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2007/05/21のブログ 凸桜沢氏館 凸新倉館 凸新堀屋敷 | ||
おすすめ評価 |
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埼玉県児玉郡美里町阿那志本阿那志557−1 | |
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以前は堀跡が所在していたようですが、現在は用水路・暗渠となっているようです。 | |
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なし | |
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2007年5月21日 |
( 2007/05/21 撮影 ) |
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・県道31号線阿那志交差点北西角付近 |
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凸地誌類・史書・古記録・古文書などの記述
■新編武蔵風土記稿 児玉郡阿那志村の項には天正17年12月22日の北条氏邦印判状を引用し、「山田屋敷分500貫文を香下源左衛門尉の本領の一部として宛行った」という旨が記されています。ただし、現存する印判状の写しでは「24貫文 本領、500文 阿なしのうち山田および屋敷」と記されていますので「500貫文」の記載については誤植と考えられます。また印判状の写し自体にも本領分の貫高の合計が合わないという事情がありますので、おそらく写し間違いをしているものと考えられます。いずれにしても北条氏邦の家臣である香下源左衛門尉に対して、阿那志の山田あるいは山田屋敷が知行されていたこと自体についてはある程度確かなようです。 また続いて同稿では上記のとおり「大塚氏−黒沢氏−千田氏の系譜」が記述され、天正18年(1590)の後北条氏滅亡後に千田氏が帰農し、そのままこの地において旧家として代々続いていた事情を窺い知ることができます。 ■武蔵志 集落の概要等を記述したのみで詳細な記述を欠いています。 |
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凸参考・引用資料 (太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣) 「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県) 「美里町史 通史編」(1986/美里町)・「武蔵国児玉郡誌」(1992/春秋社−1927刊行の復刻本) 「埼玉郷土辞典」(1966/埼玉新聞社) 「埼玉叢書巻2」所収の鉢形北條家臣分限録(国書刊行会より出版された復刻本より) ・2008/01/01 HPアップ
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