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栃木県佐野市の城館索引へ戻る 免鳥城 免鳥城 免鳥城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/11/23のブログ 高橋城 羽田城
所在地
 栃木県佐野市免鳥町字城郷地771ほか
歴史、人物、伝承

佐野氏、長尾氏の確執
 佐野七騎の一人とされる岩崎三郎義宗がこの地に来住し在名の免鳥を姓とし、大永5年(1525)佐野家当主盛綱の代に免鳥山城守義昌が築城したことが伝わっています。
 その後免鳥城は佐野氏西方の支城として足利地域を本拠とする長尾氏との勢力の境目に所在していたことから、永禄から天正年間の戦国時代には両者の間において、その影響下にある所領の領有をめぐる激しい争奪の場となった時期があるものとされています。このため城主も赤井氏(佐野氏方⇒長尾氏方、後北条氏方)、高瀬氏(佐野氏方)、浅羽氏(長尾氏方、後北条氏方)と変遷したのち、佐野家当主である佐野宗綱討死により佐野家は後北条氏から養子を受け入れ事実上その傘下へと組込まれました。
 そののち天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東侵攻による後北条氏の滅亡に伴い、現実に支城として機能していたかどうかについては定かではありませんが、いずれにしても名実ともに佐野氏の元へと戻ったものと推定をされます。
 しかし江戸時代初期の慶長19年(1614)に至り、当時は近世外様大名となっていた佐野家の改易によって城としての役割を完全に終え廃城となったものと考えられます。
 別名を面鳥城妻鳥城とも。(※「佐野市史資料編1」「栃木県誌」「日本城郭全集」などより)

確認可能な遺構
 主郭土塁の一部、内堀跡の一部
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年11月23日 8時25分から8時55分
訪城の記録 記念撮影

 二重の水濠に囲まれた平城
 免鳥城は佐野市の西方に位置し、東方を才川に、西方を旗川と出流川の蛇行する流路に挟まれた緩やかに南方に傾斜した平野部に所在しています。 なお現在の免鳥城東部における才川の流れは旗川・出流川の流路と大きく異なり人工的な直線状を呈していることから、近年の河川改修により一定の流路変更がなされているものと思われます。
 免鳥城は才川から取り入れられたと考えられる二重の水堀に周囲を囲まれた構造で、現在は道路となっている外堀の形状から、東西約200m、南北約300mの範囲に収まる城域であると考えられます。
 さて肝心の遺構については手持ちの関係資料に記されていたとおり、中心部には今でも主郭跡西側土塁の一部分と思われる石祠が祀られた塚状地形が現存しています。またごく最近までは主郭付近には古井戸跡を含む竹林も存在していたようですが、現在はきれいに伐採されて民家の敷地の一部に変貌しておりました。
 しかし城跡の大半は以前から耕地化、宅地化されているという経緯から、そのほかには幅員の狭められた水路として残るかつての内堀跡およびその形状に僅かな形跡を感じ取ることができる外堀跡(城跡周囲の公道)などにかつての城跡としての名残をとどめているという印象でありました。

( 2009/02/17 記述 )
免鳥城南辺の外堀跡付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
免鳥城の南辺外堀
( 2008/11/23 撮影 )
訪城アルバム
免鳥城の内堀南東部
免鳥城主郭付近の土塁跡(推定)
凸1 南東部の内堀
 免鳥公民館(集会所)西側の内堀跡で、最初に撮影したひとコマです。異論はあるかも知れませんが、こうした地形が残されているだけでも喜ばしいことなのであります。
凸2 免鳥城主郭付近
 極めて断片的で小規模な遺構ですが、所在地から推定する限りでは主郭西側の土塁遺構に相当するものと思われます。

画像クリックで唯一堀跡の雰囲気が残る内堀北西角の画像へ
外堀の北西角付近
凸3 北側の内堀跡
 かつて簿幅約4mほどの内堀についてはある程度景観が保持されていた時期もあったようですが、現在はこのような道路または「凸1」のようなU字溝の水路となっておりました。
唯一堀跡らしい名残りのある北西角付近
凸4 外堀の北西角付近
 外堀の北西角付近はたまたま用水路が内側へ直角に入り込んでいましたので、ことによると隅欠かとも思ったのですが...勘違いの模様でありました(汗)

免鳥城西側外堀跡付近
免鳥城内堀南西角付近
凸5 西側外堀跡付近
 鬱蒼とした屋敷林にものの見事に朝日が遮られてしまい、結果的にこのような画像と相成りました。
凸6 内堀の南西角
 内堀がU字溝の形態となっても、しっかりと南西角で折れ曲がっていることを目の当たりにして静かな感動を。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)、
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)、「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「栃木県の歴史散歩」(2005/山川出版社)、「栃木県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)、
「佐野市史 通史編上」(1978/佐野市)、「佐野市史資料編1」(1975/佐野市)
「栃木懸誌」(船橋一也/1904年の復刻版/歴史図書社)

■史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収本

■その他
なし

・2009/02/17 HPアップ
・2019/06/11 画像ズレ補正
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