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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/10/19の日記 三本堀ノ内館 三本館 上杉館 成沢館
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態6 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象3 総合28
所在地
埼玉県大里郡江南町樋春字宮裏1067
歴史と沿革

深谷上杉氏の家臣の居館跡か
 「新編武蔵風土記稿」の樋口村の旧家五郎八の項には、先祖の新井(平山)豊後守が深谷城の上杉憲盛に家臣として仕えこの地に居住したが深谷城の落城後には帰農し、二重堀の跡が残るのは天正年間にその子の志摩守等が居館としたことによると伝えています。
 後北条氏の滅亡後は、この江南町の地の一部は徳川家の家臣となった武川衆の知行地とされました。甲斐の武川衆は武田氏の有力な武士団のひとつで天正10年(1582年)の武田氏滅亡後は徳川家の家臣となり、天正18年(1590年)の後北条氏滅亡の後に新たに関東の支配者となった徳川家康により、その多くは鉢形城の防備を命じられました。天正20年(1592年)3月の「武川衆宛知行書立」によれば現在の小江川、須賀広、千代合計660石余りの地が武川衆に対して知行され、慶長9年(1604年)の同書立では武川衆に対して1251石余りの加増の沙汰がなされた際、樋口(現在の樋春)の所領の配分についても記されています。

確認できる遺構
土塁、空堀
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■東流する荒川中流域右岸の自然堤防上に位置し面積は約9,900平方メートルを有しています。南側と西側の土塁・空堀は大半が道路や畑となっていて消滅していますが、北側・東側は比較的良好に土塁と空堀の遺構が確認できます。
 特に白壁の土蔵の所在する北側の土塁と空堀は状態もよく堀底から土塁の天辺までの高さは最大で3m近くあるようです。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「江南町史 資料編1考古」(1995/江南町)
「江南町史 通史編 上」(2004/江南町)   

文化財指定
訪城年月日
2005/10/19
訪城の記録

( 2005/10/19 )
国指定の重要文化財の古民家
 この場所は中世の城館跡としてよりも国指定の重要文化財である約300年前の古民家「平山家住宅」が所在することのほうが有名なようです。現在でも土間の一部が納屋兼作業場のような形で利用されている建物で、ちょうど縁先でご年配の方がお仕事中でしたので撮影の許可をいただき古民家を含めて土塁・空堀跡を心行くまで撮影させていただきました。空堀と土塁は「江南町史」に記されている通り北側と東側がよく遺されていますが、樹木が生茂り薄暗く見通しが利きません。土塁・空堀跡の規模や配置・繋がり方などから見ると現在遺されている部分は恐らくは全体の一部であり、本来はもう少し規模の大きなものではなかったかと思われました。

記念撮影

 1971年に国の重要文化財に指定された築後300年前後の平山家住宅。3間取りの大型民家で建築年代は18世紀の始め頃と推定されています。
 現在でも農作業関係の機具などの保管場所などとして使用されていました。
 
( 2005/10/19撮影 晴 )
訪城アルバム
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 重要文化財平山家住宅の解説版。
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西側の竹林の中に僅かに残る土塁の一部ですが、南にすすむにつれて次第に消滅していきます。
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 北西の角部分の土塁と空堀で正面方向が北側の空堀となります。おそらく堀底と土塁との高低差がもっとも大きいと思われる部分で、この辺りではおよそ3mほどの高低差があるようでした。
 「江南町史」に記されている延慶4年(1311年)と刻まれた板石塔婆が立てられていたというのはこの土塁の辺りかと思います。
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 北側の土塁と空堀。実際には当日は晴天であったにも拘らず相当薄暗い状態でかなりの露出不足のため大幅に修正してあります。
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 西側の町道から眺めた平山館の様子で、この屋敷林の中に立派な土塁と空堀が遺されていますが外部からでは全くその存在を窺い知ることはできません。
交通アクセス

・熊谷東松山有料道路の熊谷大橋手前の東側 MapFan Web の案内図です  

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