2006/05/08の日記 小高屋敷 原の構堀 加納城 | ||
おすすめ評価 |
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埼玉県桶川市坂田 | |
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■「堀の内」の地名のみが残る |
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堀跡か? | |
周辺の地理的特徴 |
■赤堀川とその支流が北側と東側を流れていますが、本来の館跡の所在を示す堀の内が実際にどの辺りに所在していたのかについては現在の状況からは推定するのが難しい状況で、この場所とは別に桶川東中学校の北側付近もその地形状から候補地の一つかと思われます。 |
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無 | |
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2006/05/08 |
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凸地誌類記述の状況
「新編武蔵風土記稿」 坂田村の冒頭に「往古は岩槻太田氏の領地なり、御入国以来御料所なりしが、正保3年(1646)年諸星氏に賜りしより...」と記されているものの、「寛政重修諸家譜」によれば元禄10年(1697)に稟米から知行に改められたとされているので正保年間には采地として知行されたというのは誤りとしている。(「桶川市史 通史編」)いずれにしても堀の内に関する記述は存在せず、陣屋支配の終焉期であり領地が関東の各地に分散した中堅旗本の陣屋跡とはまず考えられない。 「武蔵志」 領主・堀の内に関する記述はない。 凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) 「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県) 「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣) 「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県) 「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 「桶川市史 第3巻 古代・中世資料編」(1985/桶川市) 「桶川市史 通史編」(1990/桶川市) |
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