( 2005/11/05 )
■犬との会話は不成立に
地形的には阿良川氏館よりも更に館跡としての面影が見られず、僅かに数体の境内に存在する板碑が中世の武士とのつながりを示唆しているようでした。金道院の境内は墓地を含めてもそれほど広くはなく、本堂も檀家の方たちの寄り合い所のような建物が併設された小規模なものでした。また、境内への入口の道路も決して広くはなく、それに加えて道路わきの大きく開いたU字溝との段差が1m以上あるので心して向わないと大変な目にあいそうです。境内の堂宇や板碑の写真を撮影している最中に、一匹の飼い犬が出てきて境内の真ん中で立ち止まり暫くの間こちらを不思議そうな顔をして見つめていました。「おいで、おいで」をしてみたものの顔を背けて小走りに去っていきました。
この寺でも銀杏の実が煩いほどにパラパラと上から降っていました。今年の秋は余り紅葉が映えない様子ですが、季節としての秋はどうやら確実に深まってきていることを感じました。
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金道院の墓地の脇には数体の板碑が纏めて祀られていましたが、一番大きなものを除くと残りのものはご覧のように破損が著しいようです。時として橋の代用にされたり、土留めとなったり、砕かれて割栗石にされたりと苦難の道を歩んだものもあるようですが、この板碑たちはどのような過程を経てきたのでしょうか。
(加須市指定有形文化財/考古資料/1956/09/24指定)
( 2005/11/05 撮影 晴れ ) |
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■1■
板碑についての解説が記され、中世初期から人が居住していたことを示唆する旨の事柄が含まれてはいますが、館跡などについては具体的に何も記されてはいませんでした。解説版の方も長年の風雪に耐え切れず文面が読みづらくなりつつあります。
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■2■
一番大型の板碑は高さ260cm、幅61cm、厚さ10cmの大きさで加須市内の200基余りの板碑の中で最も大きなものとされています。弘安3年(1280年)と中央にはっきりと刻まれていましたが、橋として利用されていた時期があるとのことで、橋くいの上に固定するためにその下の方が大きく楕円形に削り取られていました。しかし、この場合は背中の部分が橋の上面となっていたので板碑の表面はそれほど磨耗していませんでした。
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■3■
新義真言宗蓮王山金道院觀福寺の境内。ほとんど人気の無い境内に突然現れた一匹の飼い犬が、実に不思議そうな顔をして暫くの間こちらを見つめていました。怪しい人ではないことを示すため、コミュニケーションをとるべく口笛を吹いておいでおいでをしてみましたが予想通り意思の伝達は一方通行に終わりました。
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・国道122号線を騎西町方面から北上し平永の信号を右折後およそ700m先の右側
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