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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/08/20の日記  2005/08/22の日記  鉢形城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ3 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合20
所在地
埼玉県大里郡寄居町鉢形字八幡台966ほか
歴史と沿革

鉢形城の物見櫓跡を陣屋に転用か 
 「寄居町史」などによれば「新編武蔵風土記稿」の記述などをもとに、戦国時代の末期から近世の始めにかけて徳川氏の代官としてこの地の支配を任された大河内金兵衛の陣屋跡とされています。また、「埼玉の指定文化財」(2002/埼玉県文化財保護協会)によれば「天正18年に設置された陣屋跡で正方形、空堀残存」と記されています。しかしその所在地の関係から、元来は鉢形城関連の物見櫓の跡ではなかったのかと推定する見解もあるようです。
 また、大河内氏は摂津多田氏の一族で大河内秀綱、久綱父子は共に通称金兵衛を名乗り徳川家の領地支配の代官を務めました。久綱の長男の信綱は秀綱の次男で長沢松平家を継いだ叔父である松平正綱の養子となり、徳川家光の寵愛を受け小姓組番頭から寛永4年(1627年)大名となり大河内松平氏の祖となりました。
 信綱はのちに寛永10年には若年寄、寛永12年には老中となり後の島原の乱の平定を経て寛永16年(1639年)には6万石で川越藩主となり、参勤交代・鎖国などの政策を推し進め「知恵伊豆」と謳われるように徳川幕府初期の政権安定に大きく貢献しました。また川越藩主としては川越城下町の整備、新河岸川の舟運の整備、野火止用水の開削と武蔵野新田開発などの事蹟があります。

確認できる遺構
2004年5月ぐらいまでは現存したようですが、現在は概ね消滅したようです
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■西を長久院川、東を関山川に挟まれた幅400メートルから500mほどの荒川に向かい南北方向に張り出した台地の北西の端に位置し、長久院川沿いの低地を挟んで西側300mほどには国の史跡の指定を受けている鉢形城が所在しています。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉の指定文化財」(2002/埼玉県文化財保護協会)
「寄居町史普及版 寄居町の歴史」(寄居町教育委員会/1989編集発行)
「寄居町史 通史編」(寄居町教育委員会/1986編集発行)

文化財指定
1969年10月1日に埼玉県選定重要遺跡の指定を受けていましたが...
訪城年月日
2005/08/20、2005/08/22
訪城の記録

( 2005/08/20 )
場所を間違えたらしく
 事前の下調べが不十分であったため、所在地が明確には把握できていなかったため結果的に別の場所に行ってしまいました。後でよく調べてみると、「埼玉の指定文化財」(2002年発行)には所在地番の示されていて、実際の陣屋跡は鉢形城の直ぐ東側の台地の西端であるにも拘らず、一番東寄りの八幡神社のあたりではないかと誤認していました。(「埼玉の中世城館跡」によると、この辺りのはずだったのですが)
 負け惜しみのようですが、鉢形小学校の南側の台地上に所在する八幡神社の境内の外周の一部にも土塁跡のようにも見える形跡がありました。また大変残念なことに昨年6月頃に宅地開発と思われる土地の区画形質の変更が行われたという情報もありますが、いずれにしても近々再訪予定。

( 2005/08/22 )

場所は確かに合っていたのですが
 今度は事前にできるだけ情報を集めたので、間違えることなく現地に到着しました。しかし、他の方のHPにも掲載されていたように、現状では土塁や空堀などの遺構は完全に消滅し台地の先端に平坦な砕石の敷かれた土地が広がっているだけでした。強いていえば僅かに南側の堀底道と思われる竪堀跡が残っているといえなくもないような状態です。
 いずれにしても、たいへん残念ではありますが、かくして「2002年版 埼玉の指定文化財」( 埼玉県文化財保護協会刊行 )にも掲載されている埼玉県選定重要遺跡の一つはきれいさっぱりと消滅しておりました。国の史跡に指定さている鉢形城も確かに大切な存在ですが、おそらく当時における鉢形城の物見台として機能したと推測されるこの場所もまた歴史の証人として同じくらい大切な存在だったのではないかと悔やむのでありました。

記念撮影
陣屋跡

 かつて、昨年までは小規模ながら三方に土塁や空堀が巡っていたということですが、残念ながら現在ではこの通り土塁は削られ空堀は埋め立てられてしまいました。
 この場所からは鉢形城の全容を眼下に手に取るように収めることができる位置にあり、鉢形城の物見櫓・櫓台という説も十分に肯けます。
 ( 2005/08/22 撮影 晴 )
交通アクセス

・東武東上線鉢形駅より徒歩12分 MapFan Web の案内図です  

大河内金兵衛陣屋の写真画像の頁1へリンク( 2005/08/20 撮影 )

大河内金兵衛陣屋の写真画像の頁2へリンク( 2005/08/22 撮影 )

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