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村田和泉守館
関連ページのリンク  2005/05/16の日記  平山氏陣屋  斉藤氏館  山根城(毛呂氏館)           
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態6 探し易さ4 交通利便5 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合27
所在地
埼玉県入間郡毛呂山町大字岩井字平山1536
歴史と沿革

■「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、入間郡平山村および滝野入村の条に僅かな伝承等が記され、「家康の関東入国の時、上野より村田和泉守というものが来住し後北条家家臣であった大野佐渡守序重の屋敷を譲り受けた」とされている。また、平山村には小名「堀之内」という地名が残されていると共に、「堀ノ内屋敷」という通称が存在していたことも明らかにしているが、遺構の様子の詳細については記されてはいない。
 なお、「毛呂山町史」によれば、この大野氏は現在でも子孫の方が滝野入地区に居住されているという。また、当地には村田姓の方が居住されているが中堅クラスの旗本と推定するのが妥当と思われる村田和泉守という人物の詳細については明らかにされてはいない模様である。また、平山地区には堀の内と呼称される場所がこの場所と斉藤氏館の2ヶ所あるので些かややこしい。
 ところで、後北条氏の「小田原衆所領役帳」に記されている「他国衆 平山長寿、平山善九郎」の記述についてはについては、たまたま地名と姓が符合しているだけで、平山という地名は平安時代の末期から存在しているとのことであり、この平山氏は桧原城に本拠を置いた一族であると考えられる。更にややこしいことに、斉藤氏は後に明治期になってから平山氏を名乗ることになるので混同しないように注意が必要である。

確認できる遺構
東側を除くコの字型の土塁と空堀のようにも見える窪地
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■東西南北100メートルの方形館の形状を示しているが、東側の土塁は殆ど確認できず、北側も一部が消失している模様である。土塁は直線的で外見的には折などの工夫は見られず、地形の窪みなどから南側と西側の土塁の外側に空堀の存在を推定することができる。このことから、具体的資料が乏しいためにあくまでも推測の範囲として、12世紀後半からの毛呂氏関係などの武士の館の系譜を引き継いでいるということも考えられなくはない。
 なお、当時における状況とは異なっていることが予想されるが、北側100m付近に越辺川の支流となる小河川が東流しており北辺の防御となっていたものと考えられる。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「毛呂山町史」(1978/毛呂山町)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「常設展示解説図録」(1994/毛呂山町歴史民俗資料館)
「小田原衆所領役帳」(佐脇 栄智 校注 1998/東京堂出版)   

文化財指定
訪城年月日
2005/05/16
訪城の記録

( 2005/05/16 )
こんな住宅地の中に方形の土塁が
 周辺が住宅地と思われたので、予定通りに少し離れた毛呂山町の中央公民館の駐車場に車を止めさせてもらって、徒歩にて訪城...といっても、ものの数分で到着しましたが。
 始めは北側の民家の低いブロック塀の内側に僅かに残る植栽などが施された20mほどの土塁部分だけかと思い、まあこんなものかと納得してました。しかし、よくよく観察してみると更に隣の畑の方にも延びているようで、竹林の手前を西側に迂回してみた所西側の住宅地との境部分に、あるわあるわ見まごうことなき方形館跡と思しき土塁が一直線に100m近くも。そして、その土塁が更に90度折れて南側にも100mほど続いていました。
 東側の様子がはっきりとはしないのですが、どうやら南北西の三方向の土塁が遺されていて高さは1.5mから2m程度ですが、とりわけ西と南の部分の状態がいいようです。もっとも、全ての方角で住宅と接していますので、これだけきれいに遺されているというのは非常な驚きです。従って、多分西側の住宅側から見ると部屋の窓から土塁が見えるという構図で、城跡大好き人間にとっては誠にうらやましい限りだと羨望の眼差しを向けるのでありました。

Best Shot?


 写真の手前部分に見えるのが西側の土塁部分で、南側の土塁が90度に曲折して伸びているのがはっきりと分かります。
 南側の土塁の中央部分がやや低くなっているので、小口のようにも見えないこともないのですが詳しいことは分かりません。土塁は南西の角部分が一番高いようで外側では高さ2m近くにもなりますが、土塁の内側は所有者の方の畑や宅地になっています。
 ( 2005/05/16 撮影 晴 )
交通アクセス

・東武東上線東毛呂駅下車徒歩約10分程度MapFan Web の案内図です  


( 2005/05/16 撮影 )

■村田氏の子孫の方と思われる民家の北側部分に残る四捨五入で高さ約1mの土塁。始めは遺構のようなものはこれだけかと思いましたが...土塁の上に積まれているのは家屋を取り壊したときの廃材の瓦かと。土の中に縦に上手く埋め込むと、味のある敷石の代用になるのですが。
■左の写真の場所から西側にある竹林の方へちょっと失礼すると、西側の土塁が次第に高さを増しながら南へと一直線に伸びていました。
 竹林との間から南側に向かって続く直線状の窪地は一般的に考えれば空堀跡のようにも思えますが、この状況からだけではなんともいえません。
■西側部分の土塁で、基底部分は6メートル以上にはなりそうですが、大分低くなっている分だけその辺りの規模が掴みにくいようです、
■南西の角部分から見た南側の土塁でこの辺りで外側部分の高さは約2mあり東に進むほどだんだんと低くなっていました。
 周辺の住宅側が50センチ程度の地盤造成をしている所を見ると空堀の存在を推定したくなります。
 
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