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アクセスありがとうございます。 学術的な城館遺構ではなく主に「素人の思い込みと勘違い」によるものです。
関連ページへのリンク  2006/01/08のブログ 和泉山崎 伊古大沼 三門館 泉福寺館
所在地
埼玉県比企郡滑川町和泉
遺構まがいの地形
V字状の道筋など
城館遺構の可能性
不明
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

「三門館」の対岸に所在
 西側の谷津を挟んでその向かい側に所在している「三門館」(みかどやかた、和泉陣城とも)に近く対岸の東側の丘陵地帯に相当。 かつその堀跡の一部とも考えられなくも無い地形の所在する丘陵地帯の南端部分に当たることも確かな事実なので、憶測を呼ぶ「陣馬沼」(陣場沼とも)の地名の由来そのものも、何やら意味ありげな印象でありました。 

訪城年月日
2007/01/08
訪城の記録 記念撮影

( 2007/01/08 )
V字状の道筋が所在
 決して幅の広いとは言いがたい水田の小さな谷津の奥手が目指す沼地の所在地で、向かって右側の畦道とも呼べないような個所から「陣馬沼」へ。 一体どのあたりまでが沼地の岸辺か判然としない部分もあるので、まさに自己責任の世界かと。 このため最も安全と目されるやや見通しのよい足場のしっかりした高台から沼地の様子を観察。
 さて、沼地の東側には人工地形と思われるV字形の堀底状の道が所在し丘陵上の竹林へと続いていますが、城館地形の一部と考えるには明らかに中途半端な観が。 竹林の境界あるいは雨水の排水・流路と考えるのが妥当かもしれません。 同様の地形は馬場跡と伝わる沼地西側の部分にも所在し、何れも沼地へと下るための掘下げた里道のようなものと解されます。 然し些か深すぎるという部分が所在するということも事実にて何時ものように当惑するのであります。
 なお、この西側部分にも地元の方の墓所や小祠とともにかつての桑畑と思われる段差を有する畑が所在。 あらためて、畑の農地改良による造成地形であることを実感。 念のため北側の真竹・篠竹に覆われた竹藪を拝見、しかし当然具体的成果などあるはずなども無く。

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桑畑の盛土により農道が恰も空堀跡のように..
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( 2007/01/08 撮影 )
訪城アルバム
■1■沼へと続く畦道
決して幅の広いとは言いがたい水田の小さな谷津の奥手が目指す沼地の所在地で、向かって右側の畦道とも呼べないような個所から「陣馬沼」へ。
 滑川町には数多の灌漑用水としての沼地が所在していますが、この場所は今までの中でもかなり分かりにくい立地条件で、この1月という季節にもかかわらず、堰堤の手前は鬱蒼とした杉木立などで覆われて奥の様子が皆目分からず。 
■2■陣馬沼
 堰堤自体が経年変化により劣化している節のありそうな年代ものらしく、満水の沼地の水を支えきれるのかという余計な心配も。 加えてどのあたりまでが沼地の岸辺か判然としない部分もあるので、その意味ではまさに自己責任の世界が展開しておりました。
 「滑川町史民俗編」などによれば、「東に天王山、西に館趾があり、昔、戦馬の飲み水に供した..」との沼池の伝承に関する記述が見えます。この場合西の館趾とは「三門館」を指すものと考ええるのが妥当なようです。
■3■手前の竹林へと続く谷底道
 陣馬沼の堰堤から竹林方向へと登ってくる谷底道ですが、幅は約6mほどで右側の斜面の高さは目測では4m近くを測ります。
 この道を堰堤まで下ると「4」の谷底道へと続いておりました。
■4■V字状の谷底道
 西側の台地部分から陣馬沼の畔へと下る谷底道ですが、沼池の普請などに伴いこれほど深いV字状の堀底道のような地形を形成する必要があるのか素朴な疑問が湧いてくる次第であります。
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■5■縦列の板碑4体
 西側の台地に所在する墓地に所在する年代不詳の板碑で、由緒のあるものであることは間違いがなさそうでしたが欠損部分が多いことから紀年銘などについては判別できませんでした。
 新しい墓碑には元禄、享保、延享年間などの卒年が刻まれているものの、墓石から直接判読できたのは天明年間のものまででありました。
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■6■曰くありげな里道    画像クリックで拡大
 西側の台地上にに刻まれた明瞭な里道ですが、「三門館」に残されている薬研堀状のV字谷の溝と対を成す位置に所在していることから単なる里道と断定するには少しばかり惜しい印象があります。
画像クリックで「三門館」の竪堀の画像へ
■7■陣馬沼西側の台地
 桑畑の跡が残る高さ15mほどの台地で、馬場跡との伝承地名も遺されている模様ようです。
 なお谷津の対岸となる西側台地には「三門館」(みかどやかた)が所在しています。画像クリックで同日に撮影した「三門館」の竪堀の画像へリンク。
交通案内

・「三門館」東側の台地
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 


凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室)
 

・2007/04/01 HPアップ

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