城館跡の名称 | ■■■城名 | |
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関連ページのリンク | 2005/09/08の日記 飯塚氏館 小前田氏館 鉢形城 | |
おすすめ評価 |
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埼玉県大里郡寄居町桜沢 | |
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■館跡を国道のバイパスが縦断 |
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堀跡? | |
周辺の地理的特徴 |
■荒川が北から東へと尾大きく蛇行する左岸北側の櫛引台地の河岸段丘上に位置し、北側と西側は上武山地の山々が間近に迫っています。東役1.8キロには小前田氏館、北1.8キロには飯塚氏館が所在します。また、館跡とされる場所を国道140号線(秩父街道)パイパスが縦断し、その面影はほとんどありません。 |
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記録 |
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) |
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無 | |
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2005/09/08、2005/09/15 |
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( 2005/09/08 ) |
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記念撮影 |
桜沢堀ノ内の所在地にはご覧のように国道140号線のバイパスが南東方向から北西方向にかけて縦断しており、とても中世の館跡が所在していたとは思えません。 なお正面に見える山が八幡山と呼ばれるで山で頂上付近に戦国時代の砦(桜沢砦)があったと推定されています。 ( 2005/09/15 撮影 晴れ時々曇 )
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訪城アルバム |
■@土塁跡かどうかと首をかしげる宅地内の不自然な地面の盛り上がりが...「寄居町史通史編」に掲載されている30年ほど以前と思われる古い写真比べると背景の山の位置は正にぴったりなのですが、館跡の位置からは100mほど西側にあります。おそらく無関係かと思われますが一応撮影させてもらいました。( 2005/09/08 撮影 晴 )
■Aこの30mほどの短い区間だけですが細い水路が残されておりいかにも堀跡らしいと思ったのですが、あとでよくよく資料などを確認してみると見当をつけていた場所がなんと実際には100メートルほど西側にずれていました。流れそのものは全く同じ水路なのですが、本来の堀跡は主として国道の反対側の方に存在していましたでした。( 2005/09/08 撮影 晴れ )
■B総選挙の時はポスターの掲示板が建てられていました幹線道路沿いの盛り土。@と同じ道路に面していて、館跡の遺構の位置からも西側にずれていますので、これはまず遺構とは関係なさそうな工事関係の残土かと。
( 2005/09/15 撮影 晴れ時々曇 以下同様)
■Cこれがとりあえず土塁跡の本命かと。手前の方には土木工事関係の資材などがあったりして雑然としていますが、位置としては館跡の南西の端の方にあたりますので最も可能性が強いような。
■D館跡とされる場所は国道の東側に偏っていて、この水路は北側を東西に流れていて、「寄居町史通史編」では堀跡の名残であろうと推定しています。
■E館跡の東側を南北に流れる水路は全体の半分ほどは暗渠となって道路の下に埋設されていますが、住宅の外れまで行くとこのように地表に露出しています。周辺には事故防止のために高さ1.2メートルほどのネットフェンスで囲まれていました。コンクリートで三方を囲まれてはいますが、水量も多くこの辺りがもっともよく堀跡らしい印象を与えてくれる部分です。なお、この水路は最終的には県道の下を横断して荒川に注いでいるようです。
■F国道140号線の歩道橋の上から眺めた桜沢堀ノ内の東側部分で南北に伸びる東側の直線状の堀跡がはっきりと見えます。
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