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■1■集会所の建物が目印
円良田城の登口よりも100mぐらい南側の円良田湖よりの道路を西に入ります。
写真の建物は円良田の「農村センター」という名称の地元の集会所のようなところで、そのすぐ北側の道を円良田湖の方から見て右折します。(南側120m付近には「円良田特産センター」の建物が所在します)
車はこの集会所の前の自動販売機の置かれた場所に駐車しましたので、もちろん帰りがけに自動販売機で120円のジュースを購入した次第。
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■2■分岐その1
左の写真の先の方にも写っている二叉路で、左の道は「美里ロイヤルクラブ」というゴルフ場へとすすむ道なので、ここから右側のやや緩い坂になっている細い方の道を600mほど東の方向へすすんで行きます。
写真「3」の手前の空き地に車を止められるような場所がありますが、どう見ても近所の民家の方の駐車場所のようですのでくれぐれもご注意を。
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■3■分岐その2
さて、舗装道路はここまでで、ここから道がまた二つに分かれていますが、右側のいかにも山道らしい道を登っていきます。
冬場のもっと見通しのよい時期ならば、この道を左に進み砂防ダムのある辺りから尾根に取り付けば二重堀切のある場所に到達するはずですがもちろん途中の尾根筋から踏み跡さえ消滅してます。 猪股城側から下って砂防ダムが確認できる場所まで下りてみましたので多分間違いありません。なお、正面の看板は土石流に注意せよとの旨の標識にて。
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■4■登谷山方面
途中樹木が伐採された尾根筋があり、周辺の景色を確認するためその尾根筋を這い上がると思いのほかの佳景が眼前に展開。 正面の遠くに見える山が多分標高668mの登谷山で、その手前に荒川が右から左方向に流れています。花園城と花園御嶽城は右側の山陰のため直接確認することは叶わず。
また、北条氏邦の命令により武田、上杉の軍勢が秩父往還や児玉町方面からの進入する際に、早鐘を撞いて危急を知らせる鐘撞衆が置かれたとされる標高330mの鐘撞堂山手前の左側に稜線の一部が見えます。
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■5■南側の眺望が開けた峠への道筋
そのまま猪俣城への踏跡でもないものかと探してみましたが、身動きの取れないぐらいに木々が叢生しているため断念。多少の藪こきをして素直に元の道にもどり、暫く進むと峠のような視界が開けた場所に出ます。
この先の所から左側の稜線を登れば円良田城の南西側の尾根筋からの入城となりますが、踏み跡も不明瞭であることに加えてヤマツツジの枝を折り山野草を踏み潰して進むようになりそうなの気配のため断念。
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■6■鐘撞堂山への分岐
分岐といっても猪俣城への道は何も標識がなく、ご覧の通り踏み跡も些か心許ない状態ですが、道に迷ったとしても北側はすぐゴルフ場ですのでそれほどの心配は要らないと思います。
しかし、4月中旬でこの状態ですから、間違っても5月から10月の間の訪城は止めておいたほうが良さそうです。
(追記)
当時、美里町の教育委員会に事前に城跡の状態を確認したところ、「全く未整備である」ことを強調されたことを思い出しました。
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■7■谷筋から見上げた本郭付近
標高220m付近の谷筋の左岸に刻まれた山道から眺めたものですが、樹木の繁り具合の関係で2年前にも全く同じ角度で撮影をしておりました。
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■8■二の郭の小口 画像クリックで拡大
郭内から見た西側の二の郭の小口部分ですが、恥ずかしながら2年前にはその存在自体にさえも全く気付くことなく行き過ぎておりました。
今にして思えばこの頃は未だ「堀切」「竪堀」「小口」の区別さえ、皆目判然として居りませぬ状態であったことを懐かしく思う次第。
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■9■二の郭と本郭の間の東側の竪堀
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画像の右側が二の郭部分に相当しますが、狭い稜線と比較してその規模が大きいために広角レンズでも入りきらないのでありました。
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■10■二の郭と本郭を繋ぐ土橋
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幅1m長さ6mほどの土橋状の地形ですが、東西には規模の大きな幅の広い深い竪堀が存在し、事実上斜面側を迂回して移動することは困難で攻め手の行動を大きく制約することが予見できます。
なお、画像の手前が本郭で向こう側が二の郭側となります。
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■11■本郭北側の「狼煙穴」?画像クリックで拡大
直径約6メートル深さ約1mほどの楕円形の穴で、狼煙のための施設という見解もある、本郭の約三分の一ほどの面積占める巨大な「遺構」ではあります。
今回はピンボケはなかったものの立体感がまるで感じられない画像となった次第であります。
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■12■本郭北側の小口部分 画像クリックで拡大
半円形の小口郭から見上げたもので、北側に進むほど標高が低くなるという自然の尾根筋の標高差を巧みに利用したした縄張りが施されていることを改めて強く印象付けられました。
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■13■画像クリックで拡大
三の郭の南端から本郭方向を見上げたもので、本郭との比高差は20m近くにおよぶとともに本来は直線的な稜線の道筋を曲線を描くように巧みな改変をしています。この間には小規模な半円形を示す二段の腰郭(小口郭)が所在し本郭の防御を固めています。
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■14■三の郭と西側の腰郭 画像クリックで拡大
南北方向に細長い三の郭には稜線の東西に小規模な腰郭を配していますが、西側の腰郭はそのまま竪堀へと繋がっているためそれほど明確ではありません。
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■15■北西の二重堀切 画像クリックで拡大
二重堀切の手前の部分を北側から撮影したもので、画像右側が三の郭方向となります。左側の尾根の先端部分は次第に急斜面を形成し掴まるものが無いと這い上がるのもかなり骨が折れます。
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■16■三の郭北東部の竪堀 画像クリックで拡大
西側の片側部分のみに所在し三の郭側の深さは5m以上の規模を有し、画像手前の北東部の土塁との比高差も2m以上あります。
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■17■三の郭北東部の遺構 画像クリックで拡大
北東部の城跡の先端部に位置する細長い郭と三の郭の間には「18」の竪堀が所在し、かつ高さ1mほどの土塁も所在しています。北東側の稜線は急傾斜ではないことを考えると土塁の位置が北東の先端部ではなく、何故三の郭の竪堀側に所在しているのかという疑問が残りました。
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■18■二の郭南西部の堀切 画像クリックで拡大
画像の右側が二の郭で郭側では深さは5m以上の規模となります。直線的な堀切ではなく弧を描いたような形態を示す大規模なもので、南西側の尾根筋からの重要な防御施設を構成しておりました。
ただし、山道の整備状態などの事情により南東側の通常のルートで入山すると見落としがちな遺構です。
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■19■二の郭南西の竪堀 画像クリックで拡大
尾根筋から南東方向に向けて普請されたもので城跡の南西の先端部分に当たります。
峠状の地形まで比較的なだらかな稜線が続いていることから、片側だけの竪堀というのは二の郭直下の大規模な堀切を有するとはいえやや物足りない印象があります(画像「18」参照)
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■20■円良田城側からの猪俣城の夕景
日没直前の光景ですが、南側。・西側に比べて北側と東側の眺望が著しく開けていることが分かります。上州方面から進入してくる越後上杉氏の軍勢を監視する物見砦としてはまさに格好の立地時要件でありました。
画像クリックで拡大 (2006/12/18 撮影)
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