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アクセスありがとうございます。 学術的な城館遺構ではなく主に「素人の思い込みと勘違い」によるものです。
関連ページへのリンク  2007/01/08のブログ 二ノ宮山 伊古谷沼 伊古神社 伊古郭の神戸沼
所在地
埼玉県比企郡滑川町大字伊古および嵐山町大字勝田
遺構まがいの地形
平場?
城館遺構の可能性
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

比高差約50mの独立丘陵
 二ノ宮山北北西約300の地点にに所在する標高約100m、比高差50mの独立丘陵で、東側の尾根筋に2千uほどの広大な平坦地を有し、また山頂付近には南北方向から深い渓谷が迫り急勾配の地形を呈し両方向からの接近を極めて困難にし、さらに南麓には東西方向の距離が150mにも及ぶ伊古の大沼が所在するため容易には近寄り難い地理的条件を形成しています。

訪城年月日
2007/01/08
訪城の記録 記念撮影

( 2007/01/08 )
平場といえば平場には相違なく
 冒頭から沼地へと進む細道を誤り、東側に所在する台沼と弁天沼を勘違いしたのが間違いの始まり。農作業中の地元の方に伺ったところ、さらに見当識を喪失するような会話が展開。然し「二ノ宮山」との位置関係はぴったり適合しているので、本来目指している「丘陵」そのものについては絶対に間違いのないところ。
 さすれば此処は如何に...尤もよくよく考えれば、このあたりは嵐山町大字勝田(かちだ=中世文書の所領宛行状にも記される)と滑川町大字伊古の境界部分。事の真相は勝田側の方面で伺ったことの失敗によるものと一人静かに反省を。数百メートルと離れていない大きな灌漑沼の存在も、わずか小さな山ひとつ越えただけでその存在があやふやになるというご時勢であることを痛感致候。
 かくて先ほどの方のご了解を得て道路わきのスペースに1時間ほど車を停めさせていただき徒歩にて目指すは比高差50m程の二ノ宮山北西の独立丘陵。思ったとおり北側の斜面の傾斜がきつく山道はその斜面を掘り込んで斜めに登るという構造。10分と上らないうちに稜線の平坦地部分にあっけなく到着。木の枝に?まりつつ登攀するような典型的藪こぎを想定していたこともあり、意外な展開に些か拍子抜けの感も。平坦地は平場といえばそう見えなくもない南西の山頂から派生した2千平方メートルほどの北東に向けて緩い傾斜を示す広大な地形を形成。

山頂付近の南北方向は急勾配の地形
 事前の想定通り、西へと進めば小川町から江南町へ抜ける県道に突き当たるこの往還を眼下に見下ろすとともに、かつ江南町方面の中世城館群への往還さえも見通すことのできる「物見」としては格好の地形と立地条件であることを確認。「小屋」なども建て放題の広さで常時数十名くらいは起居可能な規模と推定。無論二ノ宮山の方が遥かに標高が高いものの、この無名の小山の存在が障壁となり眼下の往還を見通すことは困難。「堀切、堀切、堀切...」とまたもやブツブツと一人呟きながら踏み跡のない稜線に沿って山頂へ。
付近に誰もいるはずはないので、怪しまれる心配も皆無にて。
 と、その時近くの茂みから生体反応と推定される「ガサガサ」というような大きな異音が...「猪年」とはいえ本物には余り出会いたくはないので、斯様な場合を想定し携行した鉈を取り出しつつ慎重に様子を窺いつつ枝を掻き分け前進。おそらくは、カラスなどの大型の鳥の模様にて候。嵐山町の境界杭が穿たれたあたりから西側の尾根筋の山道は明瞭に変貌。しかし、当然のことながら地形的な弱点と解されるこの西側の緩やかな尾根筋には「堀切」などの人工的地形改変の要素は全く見当たらず、山頂から比高差にして15mほど下ったあたりにて探索を断念。
 山頂付近の尾根筋自体も急傾斜が目立ち南北からの谷津も思ったよりも深く入り込み、そのあとで訪れた伊古大沼(勝田大沼)側の南側の急斜面では杉木立の中で時折凝灰岩質の露岩が顔をのぞかせる荒々しい景観を呈していたのでありました。
伊古の大沼もその名のとおり南麓に大きな湖面に満々たる水を湛えてこの小山をがっちりと防御しておりました...尤もあくまでも城館跡であると仮定しての話でありますが(笑)


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二ノ宮山北側の比高差約50mを有する独立丘陵
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( 2007/01/08 撮影 )
訪城アルバム
■1■弁天沼
 二ノ宮山と北側の独立丘陵の間の谷沿いには3か所の人工の沼池が所在しています。
 この弁天沼はその一番東側の谷の出口に近い位置に所在し、堰堤の脇に小さな弁財天の石祠が所在することから名づけられた模様です。
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■2■路傍の庚申塔と山頂からの斜面
 山頂から直接北側へと続く斜面は上り下りを断念させるほどの急傾斜を示していました。特に山頂付近では40度前後の勾配を示している個所が目立ち木の枝に?まらない限り確実に滑り落ちます。
 なお、この庚申塔そのものは文政2年(1819)の紀年銘が刻まれた割合新しいもののようですが、背後の古木(ヤマグワか?樹木名不詳)の樹形との対比がシュールな印象的光景でありました。
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■3■東側尾根筋の比較的緩やかな斜面
 ミニ四駆なので確実に上がれるとは思ったものの、作業用の私道と思しき道路を痛めては社会的信義に反すること疑いなしとの判断の下に、明確な軽トラックの轍の残る幅員2メートルほどの山道を徒歩にて登攀。
 
この左側の上方に「4」の平坦地が所在しています。東側に張り出している尾根筋は山頂からのものに比べると比較的緩やかですがこの私道を通らずに直登するには些か骨が折れそうでした。
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■4■東側の「平場状」の地形
 平坦地は「平場」状のどう見ても人工的な地形を呈しています。南西方向に所在する山頂から派生した尾根筋上で東北東方向に向けて2千平方メートルほどの緩斜面のような広大な地形を形成しております。
 然し、
冷静に考えればこの地域特有の恐らくは「桑の栽培のために開墾のため削平された畑の跡にその後杉の植林が行われた」というような印象も伝わってくるのでありました。
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■5■山頂付近の地形と眺望
 枝越しではありますが元来は北側方向の眺望が優れるとともに、山頂付近の尾根筋は思いのほか急傾斜が目立ち切れ落ちるような地形を形成しています。
 また南北から迫る渓谷も思ったよりも深く入り込んでいるため直登はほぼ困難かと思われ、要害としての地理的条件は十分に備えているのでありました。
 なお、これで西側の稜線に堀切状の地形でも所在すれば「当り」なのでありますが、残念ながらそうした様子は確認できませんでした。
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■6■丘陵麓の用水路状の溝
 丘陵北側の麓を東西方向にのびる総延長150m以上、深さ80cm、幅1.5mほどの溝は丘陵地帯からの雨水を誘導する排水路乃至は用水路あるいは畑(国土地理院の地形図を見る限りでは以前は桑畑であった模様)の根切り溝等と推定されます。
■7■独立丘陵の東端部分
 画像の正面部分が地形比高差30メートルほどの人工的な色彩を強く感じる「4」の地形の平坦地が所在しているはずの山頂東側尾根筋に相当すると思われます。
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■8■伊古の大沼(勝田の大沼)
 静まり返る滑川町と嵐山町の境界部分に所在する伊古の大沼で別名を「猿田沼」とも呼ばれるようです。谷の一番西側の奥に所在しているため深山の趣を感じさせます。
 北側に所在する独立丘陵の南側を抑える位置にあるためこの方向から丘陵方面に接近することは斜面の勾配がきついこともあり一定の困難が伴います。
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■9■二ノ宮山との間の谷
 一見何気ない谷沿いの光景ですが、左側が標高約100mの独立側の南側に相当し、斜度40度ほどの斜面を這い上がろうとすると中腹には露出した岩壁が見え隠れして登攀を阻んでおりました。
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■10■「山崎」付近からの眺望
 北側の水田地帯を挟んだ「山崎」付近からの遠景で、手前に所在する無名の独立丘陵が二ノ宮山(標高131.8m)の北側方面の視界を大きく妨げていることが明確に確認できます。
        画像クリックで独立丘陵部分を拡大
交通案内

・イーグルバス「大六天神社前」のバス停の西側約300m、二ノ宮山の北北西約300mに所在する独立丘陵。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 


凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「滑川村史 通史編」(1984/滑川村編集発行)・「滑川村史 民俗編」(1984/滑川村編集発行)
「滑川村史調査資料 第4集 旧羽尾村・設楽家・小沢家・小林家・上野家」(1980/滑川村村史編纂室)
「滑川村の沼とその民俗」(1981/滑川村村史編纂室) 

・2007/03/24 HPアップ

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