場は稲刈りの終了した水田で、仕事に使用する稲藁を確保備蓄するために総勢10名による稲藁の収束と運び出し。約2時間30分ほどで2台のトラックに満載して帰還し、そのあとは稲藁の天日干しの作業を継続。元々膝はガタガタですが、爪の間に籾殻を刺したりして7時間以上経過してもまだ痛みが残ったりで散々な一日。あ、腰も痛い...


「コスモス」「コスモス」
■「コスモス」
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 これとって特徴のないどこにでもあるような首都近郊の秋の風景のひとこまです。どうやら7月の下旬に枯れてしまった向日葵まこぼれた種から花が咲き、結果的にコスモスと仲良く同居することになったようです。

撮影:2005年9月29日
撮影場所:埼玉県三芳町

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・2005年9月26日    午後から江南町方面へ
           

 午前中に家族の所要を済ませることができましたので、午後からは城館跡を訪ねて予定通り大里郡江南町方面へ出かけました。昨日の夜まで、てっきり一日中だとと思っていたのがとんだ思い違いでしたが、天気もよいので最低でも3か所ぐらいは何とかまわりたいとの腹積もり。

凸塩館
 季節の上でも地形的に見ても余り人の入りこまなそうな低山の斜面のため、いかにも藪と薮蚊と蜘蛛の巣が凄そうな場所であると予想していました。しかしいつものことではありますが、始めは資料の読み違いをして西側の全く別の場所に行ってしまいました。そこでも、人工的な切落としのように見える地形が隠れていたりしてそれなりに興味深かったのですが、どうも地形にしても踏み跡程度の道にしても明らかに違うような印象でした。そこでよくよく場所を確認してみると、なんと車を駐車させていただいた八幡神社の直ぐ北側の林の中らしいことが判明しました。早速気を取り直して雑木林の中へ突進を。やはり、この場所が正解で雑木林と畑の間の幅1間ほどの右方向にカーブする緩やかな坂道を下っていくと、左側の林の中に忽然と東側土塁の南端部分が現れました。北側に向って緩斜面となった場所に所在し郭内には東西方向に自然地形と区別ができない堀跡状と思われる地形が確認されたりしましたが、とにかく叢生する草木のため見通しが利きません。それでもなんとか東側の土塁と北側の土塁の位置を確認することができました。雑木林の中では無数の蜘蛛の巣と薮蚊の大群に行く手を阻まれ、枯枝や夏草の名残のため足元も殆ど見えず、更につる性の植物に体を拘束されながら悪戦苦闘の30分間でありました。

凸常安寺館
 塩館に向うときに直感的に何かありそうな雰囲気の車で通り過ぎた県道沿いの場所です。常安寺の境内の本堂の南側県道沿いの場所に土塁などの遺構が所在しています。館跡は南側の緩斜面に位置し比高差5mほどの南側の低地には水田が広がっています。竹林の中は思いのほか日差しが入り込み見通しがよいのですが、土塁については確認できるもののその周囲に広がる堀跡の存在については外形的には殆ど分かりませんでした。彼岸明けということもあるのでしょうか境内に所在する5体の地蔵尊には季節の野菊が手向けられ、そこかしこでヒガンバナが咲き乱れ、この場所では薮蚊や蜘蛛の巣に行く手を阻まれるようなこともなくのどかな秋の昼下がりを満喫することになりました。

凸田村陣屋
 江南町中心街のやや南側で西側に浅い谷を擁した緩斜面に所在しています。遺構として確認できるものは東端の重殿稲荷から西側に伸びる堀跡とこれにともなう西端の土塁、及び館跡を南北に縦断するその西側の自然地形も含めた辺りということになると思われます。ただ、土塁と水堀の位置関係がやや複雑な配置となっていることと、それ自体が民家の宅地内のやや薄暗い屋鋪林と混在していることから、比較的離れた場所からの観察となりますので見落とす可能性もあるかもしれません。特に「江南町史の資料編1考古」では西側の江南小学校側からの写真を掲載していますので、自分の場合には危うく遺構はこれだけかと早とちりする所でした。
 もっとも、重殿稲荷から西側に伸びる堀跡に面した町道を散策すれば見落とすようなことはないと思います。


「コスモス」
■「コスモス」
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 常安寺の墓地のまさに墓の敷地の中に生育していた風に揺れるコスモスの花。微風のため茎を左手で押さえて撮影しています。

撮影:2005年9月26日
撮影場所:埼玉県江南町

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・2005年9月24日    雨模様のお彼岸
           

 本日は家内の実家方面の墓参りでしたが、朝から生憎の雨模様。このためか右膝に軽い痛みがあり、かつ低気圧による頭の鈍痛が続き、おまけに昨晩から胸苦しさを時々感じるなど体調はかなり不良。しかし、墓参の最中には小止みとなり、薮蚊数匹に遭遇したものの無事社会儀礼を完了。


「ネコのちゃっぴー」
■「ちゃっぴー 生後4年ぐらい」
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 交通事故からも無地生還したものの、あちこち傷だらけとなり顔つきが益々渋くなりましたが、人懐こい性格は全く変わりません。珍しく飼い主の家の2階のソファーの上で昼寝をしていました。カメラを向けるとおもむろに体を起こしてポーズをとってくれたような。このあと、何時も娘の猫たちを構うときのように、ためしにお腹を撫でてやると仰向けになり体を捩って手足をヒクヒクと痙攣させていました。

撮影:2005年9月24日
撮影場所:埼玉県小川町

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・2005年9月20日    途中から雨に
           

 予定通り熊谷方面に出かけました。以前からの予定では熊谷市については中条氏館と成田氏館をまわる程度にとどめて、騎西方面にまで足を伸ばす予定でした。しかし、直前になって深谷方面もほぼ全域を回ったのでこの際熊谷も...ということになって鎌倉武士の館跡をまた虱潰しにめぐることにしました。この分では埼玉県内の城館めぐりの呪縛からあと数年間は逃れることができないようです。
 さて、行き先の情報ばかりに気を取られていて何時もならば必ず行う肝心な天候についての情報収集を失念していました。昨晩からやけに湿度が高いとは思っていたのですが、まさか途中で雨が降り出すことを想定していなかったため結果的には大きく予定を変更して退散することとなりました。家を出かけた時間も普段よりも遅く、低く雲が垂れ込める曇天を考えれば以前の予定通りにコース設定すべきであったのかもしれません。

凸宮塚古墳
 国の史跡指定を受けている上円下方墳という比較的珍しい形の古墳がコースの途中にあるので寄り道。水田の中にあり、自分のようにアプローチする道を誤ると用水路を飛び越えなくてはいけなくなります。水田の畦道にはちょうどヒガンバナが開花の時期をむかえ、ツユクサの濃いブルーの花びらと印象的なコントラストとなっていましたが、そのほかに付近にはあと2か所ほどの古墳らしき遺跡が見受けられました。現地の説明施設は設置後の年数が大分経過していることもあり、とても国の史跡とは思えないような侘しさが漂ってきます。また、50メートルほど離れた北側には上越新幹線の高架橋があり、あたりには時折新幹線の疾走する騒音がのどかな田園風景に響き渡り、まことにもってミスマッチなどちらかといえばシュールな情景が展開していました。

凸黒沢館
 水田の圃場整備により地表上からは完全に消滅している館跡で、現在は周辺は一面の水田地帯となり館跡であった場所は用水路の用水ポンプなどの管理施設が建設されていました。かつての面影は影も形もないとはまさにこのことで、たわわに実った取り入れ前の見渡す限りの水田には時々害鳥防除のための空砲の音が響き渡っていました。
凸西別府氏館
 ひょっとしたら見落としがあるのかもというわけで、別府氏の墓所の存する安楽寺にも立寄りました。
凸別府城
 通りすがりなので東側からの様子をチラッと。
凸別府氏館
 別府城と同一の城館を形成していたという考え方と、それぞれ別々のものであるという考え方があるようですが。北西部分の水田の近くには明らかに堀跡と思われるようなマイナス80センチほどの窪地が南北に細長く館跡に沿って残されていましたが、この直後から次第に雨模様になり始めました。

凸玉井氏館
 天候の関係もあり撤退をとも考えましたが、どうせここまで来ているのならと向ったまではよかったのですが、途中で雨が激しくなりお寺の駐車場で雨が小止みになるのを待って玉井氏の墓所を見学。

凸奈良氏館
 更に雨は降り続き、もう戻ることにしようとも思ったのですが車で5分もかからない場所なのでとりあえず行ってみることに。ここも現在はお寺になっているので場所は直ぐに分かりましたが、奈良氏の墓所については暫く小雨の中を歩き回ったもののとうとう見つかりませんでした。このあと雨はいよいよ本降りとなり、いったい今日は城館跡めぐりとしての収穫はあったのだろうかと自分自身に問いかけつつ、一路帰途へとつきました。これからは何はおいても、天気だけはしっかりと確認しなくてはと心に強く刻み込んで。


「シロバナマンジュシャゲ」
■「シロバナマンジュシャゲ」
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 マンジュシャゲといえばあの毒々しいまでの赤い色を思い出しますが、これは形はまさにヒガンバナなのですがややクリーム色に近い白色です。別名ヒガンバナ、シビトバナという別名もありますが、この白い花には不似合いなようです。

撮影:2005年9月15日
撮影場所:埼玉県熊谷市
別所沼公園内にて

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・2005年9月18日    朝晩はめっきり涼しく
           

 日中は残暑を感じますが朝晩はめっきりと涼しくなり、もうじき城跡めぐりに相応しい季節の到来です。特に土塁と空堀を軸にした武蔵の城館は、城址公園のように整備されている所でないと余り夏の城跡めぐりには向いているとはいえません。本格的に城跡めぐりを始めた今年の夏、空堀には雑草が生い茂り土塁もその形がほとんど確認することができないことも幾度がありました。また薮蚊の波状攻撃を受け、顔面にへばりつく蜘蛛の巣と格闘しながら汗まみれとなり、孟宗竹が蔓延った薄暗い空堀の底でデジカメの構図に苦心したのも、それはそれで思い出深いものがありました。そんな感慨を残して今年の夏も過ぎ去っていきました。


「クレオメ」
■「クレオメ」
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 アメリカ原産の宿根草で華麗な姿が特徴的です。「日当たりと水はけのよい環境を好む」ということですが、咲いていたのは日陰の水田脇の農道の踏み固められたようなところでした。花びらに細い柄があることから蝶の飛ぶ姿に似ているといわれていますが、どうしてどうして見かけによらずかなり丈夫な性質のようです。和名をセイヨウフウチョウソウ、別名をスパイダーフラワーとも。

撮影:2005年9月8日
撮影場所:埼玉県花園町
小前田氏館周辺にて

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・2005年9月15日    膝回復の様子見
           

 いつものことではありますが、訪城記録を整理していて桜沢堀ノ内の位置を少し勘違いしていたということに気がつき、また深谷城の見落としに気がついたこともあり、振替の休みを貰って県北の寄居町、深谷市、熊谷市の城館跡めぐりの一日。

凸桜沢堀ノ内
 やっぱり、前回の訪城では100mほど西側にずれていたことを改めて確認しました。今回は事前に地番図と堀跡の水路の位置をしっかりと頭に叩き込んで、さらに現地では国道140号線の歩道橋の上から全体の景観を確認したりしましたのでほぼ間違いなしと珍しく強気に。
 さて遺構に関してはというと、堀跡の水路は北側と東側に残されていることが確認でき、最大の懸案であった南西端に僅かに残る土塁の位置とその有無については概ねそれらしいものがあったような。

凸桜沢砦
 「埼玉の城館跡」などの資料集に掲載されているだけで、歴史的背景などはよく分かっていないところです。加えて資料によれば遺構らしきものは「平場」のみとあるので、痛めた膝の足慣らしに丁度よいハイキングのつもりで、比高100m弱の八幡山の山頂目指して約20分の登り道です。
 麓の八幡大神社にて登頂の無事を祈願した後、蒸暑さと時々眼前に現れる巨大蜘蛛の巣と戦いつつ岩尾根に穿たれた山道を喘ぎ喘ぎ登って約20分。予想されたとおり、自分のような素人では自然地形の区別が全くつかず、どこが「平場」やら全く訳が分からずという結果に終わりました。ただし八幡山山頂と思われるピークからは樹木の伐採により鉢形城方面の視界がひらけており、地理的には鉢形城方面と上野への街道筋を鉢形城の荒川の対岸から監視するというような役割のあったことが確認できました。
 さて、帰りは同じ道を戻るのだけなのですが、むき出しの岩尾根の間をぬうように下る道で膝などの筋肉の衰えを痛いほど感じました。以前ならば5分ぐらいで駆け下りることができたようなところですが、登りとあまり変わらない時間をかけてゆっくりと体を横にしたりしながら膝の負担を最小限に抑えてようやく登口である八幡大神社に到着。

凸深谷城
 深谷城址で唯一遺されている土塁状の遺構を前回はその前を歩いているにも拘らず通り過ぎてしまったというドジを踏んだため熊谷への途中ということもあって立寄りました。墓地となっていることについては前回も確認済みでしたが、まさかそこが本来は土塁状の遺構だったとは露知らず。墓地としての広さは南北20m・東西40mほどの長方形で、高さは周囲と比べて2mほど高くなっていますが、墓石が比較的最近のものが多いということはずっと後世になって墓地として利用されたということなのでしょうか。

凸西別府市館
 東別府の遺構が「城」と呼ばれて、こちらがなぜ「館」と呼ばれるのかはよく分かりませんが、館跡と推定されている南側の畑の道路沿いに立派な石碑がぽつんと遺されています。館跡とは少しずれていますが、北西に所在する湯殿神社の辺りは鬱蒼とした樹木に囲まれていかにも歴史的な雰囲気を漂わせていました。

凸別府城
 東別府神社の境内そのものが城跡となっていて、保存状態は事前の資料にあったようになかなかのものがあります。土塁・空堀共に北西の角付近が最も規模が大きく堀底から土塁の天辺までは4.5メートルから5メートル近くもあると思われます。空堀は南側がほぼ失われているものの、残りの三方については概ね完全に遺されています。もちろん土塁も四辺が3か所ほどの小口とともに内側の高さで1.5mから2.5mとはっきりとわかる状態で目にすることができます。
 神社に関連する城館跡は概して保存状態がよいようで、また神社が少し好きになってしまいました。本日都合3回目の参拝を。

 桜沢砦から戻ってきたときにすでに午後1時を回っていて、この時点で訪城については別府氏関係の城館どまりが確定していました。帰路、車のエアコンを弱めにかけていたのにも拘らず、少し冷えすぎるように思い車の窓を開けてみると外気の方が予想以上に随分と涼しくなっていました。昨年も同じ経験をしたので、本格的に城館跡めぐりを始めて早一年が経過したことにおうそうかそうかとあらためて気づいたのでありました。


「ニラの花」
■「ニラの花」
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 この時期畑の端の方に植えられた(自生しているものもありそうな)ニラは白い小さな房状の花をたくさんつけています。花を目立たせるために背景を少しぼやかしてみたのですが。なんといっても食用だし、花もなかなか控えめな美しさがありニラは偉い!

撮影:2005年9月8日
撮影場所:埼玉県寄居町用土

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・2005年9月12日    待機の一日
           

 金曜日の夜の仕事から土日連続出勤となり、本日は仕事の関係で外出不可の一日に。


「おみくじ」
■「おみくじ」1回百円
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「とろろ蕎麦」
■「とろろ蕎麦」
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 大盛150円増で940円也。来年度以降は大幅に業務が縮小される予定の埼玉県立歴史資料館の筋向いの蕎麦屋。以前から是非とも一度は行ってみたいと思いつつも20年以上は経過したような...以前はどこの食堂や蕎麦屋に行けば必ずおいてありましたが、最近は余り見かけなくなってしまった「おみくじ」とも対面できました。
 最近は付近に競合する飲食店も大分増えてきましたが、この店ができたときには周囲には店舗どころか住宅もほとんどなく、嵐山バイパス沿いにポツンと一軒だけ所在していたように記憶しています。20年以上も営業を続けてこれただけ合って器は大分年季が入っていましたが、午後4時過ぎという遅い昼食のせいもあり、ろくに味わうことなく胃袋に直行してしまいました。店舗の中もこぎれいな印象で、今度は空腹ではないときに寄ってみようということに。

撮影:2005年9月8日
撮影場所:埼玉県嵐山町菅谷

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・2005年9月8日    秋の気配が
           

 先月22日以来の久々の訪城。
行き先は埼玉県大里郡寄居町と深谷市。
台風一過で、暑くなるとは聞いていたものの本当に蒸暑い一日。

凸小前田氏館
「道の駅はなぞの」の西側の水田地帯で、「花園村史」の情報によると北西部に土塁跡ありとのこと。
しかし、30年ほどの間にその一帯は宅地が進行したようで地表部分の遺構としては確認できず。
ほとんど初秋の植物の写真撮影となり、ツユクサの写真を撮ろうとして水路にハマる。
台風にともなう大雨などの影響で水路を跨ぐ推定5センチの厚さを有するアスファルトの強度が劣化した模様。
そこへ装備つき体重90キロの人間が乗ったため右足で踏み抜いた次第。
かすり傷程度で歩行には支障なしと判断。
靴は濡れたが暑さで乾くと思われそのまま訪城継続。

凸桜沢堀ノ内
ここも同様に南西部に所在する土塁跡の写真が掲載されている「寄居町史通史編」の情報が頼り。
荒川の北岸に位置し、遺構のど真ん中を国道14号線のバイパスが貫通。
結果は土塁跡に見えなくもないようなものがあるにはある。
しかし、写真の位置とは微妙に異なるように思え首をかしげてしばしの間思案。
堀跡の名残とおもわれる水路は確認。

凸用土堀ノ内
地上の遺構は最初から何もないはずとの先入観。
おまけに歴史的な背景もほとんど不明。
集落の中の南側通路が埋め戻した堀跡を利用しているように思え、北側の防風林の辺りに堀跡ぐらいはありそうだとの直感。
まさにその場所に幅1mほどのかつての堀跡らしき水路を目にしたときは、改めて何事も経験をつむことの大切さを実感。
それにしてもこの一帯の農家は水田耕作から園芸農家に移行した模様。
あちこちにビニールハウスや出荷前のキクのポットが目に付く。

凸深谷城
云わずと知れた深谷上杉氏の本城。
戦国期の深谷上杉氏の歴史等を理解するに当たり、まず武士の館跡を含む周辺部分の支城などから攻略。
深谷市の城館でわざわざ最後にここだけ残しておいたという経緯が。
これぞ城攻めの正攻法?
石垣と白塗りの城壁まがいの「復元」された史跡公園。
いろいろな批判も多い。
しかし、全く何もしないよりもマシではないかと。
だが、史跡公園の東屋はホームレスの昼寝場所と化していた...
障子堀の現地説明会には是非とも行きたかった...
現在市道の工事が進行中。

 帰路の国道沿いの街路樹の枝先が台風のせいもあるのか、少しだけ色づいてきたようにも見えます。時折車窓を通り過ぎる草花にも秋の気配が。また、こうしてHPの更新作業をしている間に聞こえてくる虫の音も秋の訪れを感じさせてくれます。


「ホテイアオイ」

■「ホテイアオイ」

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 繁殖力が強く時として害草扱いをされることもあるということですが、こんなに優雅で上品な花を咲かせます。

撮影:2005年9月8日
撮影場所:深谷城近くの水田にて

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・2005年9月7日    ねこじゃらしは本当のよう
           

 


ネコの「いちごみるく」

■ネコの「いちごみるく」
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 「いちごみるく」は、抱きかかえようとするとスルリとよけるのが上手くて滅多に接触がありません。兄弟の「あんみつ」がしきりに構われているのを、ベッドの下などの少し離れたところからじっとこちらの様子を窺っていることが多いようです。また最近は母ネコからも少し距離を置いているようで余り近づいて行こうとはしません。
 一昨日、庭にドクダミと共に群落を形成して蔓延っているエノコログサ(通称ねこじゃらし)をひょいと一本引き抜いて試しに彼らを構ってみましたら、3匹とももうパニックのようになって一本の草に競争するように飛びついて戯れていました。さて、形なのか、匂いなのか、手触りなのか一体何がそうさせるのでしょうか。

撮影:2005年9月6日
撮影場所:埼玉県の自宅 

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・2005年9月6日    台風襲来のため訪城中止
           

 台風14号のため一昨日、昨日と局地的に大雨が降っているため遅めの夏休みの消化に入ったものの訪城は中止。結果的には本日に限り予想したほどの雨は降らず埼玉県内に限れば出かけられないこともなかったような。そんな訳で午前中に理容店に出かけた後は、未処理のままかなり累積している植物の写真整理をコツコツと。
 最近は燎原の火のようにブログが普及していますので、日記の頁の模様替えをしてみたところどうもブログ風のものになってしまったようです。それにしてもレイアウトの変更については、このようにHP作成ソフトの便利なことを痛感しています。タグの手打ちだけで編集していると時々とんでもない落とし穴に嵌り脱出できない体験は数知れず...


ネコの「あんみつ」

■ネコの「あんみつ」
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 「いちご」は兄弟の「あんみつ」とは違って警戒心が強く、滅多に自分からすすんで人に近ずくことはありません。一方、「あんみつ」は人と見れば誰彼なく寄って行き足の先に自分の顔を擦り付けています。
 このときは飼い主の娘は不在で次男に抱きかかえてもらって撮影しました。「あんみつ」は近寄ってきた所をそのまま抱き上げて、「いちご」の方は餌で釣って食事中の所を捕獲。しかし以前からのことですが、両方とも一度抱きかかえられるとまず暴れることはありません。

撮影:2005年9月6日
撮影場所:埼玉県の自宅 

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・2005年9月4日    館内消毒でトラブル発生、原画展も最終日
           

 午前中から仕事先の館内消毒の準備。消防署、警備会社への事前通報を完了し、OA関係の機器をポリ袋を被せ、食器類など人の口に触れるものについては退避若しくは密封などの作業を実施。
 原画展の後半は夏休み中であったにもかかわらず前半ほどの売れ行きは見られず。ただし本日は最終日ということもあり通常の2倍の約30名ほどの入館者が。販売物のディスカウントを試みたものの、最終日の売り上げはやっと合計4,000円。前半は別としても、後半は売り上げゼロ円の日も続き利潤追求を前提としない入館無料の公営とはいえども、根本的な経営方針について再考する必要性を改めて痛感。
 さて、閉館後館内消毒の開始。といっても予め午後3時ごろから設置しておいた12個の業務用のバルサンPジェットを点火するだけの話。2階から順番に作成した配置図に基づいて点火開始。しかし、途中で煙感知型の火災報知機が作動してしまい、煙の中を決死の覚悟で火災報知機の制御版にむけて突進。また、最後の通用口から退出しようとしたときに今度は館内の自動ドアが開閉したような物音が聞こえたので、バルサンの煙に赤外線のセンサーが誤作動したものと想定されたものの、またもや視界30センチも無いなかを館内に突入し安全確認。(良く考えれば、自分の方がよっぽど危ない状況...) 3時間以上は密閉した状態にする必要があるため、もし仮に人が残っていれば間違いなく大事故につながるはず。しかし、結果は予想どおり何事も無く施錠の上退館しようとしたところ、今度は自動火災報知機と警備のシステムが連動していて機械警備がエラーに。至急警備会社と連絡を取り状況を伝えて対処を依頼というお疲れの日曜日でした。



カントウヨメナ

■カントウヨメナ
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 秋の訪れを告げる野草のひとつで、このときはまだ2輪ほどしか咲いていませんでした。

撮影:2005年8月20日
撮影場所:埼玉県寄居町 

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・2005年9月3日    フランス料理のランチつきコンサートへ
           

 おそらく初めての体験です。恐れ多くも皇居の半蔵門を見下ろすFM東京のスカイラウンジで、柄にもなく家内とフランス料理のランチつきコンサートに行きました。フランス料理自体も初体験。前菜は無く、名称は分からない魚介類の料理、冷やしたたぶんキャビアの入ったクリームスープのようなもの、メインディッシュが牛肉と温野菜の付け合せのようなもの、デザートとま、本格的ディナーではありませんでしたが、最初で最後の冥土の土産代のようなものです。
 さて、演奏の方はフルートを中心としたセミクラシック&ポピュラーのプログラムで、他にチェロ、ピアノ、パーカッションの組合わせでした。ファンクラブのようなものに入っている関係もあり、たまにはお付き合いということでお一人様11,000円とそれほど安くは無いですが場所柄を考えれば妥当なお値段でした。また、演奏会自体も観客数が28名ということから大変アットホームな雰囲気で、通常のコンサートとは違った楽しさを体験しました。
 なお、プレゼント交換と自己紹介のコーナーなどもありましたが、地方議員、医師、弁護士、経営者等といったメンバーで、どう見ても場違いの庶民的夫婦が本格的フランス料理を前にしてひたすら困惑するという図でありました。プレゼント交換も事前の話では1000円程度ということでしたが、現金を○万円も包む方がいたりして金銭感覚が一桁以上違う見てはいけない世界を見てしまったような...



シャムオリズルラン

■シャムオリズルラン
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 通常のオリズルランとは異なり、その名称からも分かるように寒さに弱く体験的に越冬温度は15度以上は必要かと。一度乾燥させすぎて仮死状態となりましたが、気温が上昇するにともない水遣りの加減で見事復活を果たしました。今年はトラデスカンチアが増えすぎたので何とかしなくては....おそらく40鉢以上はあるような

  撮影 : 2005年9月3日  撮影場所 : 自宅パソコンデスク前 

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・2005年9月2日    管楽器のコンサートへ
           

 夜は都内の市ケ谷まで管楽器のコンサート。そのついでということもあり、自分の楽器のメンテナンスのため1年半ぶりに西新宿のムラマツ。平日とはいえ、楽器のメンテナンスのために来店する人も多いようです。電話などの予約制ではないので当日仕上がりが懸念されましたが、店内で楽譜などを物色して4時間ほど待たせてもらい無事調整終了。問題だった右手の小指のキーの動きも正常となり一安心。費用も5万円分のサービスポイントがあったので、今月は色々と物入りのところ結果的に支払い不要となり助かりました。
 また、待ち時間の長い割には試奏に来ていた人の音も聞こえてきたりして結構飽きませんでした。お一人はプロクラスとおぼしきの外国の小柄な男性で、我々ど素人には羨望の的のカルメンファンタジーを軽々と吹きまくっていました。また自分と同年代と思われる日本人の男性は2オクターヴがやっと...ご本人には申し訳ありませんが、ここでやや安心を。
 さてコンサートの方はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンの各二人ずつの編成による「アトラクティヴウィンズ第3回コンサート」。プログラムは前半オープニングは題名のない音楽界風の演奏者の登場で「キラキラ星変奏曲」(モーツアルト)、「サマー・ミュージック」(バーバー)、「ショーロスの形式で」(ヴィラ=ロボス)、後半は寸劇つきの「真夏の夜の夢」(メンデルスゾーン)でアンコールに運動会でお馴染みのカバレフスキーの「道化師」より「ギャロップ」の以上5曲。
 演奏内容についてどうこう言うだけの音楽的な力量はありませんが、少なくとも若い人たちの音楽にかける真摯な心が伝わる演奏かと。以前は現代的な曲はとても聞けなかったのですが、最近年とともに受容する領域が広がったようでジョン・ケージあたりでも聞けるようになりました。午前中は仕事、午後は楽器の調整、夜はコンサートとせわしい一日でしたが楽しい一日ではありました、ただし市谷の駅から会場のルテール市ケ谷センターへの道を間違えて遠回りしたことを除いて。



フルート

■愛用のフルート

 これぞ分不相応の楽器、総銀製プラチナメッキ仕様ムラマツのPTP。調整したばかりなので自分のレベルでもやはり音のキレや抜けが違うのがはっきりと分かります。翌日はつい調子に乗って、立て続けに「天使のセレナーデ」「G線上のアリア」「タイスの瞑想曲」「白鳥」と近所迷惑を顧みず吹いてしまいました。
 値段は低価格の軽自動車が買えそうな...以前から一度は撮っておこうと思っていましたが、他に掲載する適当な画像が見つからずこのたび晴れて公開。食卓の上は生活物資が散乱しているため、ダイニングの床の上という所がいかにも生活感が...

  撮影 : 2005年9月2日  撮影場所 : 自宅ダイニングの床の上... 

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・2005年9月1日    そうか、もう9月だ
           

 今朝方、娘が学校に行く支度をしていたので何をしにいくのかと思いましたが、良く考えれば今日から新学期でした。やはり昨日から頭が回っていないようです。そうか、もう9月かということで、ボチボチ訪城の季節に突入していくのでありますが、ここにきてまた両足の膝の具合が芳しくはなく当分山城方面は難しそうです。
 昨日、以前の職場のスタッフが「このたび突然ですが、事情により退職することに...」と挨拶回りにきて、あまりに突然のことに驚きを隠せませんでした。生まれた年は同じですが当人の学年は1年下ですので、驚きと共に深い感慨が頭を駆け巡りました。退職の事情も他人事とは思えず、自分もそろそろ職業人生の幕引きの準備に取り掛かる時期を迎えてきたようです。まだ、人生の幕引きには少し早いですが...この件について、仕事先のイントラのメールに人事担当からの退職のお知らせが僅か1行だけ。
 個人的な事情による突然の退職とはいえ、32年間の職業人生のしめくくりが退職した事実を伝えるだけの1行メールとは余りにも寂しいような...



ひまわりの画像

■ひまわり
(画像クリックで少しだけ拡大します) 

 8月を象徴する花のひとつですが、もう今頃は花期が終わり引き抜かれていたりしているのかもしれません。

  撮影 : 2005年8月22日  撮影場所 : 埼玉県大里郡寄居町鉢形 

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