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・2005年10月31日    午後から騎西城方面へ
           

 午前中の所用を済ませて午前11時。さて、空模様はどう見ても降りだしそうには思えない明るさ。一昨日の天気予報が殆ど外れたこともあり、日中小雨がぱらつくという予報を全く無視して騎西城と加須方面へ出没。天候は途中から晴れ間が広がり秋晴れとまでは行かないもののまずまずの好天に恵まれました。もっとも帰路の途中の話ですが、午後4時過ぎに川島町あたりで辻褄あわせのような小雨がパラパラと落ちてきたので結果的に天気予報は当たっていたような。

凸騎西城(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 城攻めをともなう合戦や近世初期の徳川家の大名の居城としての歴史もあるので、実際の所後々のHPの編集のことも考え訪城するのはもう少し色々と資料を読みこなしてからと思っていました。しかし、どうせ何時かは行くのだからこの際とりあえず行ってみようということで模擬天守でそこそこ有名な騎西城にきてしまいました。近世の騎西城の城郭部分は埋め立てや農地開発、近年の宅地開発などで大きく変貌し地表上では殆ど見る影もありません。それでも僅かながら天神曲輪の南側土塁の一部が保存されていると共に、前玉神社の西側には少なくとも近世初頭当時の堀跡らしき形状が遺されていました。
 武家屋敷などが立ち並んでいたとされる城の東側の地域には、それほど広くはない範囲に寺が3か所と神社が2か所も存在していることから、一時的とはいいながらも城下町としての歴史を感じさせます。郷土資料館となっている鉄筋コンクリート製の三階建て模擬天守も歴史的な考証は別として写真にすると周囲の風景になじんでいるように見えました。しかし、せっかくの施設も年間の限られた時期しか開館していないので残念な感じもします。発掘された遺物、遺構などのパネル展示だけでも見学できると嬉しいのですが、運営費用や施設管理のことを考えるとそう簡単にはなかなか踏み切れないのかもしれません。

凸鐘撞山(埼玉県加須市)
 本来は熊谷市方面を予定していましたが時間と距離の関係で断念し、加須方面については下調べが全く不十分でしたが騎西城からの距離を考えるとまさに目と鼻の先でしたので出かけてみることにしました。
 さて肝心な遺構については南東側を除いた三方に堀跡(たぶん本来は水堀かと)が遺され内側には最高でも数十センチ程度の高さですが土塁が確認できます。北東から南西方向に伸びる堀跡が一番長く約120メートルほど北西から南東方向の堀跡は東側で約70mほど、西側で80mほどの長さがあります。堀跡の最も幅の広いところは約3間ほどもあり、深さも現在は1mから1.5m程度ですが元来は2m以上の深さがあったものと思われ内郭の土塁の本来の高さを想定すると土塁よりの内側では4mぐらいの比高差があったのではないかと思われます。
 また、屋敷跡の南東側には堀跡が90度曲がって数メートルほど伸びていました。現在、倉庫や入口となっているところは元々の堀跡を埋め立てたように思われました。昨年土地の所有者から加須市に対して寄付されたとのことですが、その篤志には全く頭が下がる思いです。土塁と水堀の現状保存と共に昭和初期の建築様式と思われる民家を含む建物の保存も実現されるとよいのですが。城跡北西に所在する塚の上には「鐘撞山の記」を刻んだ石碑もあり、その地名から油井城とも呼ばれているようです。
 
 騎西町周辺をひととおり巡っていて、集落の配置についてひとつだけ気がついたことがあります。というのは、元からの集落の多くは必ず北西から南東方向に並んで形成されているということで、どうも東西方向に町域を分断する備前堀や見沼代用水の流路などの関係でそのようになっているようです。



天ざる 俯瞰図 画像クリックで拡大
■天ざる 1025円

天ざる 真上から 画像クリックで拡大
■天ざる 真上からの様子

 「天ざる」これで並盛です。最近言動と記憶にとみに自信がなくなり、もしかして大盛を頼んだのかと思いつつ何時もの遅い食事にありつきましたが結果的にはメニュー通りの値段でした。これで大盛を頼むとどういうことになるのか少し怖い...(^^;
 ご年配の女性が3歳ぐらいのお孫さんの相手をしながら調理していましたので些か時間がかかりましたが、このボリュームとこの値段ということで納得させられました。麺はもう少し固めでもよいのかとも思いましたが、この値段にしては天ぷらもまあまあなので再び納得を。でもどうして1050円でなくて1025円なのでしょうか。もっとも他のメニューの値段も下一桁に5円がつくものが目立ちましたが。

撮影月日:2005年10月31日 
撮影場所:埼玉県北埼玉郡騎西町

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・2005年10月29日    さいたま市の特別展へ
           

 天気予報では午後からはまとまった雨が降りそうだとのことでしたので、予定通り訪城は行わずさいたま市の博物館の特別展「戦国時代のさいたま―城と館からさぐる」に行きました。自宅からの距離はそう遠くはないのですが、旧大宮市内の渋滞は予想通りで行きは片道1時間の道のりとなってしまいました。前日に電話で会場の様子を確認し駐車場などを確認したところ土曜日でも問題なく駐車できますとの回答でした。さて、さいたま市立博物館(旧大宮市立博物館)の近くまで行ったところ、付近に所在する有名な氷川神社では七五三のお参りなどの家族連れもあり周辺の一方通行などの交通規制と共になかなか思うように会場まで接近できませんでした。
 ようやくなんとか博物館の駐車場の前まで行ったところ、何故か駐車場の入口には工事用のバリケードが置かれていました。確か来館者については駐車はできるとのことでしたので、念のため博物館の職員に確認したところどうぞご利用くださいとのこと。よくみるとバリケードには小さな字でご利用の際はこのバリケードを自分で移動して利用する旨記載されていました。収容台数はなんと7台のみなので、自分の勤務先の方が広いぐらいですけど、早い話しが土日でもこの駐車場が満車とならないぐらいの来館者ということなのでそれはそれで深刻な問題かと。土曜日の午後という時間帯にも拘らず1階企画展の会場はパネル展示、出土した遺物、古文書類等が中心ということもあり数名の来館者がおいでになっていただけでした。自分の場合は個人的には企画展の図録を入手が目的なので図録と「岩槻城と城下町」(いわつき郷土文庫第3集 共に600円)を購入してとりあえず満足を。



さいたま市立博物館 画像クリックで拡大
■企画展の看板

 自分の所では人海戦術の手作り品ですが、政令指定都市ともなると特別展の看板もこのような立派なものが製作できるのでしょうか。人口の集中している地域に所在することや展示内容についての様々な工夫の跡を考えればもっと来館者がいても良さそうに思うのですが。

撮影月日:2005年10月29日
撮影場所:さいたま市立博物館

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・2005年10月28日    北埼玉郡騎西町方面へ
           

 今週の月曜日は余りの膝の痛みのため一日中寝たきりになり訪城できず、やっと今日になり天候と体調に恵まれて先週の土日勤務の振替で条件が揃ったので今月2回目の訪城へ。

凸種垂城(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 種垂城址公園が目印ですが城跡全体として見た場合にはこの場所から東側の方に大きく広がっているようです。公園の南側には折のついた堀跡と思われる小さなU字溝が隣家との間に残され、また付近の墓地には比較的状態のよい板碑も存在しています。北側に流れる用水路も当時の堀跡の名残のような気もしますが、耕地の整理などにより面影を探すのは些か難しいのかと。城址公園の南端の1.5mほど小高く盛り上がった神社跡はかつての郭跡のようにも思えますが。

凸小沼耕地遺跡ほか(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 県立騎西養護学校の敷地の辺りらしくほぼ種垂城跡の北西に隣接していますので独自の中世以降というよりも種垂城との関連が想定されます。古墳などの遺構と並存していた模様ですが建物の建設などにより面影は全く見られず、やっと周辺の水田の高さの違いなどで同時の様子を想像するくらいのことしかできませんでした。

凸竜興寺(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 永享の乱と、結城合戦により不本意な死を遂げた足利持氏とその遺児たちの宝篋印塔が所在する寺です。江戸時代の相撲の行司の墓を始めとして歴史的な文化財が多いようですが、やはりこの足利氏の宝篋印塔は埼玉県に指定史跡とされているだけあり、小さいながらも御堂のなかに収容されて風化から守られていましたが、外見上はどうみても約550年前のものとは思えず戦国時代の末期或は近世になってから追善供養されたものではないかなどと思うのですが。
 なお、境内の西側の墓地の奥に東西約30m、南北約80m、高さ1mほどの鍵の手状の盛り土が水路と並行して所在しているのですが、最近の工事関係の残土かなにかなのでしょうか。

凸多賀谷氏館(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 内田ケ谷の水田の中にポツンと所在する大福寺の辺りが多賀谷氏の館跡とされていて、周辺の水田よりも1mほどですがその境内地が高く造成されていましたが地表上の遺構は確認できません。境内の本堂参道脇には板碑群が安置されていましたが無住の様子のようで参拝の方も不在で静寂に包まれていました。北西側には付近の神社を合祀した多賀谷神社が所在し、派手さはないものの重厚な建築様式を感じさせます。
 また、大福寺の北西に所在する民家の屋敷門が余りに立派なためにその存在感の大きさに圧倒され、つい中世城館跡を探訪していることを忘れてしまいました。

凸道智氏館(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 田ケ谷小学校の北側の真言宗智山派成就院稲荷山万福寺の境内周辺が館跡とされていますが、周辺は畑の中に民家が点在するだけでかつての面影はほとんどありませんが、僅かに境内に祀られた1体の大型の板碑と館跡の北側を流れる用水路が当時の様子を伝えています。

凸戸崎城(埼玉県北埼玉郡騎西町)
 西側が竜宝寺あたりで東側が諏訪神社あたりと推定される城跡ですが、それぞれが周辺の水田の面より1m程度高くなっているというだけで。なお、諏訪神社への道は水田の車1台がやっと通行できる程度の畦道となっていますので3ナンバーでの進入はかなり厳しいので、大きな車で来てしまったときには竜宝寺の駐車場に駐車させてもらって徒歩で赴くのがベターかと。はまた諏訪神社の社殿前には戸崎城についての分かりやすい解説版が設置されていました。
 
 今回は殆どが神社仏閣と関連しているため、予め大量の賽銭専用の小銭(殆ど10円玉ですが)を用意していったのですが、浄財を入れることのできない寺社が半分ぐらいありました。防犯上の事情でやむをえないことなのでしょうが、中には殆ど壊れかけた賽銭箱しか所在せず、信仰心の変化・人心の荒廃がこうした地方にも及んできていることを実感しました。



田舎そば 画像クリックで拡大
■田舎そば1380円

懐かしの丸型ポスト 画像クリックで拡大
■懐かしの丸型ポスト

 何時もは「とろろソバ」が多い昼食ですが、本日はどーんと奮発してセットメニューの「田舎そば」を注文しました。大盛ではありませんがそばのボリュームも多く、また具の種類も豊富で色々な味を楽しめる内容かと。編集中に気がつきましたが写真の向きが明らかに逆でした。
 店先には看板代わりの丸型の郵便ポストが置かれていました。もう50年高く前になりますが、よくこういうポストの上に登って遊んでいたのを思い出します...もちろん怒られましたが。現在の箱型のポストとは違って、機能上は不必要としか思えないほどの複雑な造形美をともなう昭和の中頃の郷愁を感じさせる風景のひとつです。

撮影:2005年10月28日
撮影場所:北埼玉郡騎西町

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・2005年10月23日    一大イベント終了
           

 自宅と職場に蔓延っていたオリズルラン20鉢とツユクサ科トラデスカンチア7鉢をイベント会場で無償提供により処分しました。トラデスカンチアが意外に人気があり、もう少し提供してもよかったのかというくらいあっという間に貰い手が見つかりました。両方とも概ね栽培方法については熟知していますので、それぞれ詳しいオリジナルの説明書をつけて提供しました。また、来年に向けて子株から育てる準備をしなくては...。



ノハラアザミ 画像クリックで拡大

ノハラアザミ 画像クリックで拡大
■ノハラアザミかと

 江南町の上杉館跡が所在する平地林の蔭に咲いていた幾分盛りを過ぎた感のあるノハラアザミ。
 いわゆる普通のアザミで総苞弁が写真のように幾分反り返っていますが、近縁種の5月から8月に開花するノアザミは総苞が粘々するということです。またこの種は根生葉が花期になっても残っていますが、ノアザミの方は消滅するということです。キク科アザミ属の多年草。

撮影:2005年10月19日
撮影場所:江南町千代地区

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・2005年10月19日    今月やっと訪城へ
           

 前日までの天気予報では台風の影響でどう見ても雨模様。 したがって、休みが取れたものの家で資料などに目を通して時間をつぶそうなどと考え、のんびりと朝寝と決め込んで惰眠を貪っておりました。何時まで寝てても仕方がないもので、9時過ぎに起きだして何時ものように「ぼーっと」しつつ新聞とテレビを同時に見ながら朝食を摂っていました。しかし、どうも外は雨が降っている気配が感じられず、念のため外に出で見るとしかし、今日になってにっくき台風は消滅したらしく、朝方から薄日が差しているではないですか。
 車の燃料は少ないし、一昨日から装着していた器具をクリニックに返しに行かなくてはならないし、携帯は仕事先に忘れてくるし、膝の具合は相変わらず妙な感じだし....と城跡めぐりに出かける条件としては大分問題がありそうですが、この際そのようなことは一切関係なく、とっとと用件を済ませて10時30分には自宅を出発。資料の準備や下調べについてはこの間十分すぎるほどの時間があったので、出かける直前になってあわてて目的地の地図をプリントするなどということもなく、試行錯誤の反復行動により少しは学習効果があがってきたようです。
 なにより、自分でも感心するのは目的地まで道路地図を殆ど見ないでも到着するようになったことです。今回の江南町そのものはまだ3回目ですが、周辺の道路事情がようやくボケはじめてきた頭の中にも少しずつ定着してきたらしく、途中で車を道路の左に寄せて地図を確認することもなく1番目の目的地に予定通り11時50分に到着しました。

凸上杉館(埼玉県大里郡江南町)
 江南町の資料によると空堀跡などの遺構があちこちに分散していますので、それらの場所と現状を逐一確認していたため都合90分以上も時間を費やしてしまいました。結局確信を持って確認できたのは南北方向に50メートル遺されている土塁と空堀跡だけで、その多くは竹林や屋敷林の中に隠れていて厳冬期でも確認することは難しそうな状態でした。 しかし、この一番状態のよい南北方向の土塁と空堀跡にしても全体として本来の形がどのようなものであったのかを窺い知ることが難しい状況です。
 さて、たまたま土地の所有者と思われる方がこちらの方をご覧になっている様子でしたので、ご挨拶の上許可をいただいて撮影実行。比較的見通しのよい竹林の中は思いのほか蜘蛛の巣が多く薮蚊がまだまだ活動中でしたが、延長にして50m以上空堀の底からの高さ2.5m以上の土塁と堀幅10m前後の空堀を目の当たりにすると、そういった問題は本当に些細なことになってしまいます。県道47号線千代の信号の四つ角には最近のものですが上杉家と刻まれた墓石なども所在していたりしますし、伝承などからもやはり深谷上杉氏と関連が浮かび上がってくるような気がします。

凸三本館(埼玉県大里郡江南町)
 荒川に平行した県道81号線(熊谷寄居線)の南側にあり、北西の一部に土塁と水堀跡が遺されています。しかし、まだこの時期は夏草が繁っていますのでフェンス越しで拝見することもあり大変残念ながら殆ど見ることができませんでした。館跡の西側には大変立派な屋敷門を備えた江戸時代の始めから続いている名主を務めた旧家が今も所在していますが、南側から拝見した光景は被写体としてかなりの見栄えがします。

凸堀ノ内館(埼玉県大里郡江南町)
 残念ながら地表上で判別できそうな遺構は存在しません。畑の中の大木が目印という情報を頼りに三本館の方角から用水路沿いに畑との境に沿って歩いていきました。途中からは全く道がなくなりましたがそのまま用水路沿いの畑の端の方をすすんでいくとそれらしい大木と地形が目の前に現れました。大木のある辺りが少しだけ周辺の畑よりも高くなっていますが、江南町の資料では遺構であるとは捉えていないようです。

凸平山館(埼玉県大里郡江南町)
 この場所は館跡としてよりも国指定の重要文化財である約300年前の古民家「平山家住宅」が所在することのほうが有名なようです。現在でも一部納屋兼作業場のような形で利用されている建物で、ちょうど縁先でご年配の方がお仕事中でしたので撮影の許可をいただき古民家を含めて土塁・空堀跡を心行くまで撮影させていただきました。空堀と土塁は北側と東側がよく遺されています。土塁・空堀跡の規模や配置・繋がり方などから見ると現在遺されている部分は全体の一部であり、本来はもう少し規模の大きなものではなかったかと思われました。



とろろそば 画像クリックで拡大

■とろろそばの大盛1050円也

 蕎麦の撮影も久しぶりです。昼食の時間もすでに午後3時に近く、朝の腹ごしらえもそこそこに出かけてきたこともあり、空腹のため割り箸を割いて、薬味のネギをそばつゆに落としてからやっと気づいて撮影したものです。蕎麦の茹で方は幾分軟らかめでしたがけっして蕎麦の風味が失われているわけではありませんでした。またトロロとそばつゆのバランスがよく、蕎麦湯もたっぷりで20日ぶりに蕎麦の美味さを堪能しました。

撮影:2005年10月19日
撮影場所:埼玉県江南町


・2005年10月17日    千葉ロッテ優勝
           

 別に熱心なプロ野球ファンでも、パリーグファンでも千葉ロッテのファンでもありませんが、31年ぶりの優勝は他人事ながら喜ばしく、おぼろげな記憶によれば、たしか荒川区の方だったと思いましたけど当時の狭い東京球場での優勝が最後でしたでしょうか。一方、ソフトバンクは何時でも優勝できるように思えますので、今年優勝できなければ一体何時...という球団が優勝するほうが嬉しいのでありました。



ワタの実が爆ぜて 画像クリックで拡大

■ハクモクレンの実

  熟して落ちたハクモクレンの実ですが、見方によっては何やら怪獣のようにも見えます。一シーズンあたりで、それこそ数千個の実をつけると思います。 その内新しい木として芽吹くものは一個あるかどうかで、さらにその中で幼木として成長するものは数年に1本あるかどうか。

撮影:2005年10月14日
撮影場所:三芳町にて

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・2005年10月16日    晴天長続きせず
           

 3日ほど続いた晴天もそれほどは長続きせず、従ってまた頭痛が...明日はやっと休みで医者がよいの一日となる予定です。なんとしてもあと10年ほど、とりあえず年金を満額受給するぐらいまでは生き延びねば。ははは...



ワタの実が爆ぜて 画像クリックで拡大

■ワタの実が爆ぜた

 やっと綿の実が爆ぜて白いコットンボールが顔を覗かせました。9月ごろにも観察する機会があったのですが、残念ながら台風のため実ごと何処かへ飛んでいってしまいました。

撮影:2005年10月14日
撮影場所:三芳町にて

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・2005年10月14日    頭痛を脱出、しかし
           

 晴天が3日継続したお蔭で頭痛は大体収まってきましたが、今度は右膝がまた言うことを聞かなくなってきました。おまけに右ひざをかばっていると、当然の結果として左の方に体重がかかるために以前の状態に逆戻りしそうな状況です。天候と休みに恵まれず今月は未だに訪城を果たしておりません。今週、来週と土日連続出勤を予定していますが、足の状態がこんな様子なので丁度よいのかもしれません。しかし、振替休みも累積する一方なので今年も有給休暇が30日以上残りそうです。



ホトトギス 画像クリックで拡大

■ホトトギス

 移築した民家の庭先に2株だけ自生しています。早いものは8月頃から花を咲かせるものもあるようですが、このホトトギスは今月に11日頃から本格的な秋の訪れと共に咲きだしました。ユリ科ホトトギス属の多年草で見かけによらずかなり頑健です。

撮影:2005年10月14日
撮影場所:三芳町にて

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・2005年10月12日    天候は回復したものの頭痛が...
           

 一週間ぶりの晴天。本来なら一週間以上続いていた頭痛も何事もなかったかのように消滅するはずなのですが、こうしてキーボードをたたいている間も鈍痛が頭の中をめぐっています。仕事に関係してあとさらに数万円の出費を余儀なくされる可能性もでできたこともあり...余計に...



ネコの「あんみつ」 画像クリックで拡大

■「あんみつ」生後6ヶ月

 よくよく数えてみると、「あんみつ」と「いちごみるく」は今年の4月14日生まれなので生後6ヶ月なのでありました。「あんみつ」は未だに母ネコに授乳をせがんでいます。おそらくは殆どミルクは出ないものと思いますが、なかなか幼児性が抜けないのでしょうか。体の大きさは殆ど母ネコのポミと変わらなくなりました。
 写真を撮るときよく前足を手の上にのせる癖があります。

撮影:2005年10月9日
撮影場所:自宅にて

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・2005年10月11日    晴れてほしい
           

 秋の長雨は頭痛持には特に堪えるようで、今も頭が締め付けられる痛みが断続的にやってきます。今月に入ってから頭痛のなかった日は僅か2、3日しかありませんでした。移動性の高気圧が日本列島を覆い天候が回復すれば全く問題がなくなるのですが、そういうわけで明日はなんとしても晴れてもらいたいと願うのでありました。



ネコのいちごみるく 画像クリックで拡大

■生後5ヶ月のいちごみるく

 いつもは余り嫌がらない「いちごみるく」が、珍しく少しだけ嫌がるそぶりを見せていました。ここだけの話、ネコを抱いている娘は寝ぼけ顔のためとてもお見せできる状態では...

撮影:2005年10月9日
撮影場所:自宅にて

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・2005年10月9日    葬式も発生、金が...
           

 今月はやたらと物入りですでに6万円ほどの出費で...などと嘆いていたら葬儀も発生し、更に1万円ほど...。それにしても老眼が確実にすすんできたようで、現在はディスプレイから80センチ以上離れて作業中です。さらに、情けないことにキーボードの打ち間違えが20%近くになってしまいました。一度打ち込んだものを80センチ離れて確認してみると、これが全く日本語として意味を成さない結果のオンパレードとなる始末。



ネコのポミ 画像クリックで拡大

■推定1歳ネコのポミ

 久しぶりに娘のネコを構いに行ったら、「あんみつ」だけでなく「いちご」までが懐いて自分からすすんで「お手」をしたりしたので、たぶん歓迎されたのかもしれません。娘に頼まれて、時々餌をあげたりトイレの掃除をしているので、多少は無害な人間だと思ってくれているようです。写真撮りは何時もの通り娘が抱き上げて撮影したのですが、猫たちは今日は多少ご機嫌がななめの模様でした。

撮影:2005年10月9日
撮影場所:自宅にて

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・2005年10月7日    宴会...金が...無い
           

 今月はやたらと物入りですでに4万円ほどの出費。これに加えて本日の宴会会費7千円也。このほかにまだ、仕事に関係した出費が近日中にあと1万円ほど。仕事に関係した出費いわゆる自腹は1年間に換算するとおよそ30万円ほどかと。毎月の小遣いは4万円なので不足分は全て家計からの支出となりまたしても頭が上がらず。しかしよくよく考えれば大半は自分の稼ぎのようにも思えるのですが....(^^;



ソバの白い花 画像クリックで拡大

■蕎麦その2

 収穫まではざっと10日から2週間ぐらいというところでしょうか。蕎麦の畑と屋敷門のあるこの風景は三芳町近辺では結構有名です。

撮影:2005年9月29日
撮影場所:埼玉県三芳町

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・2005年10月4日    せっせとHP更新を更新する予定が...
           

 HPの更新に邁進するはずでしたがなかなかそう予定通りにはことが運ばず、なんとかやっと9月20日の訪城分までが終了しただけにと止まりました。そこでよせばよいのに今までの訪城記録の整理とページ分割などを始めたものですから、なかなか収拾がつかなくなり昨日一杯を費やしてしまいました。



ソバの白い花 画像クリックで拡大

■蕎麦その1

 ソバの白い花が満開でした。このソバは7月上旬の夏蒔きのもので、ソバは一般に成長が早くて約3ヶ月ほどで収穫できるようです。また同所の春蒔きのものは6月下旬頃に収穫されたようです。

撮影:2005年9月29日
撮影場所:埼玉県三芳町

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・2005年10月2日    珍しく連休、せっせとHP更新
           

 土曜日と日曜日の出勤を交替した関係で連休と相成りましたが、訪城先の未整理分が溜まっているし、先週の木曜日の肉体労働の関係で右ひざの筋肉がパンパンに張っているし...というわけでHPの整理作業に日夜邁進することとしました。



ネコのちゃっぴー 画像クリックで拡大

■ちゃっぴー

 珍しく自宅でくつろいでいた一応この家のネコ。長男の元飼い猫のうちの一匹で、諸般の事情により3年ほど前からこの家で飼われることになりました。その当時からお隣に入り浸ってシャンプー&リンスをしてもらい毛並み艶々ですが、この家で面倒を見てくれた義母がその1年後ぐらいに亡くなってしまったり、眼病が治らず火災や交通事故にも遭ったりして決して順調な一生を送っているわけでありません。
 その分お隣のご年配の方によく可愛がっていただいているようで、実におっとりした性格なのか人に爪を立てたようなことは一度もありません。

撮影:2005年9月24日
撮影場所:埼玉県小川町 

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