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■1■弁天沼
二ノ宮山と北側の独立丘陵の間の谷沿いには3か所の人工の沼池が所在しています。
この弁天沼はその一番東側の谷の出口に近い位置に所在し、堰堤の脇に小さな弁財天の石祠が所在することから名づけられた模様です。
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■2■路傍の庚申塔と山頂からの斜面
山頂から直接北側へと続く斜面は上り下りを断念させるほどの急傾斜を示していました。特に山頂付近では40度前後の勾配を示している個所が目立ち木の枝に?まらない限り確実に滑り落ちます。
なお、この庚申塔そのものは文政2年(1819)の紀年銘が刻まれた割合新しいもののようですが、背後の古木(ヤマグワか?樹木名不詳)の樹形との対比がシュールな印象的光景でありました。
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■3■東側尾根筋の比較的緩やかな斜面
ミニ四駆なので確実に上がれるとは思ったものの、作業用の私道と思しき道路を痛めては社会的信義に反すること疑いなしとの判断の下に、明確な軽トラックの轍の残る幅員2メートルほどの山道を徒歩にて登攀。
この左側の上方に「4」の平坦地が所在しています。東側に張り出している尾根筋は山頂からのものに比べると比較的緩やかですがこの私道を通らずに直登するには些か骨が折れそうでした。
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■4■東側の「平場状」の地形
平坦地は「平場」状のどう見ても人工的な地形を呈しています。南西方向に所在する山頂から派生した尾根筋上で東北東方向に向けて2千平方メートルほどの緩斜面のような広大な地形を形成しております。
然し、冷静に考えればこの地域特有の恐らくは「桑の栽培のために開墾のため削平された畑の跡にその後杉の植林が行われた」というような印象も伝わってくるのでありました。
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■5■山頂付近の地形と眺望
枝越しではありますが元来は北側方向の眺望が優れるとともに、山頂付近の尾根筋は思いのほか急傾斜が目立ち切れ落ちるような地形を形成しています。
また南北から迫る渓谷も思ったよりも深く入り込んでいるため直登はほぼ困難かと思われ、要害としての地理的条件は十分に備えているのでありました。
なお、これで西側の稜線に堀切状の地形でも所在すれば「当り」なのでありますが、残念ながらそうした様子は確認できませんでした。
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■6■丘陵麓の用水路状の溝
丘陵北側の麓を東西方向にのびる総延長150m以上、深さ80cm、幅1.5mほどの溝は丘陵地帯からの雨水を誘導する排水路乃至は用水路あるいは畑(国土地理院の地形図を見る限りでは以前は桑畑であった模様)の根切り溝等と推定されます。
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■7■独立丘陵の東端部分
画像の正面部分が地形比高差30メートルほどの人工的な色彩を強く感じる「4」の地形の平坦地が所在しているはずの山頂東側尾根筋に相当すると思われます。
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■8■伊古の大沼(勝田の大沼)
静まり返る滑川町と嵐山町の境界部分に所在する伊古の大沼で別名を「猿田沼」とも呼ばれるようです。谷の一番西側の奥に所在しているため深山の趣を感じさせます。
北側に所在する独立丘陵の南側を抑える位置にあるためこの方向から丘陵方面に接近することは斜面の勾配がきついこともあり一定の困難が伴います。
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■9■二ノ宮山との間の谷
一見何気ない谷沿いの光景ですが、左側が標高約100mの独立側の南側に相当し、斜度40度ほどの斜面を這い上がろうとすると中腹には露出した岩壁が見え隠れして登攀を阻んでおりました。
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■10■「山崎」付近からの眺望
北側の水田地帯を挟んだ「山崎」付近からの遠景で、手前に所在する無名の独立丘陵が二ノ宮山(標高131.8m)の北側方面の視界を大きく妨げていることが明確に確認できます。
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