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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/03/31の日記 伏栗城 永田城 金仙寺城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象3 総合23
所在地
埼玉県秩父市中村町3丁目付近
歴史と沿革

秩父丹党上中村氏の館跡らしい
 「秩父丹党考」によれば、丹党発祥の地とされる荒川東岸の大宮郷中村(現:秩父市中村町付近)に上・中・下の丹党三家の館が所在していたとの伝承を記し、秩父市の指定史跡とされている丹党中村氏の墓所の南西の台地周辺が上中村氏の館跡であることを示唆しています。
 また、この館跡とされる場所から北東900mの地点に所在していたと推定される伏栗城を秩父丹党中村宗家の居城であると記しています。丹党は秩父郡および児玉郡・入間郡の一部に広がりを有し、小鹿野氏(秩父郡小鹿野町)、大河原氏(同東秩父村)、横瀬氏(同横瀬町)、薄氏(同旧両神村)、勅使河原氏(児玉郡上里町)、新里氏・安保氏(同旧上川村)、青木氏・加治氏(飯能市)、高麗氏(日高市)、白鳥氏・岩田氏・井戸氏(秩父郡長瀞町)などの庶流が輩出されました。
 秩父丹党中村氏は源平の戦い、承久の乱などで活躍したことが「平家物語」「吾妻鏡」などに記されています。また前記の「秩父丹党考」によれば、上杉禅秀の乱では禅秀側について敗北し次第にその勢力を弱体化させ、大永年間(1520年代)頃に関東管領山内上杉氏を背景とした藤田氏、岩田氏(中村氏の同族)などの勢力により伏栗城が落城し滅ぼされたものと推定しています。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■秩父市内の西、荒川右岸の佐久良橋手前の河岸段給付近と推定され、北東約900m付近には秩父丹党宗家の居城とされる伏栗城、南方役1kmには金仙寺城、荒川の対岸の北約1.2kmには永田城が所在しています。

文化財指定
訪城年月日
2006/03/31
記念撮影 訪城の記録

中村氏館付近

( 2006/03/31 )
河岸段丘の坂だけが
 「埼玉の中世城館跡」などの資料によると秩父市内の荒川に架かる佐久良橋東岸の河岸段丘上が秩父の名族中村氏の館跡の模様。現在その先端の一部は建設会社の敷地となっていました。何れも事前の情報どおりとはいうものの、残念ながらかつての比高にして6mから10mほどの河岸段丘状の地形以外には館跡の存在を伝えるものは全く確認できませんでした。
 なお、この日は夕方5時までに自宅に戻る所用のため、このあと訪城時間に余裕がなくなり始め、結局「丹党中村氏の墓所」には行けずじまいとなり、この全くわけの分からない「坂」の写真だけとなった次第でありました。
                                 ( 2006/03/31 撮影 晴れ )

交通案内

・国道140号線を南下し秩父市役所角の信号を西に右折し佐久良橋手前の右側(北側)の台地周辺。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編1古代」(1987/埼玉県)
「埼玉県史 資料編5中世1古文書1」(1982/埼玉県)
「埼玉県史 資料編7中世3記録1」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本)
「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」および「秩父風土記」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父の文化財」(1990/秩父郡市文化財保護協会)
「秩父丹党考」(1991/井上 要/埼玉新聞社)
「武蔵の武士団」(1984/安田元久/有隣堂) 

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