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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/08/20の日記 大河内金兵衛陣屋 鉢形城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象2 総合21
所在地
埼玉県大里郡寄居町立原堀ノ内
歴史と沿革

鉢形城関係の遺構か
 「新編武蔵風土記稿」によれば、この「立原村」の条に北条氏邦の家臣の居館と推定される鷹部屋鋪、餌指屋鋪などの存在についての伝承が記されていますが、この立原堀ノ内との具体的な関連があるのかどうかは分かりません。鉢形城の関連施設として南西部を抑える位置に所在していますので平常は家臣の居館として、戦時は出城、物見台のようなものとして利用されたのでしょうか。

確認できる遺構
土塁??多分違うと思います
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■鉢形城の大手口付近から見て、南西にわずか300mほどの台地の先端付近に所在しています。下の写真では分かりにくいのですが、川の流れている低地部分と台地の比高差は目測で10m以上もあります。さらに南側の深沢川の小さな支流も深沢川に劣らず川幅や水量の割には川底が抉られたように深く守りやすい地形となっているように見えました。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉の指定文化財」(2002/埼玉県文化財保護協会)
「寄居町史普及版 寄居町の歴史」(寄居町教育委員会/1989編集発行)
「寄居町史 通史編」(寄居町教育委員会/1986編集発行)   

文化財指定
訪城年月日
2005/08/20
訪城の記録

( 2005/08/20 )
鉢形城を通り抜けて立原堀ノ内へ
 鉢形城は二の曲輪前の駐車場も整備されて、乗用車であれば20台ぐらいは駐車できるので助かります。また障害者用も含む清潔なトイレも大手付近に設置されましたが、あまりの暑さにのどが渇き大手口付近に併設されている休憩所で休憩をとりしばし水分補給をしました。
 立原堀ノ内は鉢形城の西側、秀吉軍が鉢形城に大砲を打ち込んだとの伝承のある車山の直ぐ北側の深沢川の北岸の台地上に位置しています。現地での詳細な場所は不明ですが、どうやら現在の日蓮宗実間寺付近が該当するようです。深沢川支流の谷側から眺めますと実間寺の境内の東側に竹林を含むこんもりとした林の塊が見えたので、とりあえずあの辺りかと目星をつけて台地の上の公道の方から回り込んでみました。しかし、現在栗畑となっている場所には恐らくは遥かに後世のものと思われる盛り土のある地形があるだけで、この季節は例によって竹林の中はほとんど見通しがきかず加えて蜘蛛の巣と薮蚊のディフェンスが堅く...そのうち折を見て再訪することに。
 鉢形城の関連施設のような位置を占めていますので、訪城氏邦の家臣の館あるいは出城のような役割が考えられますが、あくまでも素人の想像の範囲ということで。

記念撮影
立原堀ノ内
 写真の川は総延長にして1kmほどの深沢川の小さな支流ですが、南の車山と北側の荒川に至る台地の間に幅にして300m近くの広い谷を形成しています。
 また、川幅はご覧の通り数メートルもない小さなものですが、川底までの深さが2mから3m近くもあり天然の防御線に。
 こちら側から歩いてみようとも思ったのですが、足元が見えそうもなく川に落ちても困るのであきらめました。 
( 2005/08/20 撮影 晴 )
交通アクセス

・鉢形城より徒歩5分程度 MapFan Web の案内図です  

立原堀ノ内の写真画像の頁へリンク( 2005/08/20 撮影 )

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