城館跡の名称 | ||
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おすすめ評価 |
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埼玉県熊谷市玉井稲荷木通1888付近 | |
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■12世紀の中頃から12世紀末に活躍した玉井氏の館跡 |
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なし | |
周辺の地理的特徴 |
■北東に玉井神社南側に玉井寺が所在する東西方向約150m、南北方向やく200mの範囲が館跡とされているようですが、当時の遺構らしき存在を目にすることはできません。地理的には南を荒川、北を利根川に挟まれた西に櫛引台地を望む妻沼低地の西端に所在しています。 |
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記録 |
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) |
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無、ただし伝玉井四郎の墓については1954年11月3日熊谷市史跡指定。、 | |
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2005/09/20 |
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( 2005/09/20 ) |
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記念撮影 |
また左側の「玉の井」との額がかかる小堂はいかなる旱魃にも枯れることのない井戸として、「新編武蔵風土記稿」にも記されています。もっともお堂の中をのぞくと、どちらかといえば比較的新しい井戸ポンプが鎮座していました。 ( 2005/09/20 撮影 雨 )
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訪城アルバム |
■@■画像クリックで拡大します。以下同様
玉井四郎の墓所の所在を示す標柱が玉井寺にむかう道路の角に建てられていますが、長年の風雨に晒されたために字が薄れてきてかなり読みづらく、内容を予め知っていれば読めるという状態で...(^^; ■A■
そんなこともあり、墓所の直ぐそばには比較的新しいステンレス製の頑丈そうな解説版設置されていましたが、こちらの方もやや字が薄くなっているように思えました。 ■B■
玉井四郎の墓所の所在する新義真言宗玉井寺(ぎょくせいじ)本堂。「新編武蔵風土記稿」によればその墓所のあることから、玉井四郎助実が開基したという可能性を示唆していますがその詳細は不明のようです。 |
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