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素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

栃木県佐野市の城館索引へ戻る 小中城全景 小中城 小中城北側の遺構
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/11/23のブログ 免鳥城 堀之内城 羽田城
所在地
 栃木県佐野市小中町字堀の内977
歴史、人物、伝承

壮大な堀跡と土塁が残存
 この小中城に関しては、築城年代、築城者、城主ともに不明で伝承・記録の類は確認されておりませんが、残存する遺構の状態から館跡と推定したとのことです。なお、現在は空堀のように見える堀跡について、少し以前には水堀の体をなしていた模様です。城館としての領域は一辺が約120メートルほどの方形をなし、現在は北辺と西辺に明確な土塁と堀跡が残されています。(※「佐野市史資料編1」を参照)
 現状の遺構そのものからは、その築造された時代背景の推定および技巧的な特徴を見出すことは難しいものと考えられます。しかし土塁・堀跡の規模、郭内の広さなどの諸要素からは、戦国時代における佐野氏の有力家臣層の館城という時期が一定期間存在したものと想定するのが妥当であるように思われます。
 (追記)
 なお、「近代足利市史」(小野寺別系図)によれば、小野寺氏の一族として4代通氏が「小中氏と号した」ことが記され、また各種の譲状から南北朝期から15世紀中葉にかけて佐野荘内小中郷の家督を相伝していたことが記述されていることから、小中城との一定の関わりを示唆するものとして注視されます。

確認可能な遺構
 土塁、空堀(ともに北辺および西辺部分)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年11月23日 9時45分から10時10分、2009年2月21日再訪
訪城の記録 記念撮影

 奇跡の平城 (2008/11/23)
 周囲に住宅地などが所在することから残存する遺構については半ば諦観の構。しかしそうした事前の予想は大きく覆る結果となりました。思いもよらぬ状態で北側と西側に良好な土塁と空堀遺構が現存。加えて堀幅8mを遥かに超える規模の空堀と堀側で高さ最大で6m近い土塁も現存。余り期待していなかったこともあり、思いもよらぬ遺構との遭遇にただひたすら感動。
 ただしどうも近々地形の改変が予定されているような印象があり、既に樹木の伐採に際して一部重機の手が入ったような形跡も見受けられます。無論、個人の方の私有地ではありますが、今後の推移が大変気にかかりました。因みに城跡の所在地は、かの有名な田中正造翁屋敷の北隣という由緒のある土地柄でもありました。

 遺構は健在 (2009/02/21)
 3か月前の2008年の11月に訪れた際には、竹林が伐採されて殆ど土塁遺構が剥きだし状態となっていたため、その後の形質変更等の状況が気にかかっておりました。この日は足利市内の城館跡探訪がひと段落して日没までは多少の時間的余裕が。
 それならば善は急げとばかりに、早速黄昏迫るなかを数キロメートル東に所在する佐野市内まで移動。現地に到着したのは既に山入端に太陽が隠れ始めた日没間近という時間帯。夕日を浴びたL字型の土塁、深さ約5mを測る空堀からなる城館遺構は、概ね3ヶ月前と変わらずにその健在ぶりを顕示しておりました。

( 2009/03/05 記述 )
小中城の北辺土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
小中城の北辺土塁遺構
( 2008/11/23 撮影 )
訪城アルバム
小中城の俯瞰図のつもりです(苦笑)
小中城の北西角付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 小中城の俯瞰図
 またしてもできの悪い俯瞰図ですが、遺構の全体像を表現するには手っ取り早いのであります。この頃は試行錯誤の最中のため実に酷いできであります。
 堀跡・土塁共に北辺では延長約60m、西辺では約80mほどの規模を有しています。
かなりデフォルメした俯瞰図1ースケッチもどき
かなりデフォルメした俯瞰図2−イラストもどき
凸2 北西角付近
 櫓台といってもいいような重厚感のある土塁で、この付近が最も高くなっています。
 堀底までの深さはかなり埋まりかけているにも拘らず優に5mを超えています。
土塁の北西角の拡大画像
西辺の堀跡の様子
⇒西側から撮影した北辺の堀跡の様子

小中城北辺の堀跡と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
小中城北辺土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 北辺の堀跡と土塁
 北側の浄蓮寺墓地端付近から撮影したもので、「佐野市史資料編1」では何故かかなり控え目に「若干の堀と土塁が残る」と記されていますが、このように「若干」という表現は当たらない見事な平城の遺構なのでありました。
凸4 北辺土塁
 北辺土塁上から西方向を撮影したもので、樹木の伐採により結果的には土塁の形状や質感がたいへん分かりやすい状態になっておりました。
⇒土塁外側に平行する堀幅約8mの北辺堀跡

小中城の西辺土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
小中城西辺土塁の南寄り部分 ⇒ 画像クリックで拡大
凸5 西辺土塁
 西辺の土塁は北寄りの個所を除いて、このように一定の後世の地形改変を受けている様子が窺えます。
 緩斜面となった土塁はそのまま郭内へと続いていることからその境目がやや分かりにくくなっています。
凸6 西辺土塁の南寄り部分
 南側に幾分遺された竹林中の土塁は、土塁本来の形状を確認することができます。
⇒本来の形状を想定できるさらに南寄りの個所

田中正造邸 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
浄蓮寺
凸7 田中正造邸
 足尾鉱毒事件の解決に奔走した義人田中正造の屋敷。
凸8 真言宗浄蓮寺
 小中城の北側に隣接する真言宗寺院で、現存している土塁・堀跡遺構はこの寺院墓地の南側に所在しています。

以下の画像は2009年2月21日再訪時に撮影したものです。
夕日を浴びる西辺堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
北辺土塁の夕景 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸9 西辺の堀跡と土塁
 堀跡、土塁ともにこの先の南端部では、幾分規模が縮小されておりました。
凸10 北辺の土塁
 

ショカツサイ ⇒ 画像クリックで拡大します
小中城の西側からの全景⇒ 画像クリックで拡大します
凸11 ショカツサイ
 暖冬のためか、早咲きの ショカツサイ(別名をムラサキハナナとも)西日がよく当る堀跡のなかで咲いておりました。
凸12 小中城全景
 日没直前の夕日を浴びた小中城の全景で西側から撮影したものです。
 わずか3ヶ月後の再訪でしたがその健在な様子に安堵しました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)、

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)、
「佐野市史 通史編上」(1978/佐野市)
「佐野市史資料編1」(1975/佐野市)
「近代足利市史1」(1977/足利市)

■史料
なし
■その他
なし

・2009/03/05 HPアップ
・2009/03/15 相当に誇張した俯瞰図2枚を追加
・2011/09/09 小中氏に関する記述を追加。
・2019/06/11 画像ズレ補正
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