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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/11/05の日記 道智氏館 多賀谷氏館 戸崎城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象2 総合20
所在地
埼玉県加須市阿良川
歴史と沿革

堀の内の地名だけが残る
 この辺りには「堀の内」の地名が残り、「加須市史通史編」などによりますと、北隣の志多見の旧家松村家の先祖が、その主家である伊勢の北畠氏滅亡後に伊勢河内城主松村対馬尉吉宗が忍城主成田氏長に庇護されて志多見に土着し、この阿良川の地にその居館が置かれたとの推定をしていますが、あくまでもその詳細は不明な模様です。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■利根川流域の自然堤防上の微高地に所在し、館跡と推定される玉泉寺の境内地は周辺の水田よりも1m以上は高くなっています。また南東1.5kmには道智氏館が所在しています。

参考資料

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「加須市史資料編1」(1984/加須市)
「加須市史通史編」(1981/加須市)
「調査報告集第3集 加須市の地名」(1979/加須市)   

文化財指定
訪城年月日
2005/11/05
訪城の記録

( 2005/11/05 )
玉泉寺の西側に名残があるようにも
 騎西町の道智氏館の北西約1.5キロメートル地点に位置していますが、幹線道路から離れているために道筋がやや分かりにくく、かつ道路の幅員も狭く水田の畦道を拡張したような車同士のすれ違いが困難なところも周辺にあるので要注意です。
 西側の天神社の付近には明治の終わりごろに発生した水害の記念碑なども建立され、周辺の宅地は大部分が盛り土をしているようです。さて館跡の一角に含まれると推定される玉泉寺の北西側にも水田面との比高差1m以上の古い盛り土の跡が残っていますが、それ自体が館跡としての遺構かどうかについてはなんともいえない感じです。
 人気の全く無い境内ではしきりにやや甲高いパチパチというような物音が聞こえました。一体何かとよくよく調べてみたら、物音の正体はどんぐりや銀杏の実が次々に落ちてくる音でした。このため玉泉寺境内の地面はよく見るとそうした木の実で覆いつくされていました。

記念撮影




 西側からの玉泉寺境内の遠景。周辺の水田面と比べて1m以上地面が高くなっていますが、元来からの地形なのか近世以降の水害対策なのか、あるいは中世館跡としての名残なのか分かりかねましたが、それはそれとして歴史を感じさせるなかなかいい雰囲気ではありました。

 
( 2005/11/05 撮影 晴れ )
訪城アルバム
■1■
 東側の玉泉寺へ向う細い参道からの遠景です。この辺りの道路は水田の畦道を少しだけ広げたような狭い個所が多く目にいたします。
このためできるだけ慎重に通行しないと車同士のすれ違いはもとより、脱輪して水田に落ちる可能性もありますので細心の注意が必要でした。
■2■
 同じ方向からの玉泉寺の近景。
 
■3■
 北西側からの遠景ですが、逆光とレンズフィルターの汚れのため悲惨な画像となっています。この写真がうまく行っていればメインに使用する予定でしたが...
もちろんこのあとフィルターのクリーニング処理を念入りに行ったことはいうまでもありません。
■4■
 市内循環バスが1日辺り4本とかなりの間隔をあけて運行されていましたが、そういえばこのバス停のイラストにも描かれているように加須市は鯉幟で有名でありました。
 天神社への十字路近くのバス停にて撮影しました。
画像クリックで拡大します
■5■
 カタバミの一種で花弁の中央部分の色が濃いのでおそらくイモカタバミだと思うのですが、よく似ている種類にムラサキカダバミがあります。どちらにしても本来花期は4月から9月ぐらいまでのはずですが、11月の上旬まで咲くこともあるのでしょうか。南アメリカ原産の多年草で各地で野生化しているということです。別名をフシネカタバミとも。天神社へ向う途中の民家の生垣の端の方に咲いていました。
■6■
 村はずれに置かれた石造物。左側が近世に庚申講のブームのあった庚申塔(文字のみ)で、その右側が疫病悪鬼を退散させる道祖神(文字のみ)。
のこりの2体はよく分かりませんが、いずれも近世の民間信仰に関係する石像物のように思われました。
画像クリックで拡大します
■7■
 朱色に光り輝くカラスウリの実。小型の鶏卵ぐらいの大きさで、10月下旬から11月頃になりますとあちこちでやたらと目にすることが多くなります。
■8■
 旧阿良川村の鎮守であった玉泉寺の400mほど西側に所在する菅原道真を祀る天神社。幕末の文政13年(1830年)に奉納された源頼朝の石橋山の挙兵を題材にした絵馬などが所在しているということです。頻発する水害からこの社殿を守るためかと思いますが、周辺の水田面よりも1.5mほど高い位置に所在していました。
 なお石造の鳥居の形は典型的な明神鳥居の形式です。
■9■
 この年は晩秋の11月になってもなかなか気温が下がらず、収穫の終わった水田では再び稲が生長(ひこばえ)を始めていました。
しかしやがて最低気温が10度を下回るようになりますと結局は枯れていく運命にあります。
■10■
 南側からの玉泉寺遠景。
■11■
 玉泉寺の南側の隣家との境界には水路が流れていますが、あくまでも気のせいかもしれませんが奥の方の感じは多少堀跡のような印象もあります。
 
■12■
 曹洞宗太田山玉泉寺の本堂。「新編武蔵風土記稿」によると太田道灌の父である太田道眞の開基と伝えられ、道眞居士と記された位牌が所在するとのことですがはっきりしたことは分からないようです。
住職の方はこちらの方には常駐されていない模様でしたが、地元の檀家の方がご芳志なされているのかとても管理が行き届いているように感じられました。
 
交通案内

・国道122号線の約西1.5キロ、国道125号線の南約700mの地点 MapFan Web の案内図です  

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