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群馬県みなかみ町の城館索引へ戻る 諏訪ノ木城 諏訪ノ木城のロゴ 諏訪ノ木城
1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
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所在地
 群馬県利根郡みなかみ町新巻529−1
歴史、人物、伝承

城将塩原源太左衛門
 東西にのびた比高約400mほどの丘陵地帯に所在し、南麓には国道17号線と赤谷川が並行する。また城跡の北側から東側にかけて赤谷川の支流が渓谷を刻んでいることにより西側部分のみが地続きとなる半島状の要害地形となっている。関義範の築城とも伝わるというが、「加沢記」によると天正9年(1581)7月頃、越後上杉氏への抑えとして、新巻の用害(※当城を指す)に塩原源太左衛門、深浦隼人の両名を配して守りを固めたとされている。
 また「あらまき」の地名はこれに先立つ天正7年(1579)12月26日の小中彦兵衛尉宛の武田家朱印状(※真田氏側のもの、北条文書/群馬県史資料編7)によれば、沼田を攻略した暁には所領の一つとして「一、荒巻村同寄居」を宛行うことを約している。さらに天正8年5月4日の真田昌幸感状(中沢文書/群馬県史資料編7)では、猿ヶ京攻めにおける中沢半右衛門の忠節に対して「荒牧の内において10貫文を与える」旨の記述が見える。
「日本城郭大系」などによれば、別名を羽場城(※東側に隣接した大字名)あるいは荒牧城(※当地の大字名)ともいう。
南麓の国道17号線沿いには、塩原太助に因んだ塩原太助翁記念公園などが所在しているが当城および塩原氏との関係は分からない。

確認可能な遺構
 郭、堀跡?土塁?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2014年5月5日 10時10分から10時30分
訪城の記録 記念撮影

 滞在時間20分の記憶
 この城跡も長年にわたる塩漬け状態物件の在庫更新です。何分にも訪城からはすでに3年8か月ほど経過しているため確実な記憶がありません。管理人も少し前までは、記憶の糸を掴むと芋づる式に思い出すことができたのですが、この齢になるともはや期待はできません (^^ゞ
このため撮影した画像の説明は極めて曖昧なものとなっております。 <(_ _)> 
しかもこの時の滞在時間は約20分ほどしかなく、この日は他に6か所程の城館跡を探訪していたこともあり、さらに「遺構が乏しく印象の薄い」ものとなってしまったようです。
それでも微かに西側の丘陵続きの農道のような個所から城跡へと向かったようなぼんやりとした記憶があったことから、その記憶を頼りにして時系列に画像を参照しながらどうにか更新してみました。
( 2018/1/6 )記述
諏訪ノ木城 ⇒ 画像クリックで拡大します
諏訪ノ木城 −画像A−
( 2014年5月5日 撮影 )
 「日本城郭大系」などに掲載されているかつて山崎一氏の記された「要図」の印象とは、異なり現在の城跡は後年の耕作などにより地表の様子は大きくその姿を変えているように思われました。とりわけ同図に記載されているような堀跡はほぼ埋め戻されているようでした。

諏訪ノ木城の航空写真 ⇒ 画像クリックで拡大します
諏訪ノ木城の航空写真 −画像B−
 1990年撮影の国土地理院航空写真では丘陵としての形状はは確認できますが、無償ダウンロード画像としての限界から郭内部の様子までは分かりません。

諏訪ノ木城の航空写真 ⇒ 画像クリックで拡大します
諏訪ノ木城の航空写真 −画像C−
 当時の在日米軍が1947年に撮影した航空写真ですとかなり画像が不鮮明ながらも、どうにか本丸とその周囲の郭跡(※赤枠内の中心からやや左寄りの部分、「要図」では堀跡との記載がある)の形状が確認できます。
訪城アルバム
土塁? ⇒ 画像クリックで拡大
古い墓地 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 土塁?
 丘陵辺縁部の土塁状の地形ですが、山崎氏の記した「要図」のどの部分が該当するのかよく分かりませんでした。それでも敢えて当て嵌めるとすれば、本丸と捨郭の間の部分(丘陵南縁部)であるのかも知れません。
凸2 古い墓地
 「要図」にも記されている丘陵東側の「捨郭」ともいわれている個所に所在している古い墓石群です。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林)
「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「戦国史 上州の150年戦争」(上毛新聞社)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「図説真田一族」(2015/戎光祥出版)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)  ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収
「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「関東古戦録」(2002/赤城出版)

■データベースほか
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース)
「国土地理院航空写真」
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクション ※ダウンロード可能)

・2018年1月6日 HPアップ
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