アクセスありがとうございます。  HP日記、訪城記録、猫との平穏な暮らしなどの雑記帳のようなものです。 
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・2005年11月30日    店舗も新しく庭園もなかなかですが
           


凝ったつくりの日本庭園
■駐車場よりも庭が広い!

凝ったつくりの日本庭園
■天盛り大盛 1720円也

 店先には真新しい日本庭園がありこの庭園の中の小道を通って店内に入るように設計されています。「そば茶」と「お絞り」は直ぐに登場し、接客サービスとしては行き届いていると思われます。
 自分は「天盛りの大盛」1720円で、同行者は蕎麦と湯葉・葛餅がセットになった「湯葉膳」(1260円)を注文。開店してから何ヶ月も経過していないこともあり、店内も綺麗で器などの食器も新しく雰囲気は悪くはありません。しかし自分が図体がやや大きいこともあり、ややテーブルの間隔が窮屈な印象が。
 さて肝心の蕎麦自体はこしもあって香りも豊かなのですが、そばつゆの味がやや単調な印象。てんぷらの方は4品(海老、カボチャ、エノキダケ、オクラ)ですがカボチャはやや堅く、全体としてカラッとした食感に欠けるように思われます。観光地並みの値段なので全体としてやや物足りなさを感じてしまったのですが。(一応形だけ調理師資格を持つ同行者も同意見でした)
 

撮影月日:2005年11月30日
撮影場所:埼玉県F市 

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・2005年11月29日    日当たりの良いベランダが大好きで
           


ネコのあんみつ
■日向ぼっこ中の「あんみつ」

 最近穏やかな小春日和が続き、我が家の三匹の猫たちはベランダの思い思いの場所で日向ぼっこをしています。母親のポミよりも一回り以上も大きくなった「あんみつ」は、自分が出かけるときにはだいたいいつもこの場所に顔を出して見送ってくれるようになりました。時々話しかけると不思議そうな表情でこちらを眺めています。
 夜になって帰宅した時には三匹揃って暗闇の中のシルエットの姿で出迎えてくれることも多くなりました。大のネコ嫌いだった老母も少し離れたところから猫たちと会話をするようになりました。同じくネコ嫌いの家内もちょっとしたネコの仕草が気になるようです。

撮影月日:2005年11月29日
撮影場所:埼玉県自宅 

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・2005年11月26日    何故か日野城と中山氏館へ
           

 今回は故あって訪城先を突然方向転換し、秩父市(旧荒川村)の日野城(別名熊倉城)と飯能市の中山氏館へ。日野城の現地でお城MLのグループと遭遇するという予定で、前日までは中山氏館を経由して向うつもりが、もたもたしているうちに結局家を出たのが午前9時前と予定よりも1時間遅れに。途中道路工事で3か所が片側通行止め、止めはまたしても関越道の事故渋滞の交通情報。
 しかし何とか予定よりも20分遅れで現地に到着。日野から白久に抜ける林道の峠にはすでに何台かの車が駐車中。そんなわけで遅れてすまんすまんと思いつつ右手の城山(日野城)方面をはあはあしながら登っていくことに。山城は久しぶりで今年の4月22日の円良田城と猪俣城以来かと。最近は膝の具合も良くなり...そうはいっても念のため右ひざのみサポーター装着。
 さて、2本の堀切を渡り南の郭、本郭、北の郭、その先の小口、腰郭とすすみ城跡と思われる先端まで行ったものの先着グループの姿が見えず。はて、もしかして自分が場所を勘違いしたのかと思い、念のため集合場所を再確認するとやはりこの日野城で正解のよう。そうすると先ほどの駐車中の車は南側の熊倉山へのハイキングのグループのものらしいと推定。再び本郭にもどり説明板の前に佇み説明文などをおもむろに読んでいると、山道をすすんで来る複数の話し声が...ということで無事現地集合完了。どうやら複雑に分岐する林道を間違えて別の場所に出向いていた模様。

凸日野城(埼玉県秩父市)
 さて、日野城は大きく分けて3か所の郭等から構成されている模様で、熊倉山から北側に延びる尾根の肩部分を2本の規模の大きい堀切により区分した比較的単純な構造です。北側の郭は喰い違い状の小口や規模の小さい腰郭を複数ともなう形態かと思うもののやや全体の縄張りが分かりにくくなっています。この点中間部分に位置する本郭は南側の堀切や土橋もはっきりとしていて、内側部分で最大で高さ2mほどの土塁もよく遺されています。南側の郭寄りの堀切はなかなかの規模で、上部の南の郭からは矢の雨を降らすことができそうな印象でした。
 昼食後、世間話などを交わしてMLの皆さんは本業の縄張り図作成モードに突入し黙々と作業開始。当方はそのような器用な性質ではないので、当方のみ一路下山し飯能市の中山氏館へ。
 しかし戦いの舞台となったのが15世紀の終わりごろとはいえ、イマジネーションが貧困なせいかこの標高約650メートルの山上の小城を舞台に長尾景春と管領上杉方が戦ったとはどうも想像しがたいものが。秩父盆地の西の端の山間部で現在でも人口は少なく、甲斐へのルートに当たるにしても当時においてはそれほどの重要拠点とも思えない印象が。また、仮に篭城したとしても食料・飲料水の問題は別にして数百人が籠れるかどうかという規模かと。

凸中山氏館(埼玉県飯能市)
 今年の春先に朝霞市方面をまわっていた際に引き続いて飯能市方面に出かける予定が暫くの間中断したままとなっていました。これといって理由はなかったのですが、強いて言えばやはり山城関係は晩秋から初春にという季節的な理由です。遺構としては空堀跡の一部のみが残されているということは以前から知ってはいたものの、本当に住宅地の中の路地沿いにほんの申し訳程度に遺されていました。南側は幾分盛り土がされているので土塁跡の一部のような気もしますが、この遺構からだけでは館跡全体の様子をイメージするのは難しいようです。

 太陽の傾きが早くなり晴天とはいえ夕方から雲が多くなってきたこともあり自宅に到着したのは午後5時過ぎに。両膝の状態が思いのほか回復しているようで今後の訪城に向けて明るい兆しが。



秩父市の蕎麦屋いんなみ

たまには店舗の外観を
(画像クリックで秩父の元名峰武甲山)

店内の様子
■店内は清潔で落ち着いた雰囲気が漂う


恒例の蕎麦の俯瞰図
■舞茸そば 大盛1350円

 お茶とお絞りは直ぐに出てきました。ただしお茶はほうじ茶でしたが。
 十割蕎麦もありましたが、何時も定番にしている「とろろ蕎麦」はメニューに無いので次善の「舞茸そば」に決定。このパターンは初体験のため始めはどうやった食べようかと思ったのですが、ここはやはりそばつゆをどんぶりに少しづつ垂らしていく方法が妥当と判断。勿論蕎麦湯も直ぐにでましたが、蕎麦湯の方に蕎麦猪口が付いてきているのはなんとも不思議な感じが。
 お値段はやはり観光地ということもあり並盛で1100円、大盛がプラス250円でちょっと高めかと。蕎麦自体は大変しっかりとした歯ごたえとやや緑がかった色彩が食欲をそそります。ただ蕎麦湯を飲むときには様々に交じり合ったどろりとしたそばつゆを基にしたほうが自分の性には合っているような。純粋そばつゆプラス蕎麦湯というのはやや物足りない味わいが。てな訳で無理やりどんぶりの底に残った汁で蕎麦湯を飲んだら、やはり美味かったのでした。
 久しぶりに武甲山の姿をまじまじと眺めました。このような間近で見たのは記憶によれば恐らく15年ほど前かと。継続する石灰岩の採掘によりそのときに比べても更に山容が変わり果てたような印象です。この店の駐車場からはほとんど視界をさえぎるものがなく、このような光景が目の前に広がっています。

撮影月日:2005年11月26日
撮影場所:埼玉県秩父市 

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・2005年11月21日    鴻巣市内を一筆書きで
           

 午前9時頃は厚い雲に覆われ昨日の予報は外れたのかと思ったものの、この時期は概してこういう天候が多く、雨の降るような気配は殆どなさそうだし遅くも昼前には晴天が広がるだろうと期待して鴻巣方面へ。予想通り午前11時ごろには晴れ間がどんどんと広がって風も殆どなく正しく訪城日和の一日に。また、今日は渋滞にも遭遇せず1時間20分ほどで最初の目的地に到着。

凸伝源経基館
 埼玉県立鴻巣高校の敷地の南側に隣接しているのですが、どちらの方向からアプローチしてもやや分かりにくい場所にあるようです。自分の場合はともかく鴻巣高校を目指すことにしましたが、高校の前まで行くとそのまま校庭の中へと入っていくように思い車を停めてあたりをよく見ると校門の左側に車1台がやっと走ることのできる程度の細い路地がありました。さて、慎重に高校の敷地のフェンスの道路に沿ってゆっくりと車を進めていくと、突然目の前に鴻巣市の設置した文化財の標柱と共に空堀と土塁が出現しました。
 いや、何度見てもこういう瞬間は嬉しいものです。この標柱が立てられているあたりが館跡の南東部分で、いきなり折のつけられた土塁・空堀を目にするとテンションがあがります。今日は急いで家を出てきたせいもあり膝用の高級サポーターを装着し忘れてきたため膝の動きにやや問題がありましたが、何とか空堀部分を半周し土塁の上にも何度か登ることができました。空堀の中では近くの保育園の年長組の子どもたちが保育士に引率されてお散歩中で、枯枝や木の実を拾い集めていました。

凸伝安達氏館
 伝源経基館からこちらまでの道が地図上では直線にして1.5kmほどなのですが、その道のりが結構分かりづらく2度ほど間違えつつ漸く到着。館跡と推定される場所の中心部に位置すると思われる放光寺には安達藤九郎盛長の復元された墓所を見学できると共に埼玉県指定文化財の盛長の木像も所在ししています。また館跡の南側の荒川の堤防沿いには氷川神社の境内があり二、三百年以上はありそうな樫、欅、銀杏、樅などの巨木に囲まれ館跡との直接的な関わりは不明なものの歴史を感じさせる落ち着いた佇まいを見せていました。

凸宮前本田遺跡
 周辺の水田面と比べて2mから3mほどの比高差を有する幅100mほどの舌状台地に位置していることが分かったのですが、周辺を見回すと似たような地形の細長い台地があちこちに見受けられました。
凸富士山遺跡
 北西の外れの浅間神社古墳以外には地形的には殆ど特徴のない住宅と畑しかない平坦地で、特に微高地となっているわけでもなく中世の館跡の所在地としては余りにもそっけない感じがします。

凸伝箕田氏館
 真言宗満願寺とその東側にある古墳の辺りが箕田源氏の館跡と推定されているようですが、歴史を感じさせる遺構としては高さ3mほどの箕田2号古墳ぐらいのものでした。

凸中三谷遺跡
 この名称よりも埼玉県の運転免許センターという方が一般には有名なようですが、発掘調査が行われた場所の上にはドカンと教習コースと運転免許センターの建物が建てられていました。遺跡についての解説版などがあるかもしれないと、水路沿いの道路の端を歩いてみましたが特にこれとって見当たりませんでした。仕方なく市立運動公園のプランターの雛人形の図柄などを撮影して本日の一筆書きの行程を予定通りにかつ時間通りに終了。

 それにしても6ヶ所もまわって地表上に遺構らしい物が所在していたのは最初の1ヶ所だけで、他は「伝」とか「..遺跡」などと、およそ城跡めぐりらしくない内容であったのは毎度のこととはいえ自分でも呆れています。



鴻巣市の蕎麦屋安曇野

また店内の様子を撮影

とろろ蕎麦大盛これでもか!の俯瞰図
■とろろ蕎麦ホントに大盛 800円也


小粒ですが甘すぎず家族には好評でした
■思わず購入したそば大福 一個100円也

 お茶とお絞り付きですが、蕎麦湯が無かったのが少しだけ心残りな超特大大盛のとろろ蕎麦。
 最初の三口はそば汁をつけずに蕎麦だけでいただいた後に本格的な蕎麦との格闘が始まりました。一度に食べた蕎麦の分量としてはダントツで過去最多記録を更新。ちなみに蕎麦の盛られているセイロの大きさはおよそ30cm四方かと。この上に通常の5倍ほどの蕎麦が満遍なくしかも分厚く盛られていました。店内の壁にかけられている写真はあくまでもサンプルだと思っていたのが大間違いでした。なお蕎麦猪口の大きさは径12センチほどです。したがって蕎麦汁の分量も通常の2倍以上に。国道17号線北の県道38号線沿いにあります。(火曜日定休)

撮影月日:2005年11月21日
撮影場所:埼玉県鴻巣市 

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・2005年11月19日    再び加須で右往左往
           

 先日のリベンジもかねて加須市の文化財めぐりのようになってしまった訪城です。しかし、今度も関越自動車道の事故のため川越方面への下り方向が数キロの渋滞となってしまいました。仕方なく途中からさいたま市方向から国道17号線を北上するコースに変更したために結果的に片道2時間を費やしました。おまけに、この方面からの道筋はまったく知らないも同然のため相当にあちこち迷うはめに陥りました。

凸割目堀の内
 先日は目的地の近くまでは到達したものの午後4時を過ぎた上に生憎の曇天のため日没コールドになりました。また今回はアプローチした方向が前回とは反対の方向から来たこともあり、集落のなかの道路を二周するなどして、久々方向音痴の本領を発揮しました。だいたいこの辺りは加須市と久喜市の境界が複雑に交錯していて水田の中の道路も相当に狭く、水田と道路の段差も1m以上あり、用水路は車1台ぐらいが落ちるのにちょうど良い大きさだし、もちろんガードレールなどというようなものは殆どなく、こちらが急停車したから良いようなものの十字路で他の車は徐行せずに40キロぐらいの速度で通り過ぎるし...と、要するに運転には細心の注意が必要です。
 さて肝心の遺構はというと古河公方足利政氏ゆかりの館門と伝わっている桂性寺の山門は思ったよりも小さく、風雨に晒されて痛みの目立つような部分もありました。また、堀の内の思われる場所の周囲には湾曲した集落の道路が通りかつての堀跡との関連を想起させます。
 このあと前回場所が分からず見学できなかった大越地区の小山朝政の宝篋印塔とそのついでに利根川の堤防を見学。利根川の対岸は群馬、栃木県ですが、今日は風が強く堤防の上では10m前後の空っ風が吹きまくっていました。もっとも、そのお蔭でくっきりとした上州の山並みを目にすることができ、榛名、赤城のみならず日光、那須の連山そして常陸国の筑波山までもが一望できました。

凸久下塚氏館
 東武伊勢崎線の北側の久下郵便局付近が館跡のようなのですが、こちらの方は宅地化が進行し農地が残ってはいますが、およその場所を一瞥しただけで地表の痕跡については本当に全く何も無いことが分かりました。仕方が無いので、地名が看板に大きく記されている久下郵便局の写真を撮影して周辺を一回り歩いただけで撤退しました。

■小林家屋敷
 古河城の城門が屋敷門として転用されているお宅で、南側からの屋敷塀と一体となった延長100mはありそうな造作の眺めは実に壮観です。屋敷の敷地も水害から家屋敷を守るため水田よりも1m前後高くなっていると共に北側部分には堀跡を兼ねた水路が現在も残され、屋敷側の部分は土塁のような地面の盛り上がりが散見されます。近世以前からの系譜があるとすれば間違いなく在地領主の居館のような規模と景観を呈していますが、その辺りのことは余りはっきりとはしていないようです。

凸設楽氏陣屋
 地図によると加須駅の北側にある繁華街に所在しているので、車を停めるべき場所を探すのに躊躇すると思われましたのでアプローチするのを敬遠していました。しかし、実際にはパチンコ屋の辺りが陣屋跡のようでしたので、ちょこっとそのガラガラの駐車場に停めさせてもらって周辺の様子を撮影して即座に撤退。最も周辺の様子とはいっても、何のことは無いパチンコ屋の建物と駐車場のフェンスに設置されたノボリバタがはためく写真に過ぎないのですが。
 
 このあと、鴻巣の「伝源経基の館跡」に行こうとも思いましたが、日差しはまだまだ明るいものの太陽の角度が大分下がってきているため写真のコントラスト調整が難しくなることが予想されましたので、下記の蕎麦喰いモードに切り替えて本日の訪城を終了しました。



騎西町の蕎麦屋店内の様子

たまには店内の様子も撮影

とろろ蕎麦の俯瞰図
■とろろ蕎麦大盛 785円也

 蕎麦茶ではなく普通のお冷でしたがガラスのコップが良く磨かれていて清潔感がありました。写真の通りとろろ蕎麦には箸袋もありませんが、お値段は何と大盛100円増にしても785円という安さで、お絞りもでましたし蕎麦湯もすぐに来ました。しかしどちらかといえば加須に近いのでうどんが売り物のようでしたが、蕎麦自体にもなかなかこしがあります。
 また、そばつゆが別になっているのでトロロと汁の配合を調整しながら食べる楽しさがあります。始めからそばつゆが注がれた器で食べると、最後の方はだんだんと汁の味が薄まっていくのが実に物悲しいのであります。

撮影月日:2005年11月19日
撮影場所:埼玉県騎西町 

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・2005年11月14日    加須で右往左往した割には
           

 先週は、おそらくは職業人生最後となる連続3日間の研修のため朝5時半に起きなくてはなりませんでした。したがって、午後9時には寝てしまうという規則正しい生活を送っていたために、HP日記の更新もままならず暫く空白の日々が続きました。
 さて今月2回目の城跡めぐりの方はというと、どういう事情か全く分かりませんが川島町から鴻巣に向う県道が荒川の手前あたりから途中からかなりの渋滞となり、国道17号線まで延長にして延々6キロと幸先の悪いスタートとなりました。

■常泉の代官屋敷跡
 江戸時代の代官・名主の屋敷跡は現在は大手の物流倉庫の敷地となっています。その南側の古い屋敷門の所在していたと思われる場所に新しい豪壮な屋敷門が建設されていました。その辺りの経緯がよくわからないので後日調査が必要かと思うのですが、西側と南側の一部に構堀の跡と思われる水路が遺されていました。
(追記)近年代官屋敷の子孫の方が新しい屋敷門を建設されたということでした。また以前の代官屋敷は四方に構堀がしっかりと残されたものであったということです。

■香積寺(旗本設楽氏の宝篋印塔)
 香積寺の所在地と宝篋印塔は直ぐに見つかりました。しかし、時間が無かったこともあり加須駅近くの設楽氏の陣屋跡の場所には到達していません。

■忍城の黒門(総願寺)
 黒門は年代の割には思ったよりも磨耗がすすんでいるような個所が目立ちました。総願寺の不動尊は著名な存在のようで七五三のお参りをしている家族が散見されました。七五三は神社にお参りするのが一般的なはずですが、こちらではそうでもないのかもしれません。

■十三仏青石塔婆
 総願寺の駐車場に車を停めたまま市内を歩いて所在地を捜索。約40分ほどの時間を要しましたが畑の中の道の曲がり角にお地蔵さんたちと仲良く並んでいました。この帰りがけにやや元気だとはいいがたい雰囲気の市内の商店街にある老舗で下記写真の五家宝を購入した次第。

館山;
 東側の徳性寺に所在しているはずの小山朝政の宝篋印塔が見つからず、推定されている一帯をぐるっと一周してみたものの肝心の館跡の所在地も余りはっきりとは確認できず...場所そのものとしては間違ってはいないと思うのですが、「市史」に掲載されていた写真はたぶん30年ほど以前のものと思われますし...
(追記)やはり、ことによるとこれのことかもしれないとあたりをつけていた場所、すなわち畑の中に所在する民家の西側の屋敷林の辺りが遺構であるとされているとのことでした。また、小山朝政の宝篋印塔の位置も寺の東側の地域の公民館の辺りであるということが分かりましが、それもそのはずいくら境内の墓地を探しても見当たらない訳です。

■普門寺の青石塔婆
 晴れ間の全く無いどんよりした天候のため次第にあたりも暗くなり始めたので、数体の板碑を写真に収めただけでとっとと寺を後にしました。

■建長5年の青石塔婆
 所在不明。恐らく工業団地の造成の時に所在していた寺院と共に移転した模様かと。
(追記)所在地を勘違いしていて工業団地の南側に現在も所在しているとのことです。
門井氏館
 駐車スペースが付近に見当たらず堀幅の広い水堀跡が明確に現存していますが近世以降のものかも知れませんが、立派な屋敷門のあるお宅の西側と南側に残されていました。直線的な堀ではなく曲線が目立つ水堀となっていました。また、外堀に面した公道から内堀の位置に所在している屋敷門までの距離がどう見ても50m以上もあるような広さでした。しかし、本日唯一の成果といえばこの場所だけというのが何とも。

川口氏館
 新興住宅地の中にポツンと寺が一軒所在するというだけの状態で、本当に何の形跡も無く蕎麦も食べ損なったし...流石にこれ以上書くことがありません。

花咲城
 帰路の途中に所在していることもあり先日の探訪の折見落としていた個所を中心にフラフラと。やっぱり、線路の北側の城趾公園には地表から分かるようなものは全く何も存在していません。たぶんこの辺りに堀跡と障子堀の遺構が埋まっているはずだなどと独り言を言いながら、スーパーの駐車場に車を停めて辺りをウロウロしました。夕暮れ時人気の無い何の変哲も無い公園やスーパーの駐車場の写真を撮影している怪しげな初老の男と成り果てていました。
 
 このあとさらに大正時代の村役場の建物が残されているらしい場所と久喜市に近い館跡のほうにも行ってもましたがすでに午後4時を過ぎてしまいあたりは薄暗く両者共に成果なしという結果に。
(追記)大正時代の旧水深村役場の建物は大変残念ながら改修中の事故により焼失してしまったとのことでした。
 予定した14ポイントのうち12ポイントを回ったものの、今日はというか、何時もというべきか、殆どまともな城館跡をまわっていないので、一体何のために往復4時間近くもかけて渋滞の中を加須までやってきたのか自分でもよくわからない一日でした。おまけに遅い昼飯を予定していた蕎麦屋は2軒は準備中、また3軒は定休日のため、結局昼飯抜きのまま日没コールドとなりました。 



パック入の五家宝

何時もと同じ皿にのせて撮影した俯瞰図
■名物の五家宝
文久2年創業武藏屋謹製300円也

 関東三大不動に数えられる加須市の総願寺には忍城の城門であった黒門を始めとして多くの文化財が所在していますので、忍城の城門であった黒門も城館跡の一部と考えることにして参詣に訪れました。七五三は神社の専売特許かと思いましたが、こちらのお寺ではどう見ても七五三としか思えない家族連れが次々とおまいりと祈祷に訪れていました。特徴のある13仏の彫り込まれた板碑の所在地を探し歩いた帰りに名物の五家宝を購入しました。それにしても慌てて食べるとかなりの確率でむせます(^^;
 なお、翌日の朝には計16個の五家宝は跡形もなく子どもたちの腹の中に納まって、大量の黄粉だけがパックと共にテーブルの上に残されていました。以前と違って余り菓子類には興味を示さなくなった子どもたちではありますが、珍しさと甘さを抑えた独特の食感が食欲をそそった模様でした。

撮影月日:2005年11月14日
撮影場所:埼玉県加須市 

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・2005年11月5日    騎西から加須へ
           

 行楽シーズンになったので交通事情などを考えるとできるだけ土日は避けたいのですが、月曜日の天候が思わしくなく予定を繰り上げて土曜日の城跡めぐりとなりました。

荒川氏館 
 騎西町の道智氏館の北西約1.5キロメートル地点に位置していますが、幹線道路から離れているために道筋がやや分かりにくく、かつ道路の幅員も狭く水田の畦道を拡張したような車同士のすれ違いが困難なところも周辺にあるので要注意。西側の天神社の付近には明治の終わりごろに発生した水害の記念碑なども建立され、周辺の宅地は大部分が盛り土をしているようです。さて館跡の一角に含まれると推定される玉泉寺の北西側には水田面との比高差1m以上のそうした古い盛り土の跡が残っていますが、館跡の遺構かどうかについてはなんともいえないところでした。
 しきりにやや甲高いぱちぱちというような物音がするので一体何かと調べてみたら、物音の正体はどんぐりや銀杏の実が次々に落ちてくる音で、境内の地面はよく見るとそうした木の実で覆いつくされていました。
明願寺館
 こちらは地形的には荒川氏館よりも更に館跡としての面影が見られず、僅かに数体の境内に存在する板碑が中世の武士とのつながりを示唆するだけでした。玉泉寺の境内は墓地を含めてもそれほど広くはなく、本堂も檀家の方たちの寄り合い所のような建物が併設された小規模なものでした。また、境内への入口の道路も決して広くはなく、それに加えて道路わきの大きく開いたU字溝との段差が1m以上あるので心して向わないと大変な目にあいそうです。境内の堂宇や板碑の写真を撮影している最中に、一匹の飼い犬が出てきて境内の真ん中で立ち止まりこちらを不思議そうな顔をして見つめていましたので、「おいでおいで」をしてみたものの怖がって小走りに去っていきました。
 この寺でも銀杏の実が煩いほどにパラパラと上から降ってきました。今年の秋は余り紅葉が映えない様子ですが季節としての秋はどうやら確実に深まってきているのでしょう。
礼羽氏館
 所在地が余りはっきりとは分からず、あたりをつけた地域をウロウロとしていると縄文時代の遺物の「石皿」が発見されたという文化財標柱が立てられているお宅がありました。そのお宅の南側の道路沿いには明らかに堀跡と思しき幅1m以上の窪みが続いています。また東隣の隣家との境には南北方向に幅3m以上で長さ15mほどの堀跡らしき大きな窪みが残されていました。当時のそのままの遺構とは思えませんが少なくとも近世の終わりごろまでは屋敷の構堀のようなものであったことが窺がわれました。
戸崎城?
 騎西町の戸崎城の名称が同じで距離も目と鼻の先となっています。また所在地は礼羽氏館よりももっと分かりにくく住宅が密集している辺りのような感じがしますが全く自信が持てません。おまけに城館としての由来も、経緯も殆ど分からず1980年代中頃に埼玉県内でほぼ一斉に実施された城館調査のデータでも閲覧しなければどうにもなりません。しかし基礎データの保存や公開については最近は、個人情報の保護などの関係もあり市町村の対応がまちまちの様子なので余りあてにはできないようです。
花崎城
 南側の城址公園の中をあちこちうろうろとめぐり、少なくとも3か所程度の郭が残されていることは確認できました。しかし、障子堀や畝堀などが検出された東武伊勢崎線の線路の北側の方はたぶん何もないだろうと勝手に決め付けて線路越しに一瞥しただけでとりあえず観察終了。というのも本来月曜日に出向く予定でしたので、この期に及んでいまだに資料を下調べしていないという事情もありましたが。加須方面はどの道あと2回ほどは訪れる予定なので。
 さて、現在も浅い水堀となっている場所では1羽の鴨らしき水鳥が餌を探して泳ぎ回っていました。最初はだんだん自分のいる場所から遠ざかって行ったのですが、何故か途中で方向転換して目の前までやってきたので、デジカメとはいえどもついそうした余り意味のないような水鳥の生態写真を10枚以上も撮影してしまいました。そういえば小川町の高谷砦の時も途中の道路わきの水路でアヒルの写真を撮影したことを思い出しました。
 
 この時点でちょうど午後2時。日没までの時間はまだ十分に残されていましたが、夕方の道路の混雑を避けたいことやいつもどおり遅い昼食を摂る予定であることと、これ以上廻ると記憶が混乱することが必至なのでこれにて本日の訪城終了。 



とろろ蕎麦の俯瞰図 画像クリックで拡大

とろろ蕎麦の上空からの映像 画像クリックで拡大

■そばつゆの味に魅せられた
「とろろ蕎麦」950円也

 この店は月曜日が定休のようで幾度となくすれ違いとなっていましたが、このたびめでたく邂逅することとなりました。値段はやや高めですが国道254線バイパス沿いというロケーションと店構えを考えれば妥当なところで、お茶はそば茶でもちろんおしぼりもついてきます。店内もよく管理が行き届きテーブルも清潔のようです。前回の店が余りにも家庭的な状況でしたので、こちらはしっかりと商売をしているという印象です。
 嗅覚が人並みよりかなり劣るために蕎麦の香りについては判断できませんが、やや硬めの茹で方と分量に関しては自分の要求に合致していました。「とろろ」「うずらの卵」と薬味を混ぜたそばつゆの味も風味豊かで、久しぶりに蕎麦湯をすべて堪能しました。そばつゆの器が別になっているので自分で好みの濃さに調整できるというのは重要な要素かと。注文から配膳までの時間も3分前後と久しぶりに待たされることなくスピーディなサービスです。あと、そば茶がもう少し温ければ...猫舌のため...(^^;

撮影月日:2005年11月5日
撮影場所:埼玉県川越市 

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・2005年11月2日    蕎麦の実のようかん
           

 町内のコスモス畑が盛りの終わりの頃を迎えようとしていましたので外にでたついでに撮影に赴きました。この北永井のコスモス畑はざっと3反(3000平方メートル)以上はありそうですが、その中でミニひまわりがまだ二、三本花を咲かせていました。右下写真の看板の下の方にはまだ未収穫の蕎麦が写っています。

コスモス畑 画像クリックで拡大 11月のひまわり 画像クリックで拡大 韃靼蕎麦 画像クリックで拡大


そばの実羊羹 画像クリックで拡大

■そばの実入り羊羹
900円也

 「二八蕎麦2人前」(530円)と「サツマイモ1kg」(たぶん260円だったかと)と共に購入。新そばの二八蕎麦は色合いも緑色が目立ち香りも豊かで食欲をそそり、説明書の通り歯ごたえのあるやや固茹でで食しました。茹でる時間は1分とありましたが、もう少しゆでる時間が長目でも大丈夫かとも思いました。ルチンの力で血液がサラサラになっていくような食感が印象的でした。
 蕎麦の方は撮影する前に腹の中へ移動しましたので仕方なく左の羊羹を撮影しました。蕎麦の実の風味や食感を味わうにはもう少し甘さを抑えても良いのかもしれません。

撮影月日:2005年11月2日
撮影場所:埼玉県三芳町北永井

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