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群馬県みなかみ町の城館索引へ戻る 箱崎城 箱崎城のロゴ 箱崎城
1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  宮野城 薄倉城 名胡桃城
所在地
 群馬県利根郡みなかみ町布施字箕輪
歴史、人物、伝承

地衆原沢大蔵が拠るとも
 戦国時代の末には真田氏(武田氏)や後北条氏の支配下に置かれていたが在地領主である原沢大蔵らが拠っていたといい、森下又左衛門が城代となったともいう。「須川記」によると布施小三郎金善が築城したとも伝わるが、近隣の薄倉城などに比べると在地の小規模領主である地侍層などの手には余る普請規模であるように思われる。因みに近世初期の寛文郷帳によれば、村高は289石余と記されているに過ぎない。
天正8年(1580)5月6日の森下又左衛門宛真田昌幸定書によれば、「猿ヶ京を攻略すれば須河の内から宛行うとし、壱貫文 布施」の地名が記されているという。(※「森下文書/群馬県史資料編7」より)
 隣接した旧新治村役場との比高差約30mから40mほどの北西部から連なる丘陵に所在しており、その別名を鳩崎城あるいはその字名から箕輪城ともいう。(※「群馬の古城」「日本城郭大系」「日本城郭全集」などより)

確認可能な遺構
 土塁、空堀、虎口、土橋ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2014年5月5日 8時35分から10時00分
訪城の記録 記念撮影

 空堀の記憶
 この個所も長年にわたる塩漬け状態物件の在庫更新です。何分にも4年ほど以前のことでもあり殆ど失念しています。少し前までは、記憶の糸を掴むと芋づる式に思い出すことができたのですが、この齢になるともはや期待はできません (^^ゞ このため撮影した画像の説明は極めて曖昧なものとなっております。 <(_ _)> 
そうしたなかで下記の空堀と丘陵の遠景画像だけはどうにか細い記憶の糸が繋がっておりました。訪れた時点では郭内は竹林が目立ちましたが、40年ほど前には桑畑などを含む耕作地として利用されていた模様です。
( 2018/1/5 )記述
箱崎城 ⇒ 画像クリックで拡大します
箱崎城の空堀 −画像A−
 北西部から延びている丘陵から城域を独立させている明瞭な堀跡です。これが山城であれば堀切、平城であれば空堀ということにもなりますが、これほどの遺構が旧新治村役場に接した裏山に所在していると思いもよりませんでした。「画像A」の空堀は北西からのびた丘陵が括れた部分に所在しています。
( 2014年5月5日 撮影 )

箱崎城の航空写真 ⇒ 画像クリックで拡大します
国土地理院航空写真より編集加工 −画像B−
 在日米軍撮影の航空写真では適当な画像が見当たらず、これは1971年5月26日撮影の画像です。無償ダウンロード画像であるため、解像度の関係であまりはっきりとはしていませんが、耕作地として利用されていた形跡が確認できます。内部を区画していた堀や土塁はこの頃までには既にある程度の削平を受け分かりにくくなっていたのでしょうか。
訪城アルバム
箱崎城遠景 ⇒ 画像クリックで拡大
大手空堀 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 箱崎城遠景
 北東方向、須川川沿いの歩道上からの遠望です。画像右上に写っている二階建住宅の屋根に隠れるように縄文期の遺跡が確認された旧新治村役場(現みなかみ町役場支所)の建物が写っています。城跡の所在する字箕輪は小さな集落ですが、須川川沿いには有史以前から人々の営みが存在したようです。
凸2 大手空堀
 上記の「画像A」からも分かるように大手とされる二の郭外側の空堀は人為的な土木工事であるにも関わらず、思いのほか堀幅も広く深さもあります。同じような立地条件である近隣の崖城である宮野城や薄倉城と比べ、それほど城域の広さは変わらないもののその土木工事量としての規模の違いを感じさせてくれます。

大手虎口付近 ⇒ 画像クリックで拡大
土塁 ⇒ 画像クリックで拡大
凸3 大手虎口付近
「画像A」の巨大な空堀とこの土塁により防御された大手と考えられている虎口です。
凸4 土塁
 上記の「画像B」では城域の形状に沿って樹林帯となっている個所の内側部分に概ねこうした土塁が外周していました。東側の一部では竹藪などが叢生して足を踏み入れることのできない個所もありました。

笹郭付近 ⇒ 画像クリックで拡大
石祠 ⇒ 画像クリックで拡大
凸5 笹郭付近
 この辺りでは城の麓を廻り込んでいる画像の道路からの比高差は約20mほどですが、この道路の拡張などに伴い幾分山裾が削平されているようです。
凸6 石祠
 笹郭跡に祀られている近世以降のものと思われる石祠。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林)
「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版)

■郷土史・歴史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「戦国史 上州の150年戦争」(上毛新聞社)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「図説真田一族」(2015/戎光祥出版)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)  ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収
「関東古戦録」(2002/赤城出版)

■データベースほか
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース)
「国土地理院航空写真」
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクション ※ダウンロード可能)

・2018年1月5日 HPアップ
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