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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/03/30の日記 金沢城山 浦山城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態8 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象4 総合29
所在地
埼玉県神川町矢納城平858(旧神泉村)
歴史と沿革

歴史的経緯は不明でも遺構の状態は良好
 「新編武蔵風土記稿」を始めとする近世の地誌類にも登場しない城趾ですが、その地理的な条件や遺構の形態などからみて、永禄年間における上杉・武田氏の上州方面からの侵攻に対して後北条氏が備えた城砦であると考えられているようです。要害から転じたと考えられる「両谷山」という地名が歴史的な古地名であるとすれば、それなりに何らかの伝承が存在していても良さそうなものですし、近世の地誌類にも収録されていてもおかしくはないはずなのですが今のところそうした形跡を見出すことができません。

確認できる遺構
主郭、腰郭3ヶ所、土塁、堀切3ヶ所
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■城峰山東方の標高825mの無名峰周辺から真北に向って緩やかにのびる尾根筋先端部分の標高585.6mの山頂に所在しています。緩やかな尾根筋となる主郭南側には2ヶ所の堀切と腰郭を配され、このほかには北側に堀切が1ヶ所と主郭東側直下に1ヶ所の腰郭が所在しています。主郭からは矢納の西側の宮本、満所の集落が一望でき、東側は現在では杉の植林のために殆ど眺望がありませんが、本来は高牛、浜の谷などの集落を見通すことができ、北側の鳥羽方面も眼下に納めることができるという地理的条件を備えています。

文化財指定
訪城年月日
2006/03/30
訪城の記録

( 2006/03/30 )
いつもの勘違い
 車で移動途中の奈良尾峠付近の林道からは、たぶん両谷山と思われる姿がはっきりと目に入り遠景の画像を撮影しつつ林道を西へと移動。しかし、後で直ぐに両谷山と思われた特徴のある三角形の山容は、実は神流湖南岸に所在する標高732mの「神山」であり、標高586mに過ぎない両谷山はその手前に所在する南北にのびた尾根筋の先端部分であることに気づいた次第。今回の訪城の参考にさせていただいた梅沢先生の著書の写真からでは、どうしても見事な三角形をなす「神山」が目立っているので。しかしいずれにしても、その手前に所在するはずの尾根筋が余り目立たない存在となっていることに全く気づかなかった自分の責任かと。

「尾根筋を下って」城跡へ
 さて、登り口と尾根筋の道の特定に多少不安材料があったものの、南北方向に1kmという地形的な特徴のある長い尾根筋なので案外簡単に林道の峠部分の位置確認に成功。推定距離は直線で約500mほど、比高差は殆どなくて下り道となることから登りは最後の主郭部分の15mほどという体力的にはかなり楽なルートです。林道から遠望した限りでは植林が密生している状態なので問題は途中の尾根筋の状態如何でした。しかし予想に反して森林管理のための伐採がなされていることもあり、思いのほか踏み跡が明確で尾根筋進行方向の視界もかなり良好でした。このため僅か20分ほどで最初の堀切部分に到達し、時間的にも余裕を持って資料に示された遺構を概ね確認することに成功。唯一の誤算は山頂の主郭で、一時的に冷たい北西の風が時折僅かばかりの粉雪を運んでくるような空模様に変貌してしまったことでした。
 この時点で一応最低目標の山城2ヶ所をクリア。旧神泉村の無名の遺構を回ることも考えましたが、宿泊施設の所在地との関係もあり、このあとは体力と天候次第という状態で城峰山周辺の城趾伝承地を目指して移動開始。

記念撮影



 主郭北側の堀切部分で左側の主郭側は4m以上の高さを有し、堀底から見上げるとなかなか威圧感がありました。
 堀切の向こう側に見える山は「神山」で、その北側には神流川が流れる群馬県との県境となります。やはり堀切の画像は向こう側の景色が見えたほうが宜しいようです。なお、この堀切を撮影中に北西風にのった粉雪が少しずつ飛散し始めました。

( 2006/03/30 撮影 曇時々粉雪 )
訪城アルバム
画像クリックで拡大します
■1■風早峠付近からの遠景 画像クリックで拡大
 「両谷山」という地名が歴史的な古地名であるとすれば何らかの伝承が存在していても良さそうなものですし、これだけの遺構が存在しているので当然近世の地誌類にも収録されていてもおかしくはないはずですが。
 なお、三角形を伏せたような特徴のある形の山は標高732mの「神山」で、その手前の低い稜線の先端部分が標高585.6m「両谷城」です。
■2■林道から尾根筋への入口
 登り口と尾根筋の道の特定に多少不安材料があったものの、南北方向に1kmという地形的に特徴のある長い尾根筋なので、案外簡単に林道の峠部分の位置確認に成功。城跡までの推定距離は直線で約500mほどしかありません。
 城跡へは写真の矢印の所から尾根筋に向かいますが、ブルドーザーで構築されたばかりの林道は入口から100mほどで消滅しますので、進行方向左手に見える尾根筋に入りひたすら北を目指します。
■3■痩せ尾根の途中に所在するY字型の松の木
 極めて特徴のある樹形なので目印にはなります。痩せ尾根自体は南側から北へ緩やかに下っているため、城跡への道筋はは比高差40m程の緩い下り坂となります。
■4■余り見通しはよくない痩せ尾根
 尾根筋東西の傾斜角度は40度以上の急傾斜で谷の深さは200mから250mほどを計りますので、これを登攀することは極めて困難を伴うことが予想されます。しかし、城跡までの道筋はこの痩せ尾根の一本道を北進するだけですので迷うような心配はありませんでした。
■5■手前の堀切
 東側から撮影したもので現在の堀切の深さはそれぞれ2mほどの規模ですが、堆積する枝葉の様子から本来の状態よりも大分埋まっている様子が窺えます。
■6■奥の堀切
 同様に主郭に近いほうの堀切を東側から撮影したもので、深さは前のものと同様で約2mほどです。なお、右手上方の主郭側には4m×8mの規模を有する腰郭が所在しています。
■7■中段の腰郭と主郭
 一番南側の腰郭から見上げた10m以上の比高差のある主郭と、4mほどの比高差のある中段の腰郭で、南側から攻め寄せると上方からり防ぎようのない三段構えの攻撃に晒されることとなります。
■8■中段の腰郭
 幅10m、奥行き最大4m程の規模があります。
 この腰郭とこの奥に所在する「9」の腰郭は、幅1m、長さ20mほどの帯郭のような細長い通路で連絡されています。
■9■東側の尾根筋の腰郭
 幅10m、奥行きは最大4mほどの規模で、腰郭の下部も人工的な斜面の切落としを感じます。
■10■主郭東側の尾根筋
 「9」の腰郭部分を東側の尾根筋の下方から見上げたもので、腰郭の存在のために直接主郭の様子は見ることができません。また、この急勾配の東側の尾根筋を200mほど下ると高牛の集落に出るものと思われます。
■11■主郭東側の崖
 主郭の南東側は60度前後の傾斜角度を有し巨岩が露出した荒々しい光景です。
■12■主郭東側の切落とし
 東側の主郭直下の腰郭部分から見上げたもので腰郭との比高差は5mほどですが、明らかに人工的な斜面の切落としが行われているように見受けられます。
■13■主郭南東部の土塁跡 画像クリックで拡大
 延長30mほど、高さ0.6から0.8mほどの土塁が主郭南東部分に明瞭に遺されています。主郭の広さとしては「15」の大岩からこの土塁までの北西から南東に向っての距離がもっとも長く約32mほどですが、対角線上の北東から南西にかけては21mほどの距離しかありません。それでも出郭部分を含めると700平方メートルほどの広さということになりますので、およそ80名前後の城兵が起居することは可能かもしれません。
■14■山岳信仰の石碑と祠
 主郭北東部分の岩の上に所在していた近世から近代にかけて流行した山岳信仰関係の石造物と思われます。
■15■主郭西側の大岩と腰郭
 主郭西端にはこの物見台のような巨岩が所在し、その下方には奥行きの狭い腰郭状の平坦地も見られます。
 大岩自体はいくらか上方がせり出している形態なので、下の方では雨宿りぐらいはできるかと思ったのですが、凹み部分が殆どないのでそうした役には立ちそうもありませんでした。
■16■主郭北側の出郭状の平坦地
 主郭の北側には一辺が15mほどの出郭状の小郭が所在し、その直下に所在する北側の堀切部分を頭上から見下ろす構造となっています。
■17■主郭北側の堀切
 左の主郭側は現状でも4m以上の高さがありますが、右側は岩の部分を含めても1mほどの規模しかありません。落ち葉などの堆積により、南側の2ヶ所の堀切も含めてかなりの部分が埋まってしまっているのかもしれません。
■18■北側の堀切 画像クリックで拡大
 堀切を北側から撮影したもので、堀切の先のほうの尾根筋も南側と同様に痩せ尾根ですが急勾配となり北西方向に下っていきます。
■19■城跡の東側の奈良尾峠付近から
 左側から続く尾根筋の先端に位置していることと主郭手前の登坂の様子が明瞭に見て取れます。
■20■鐘掛城近くの林道から 画像クリックで拡大
 「19」よりも更に2kmほど西側から撮影したもので標高自体は高くはないものの南側の尾根筋を除く周辺の集落と往還の様子を監視するには絶好の条件を備えていることが分かります。
 城郭遺構としては著名ではないために訪れる人も殆どいない様子ですが、林道が城跡への尾根筋を横断しているので車さえあればそれほど不便な場所ではなく、思いのほか遺構の状態なども良好で正に一見に値する城趾でした。 
交通案内

・林道の尾根筋への入口から北へ約500mの距離、往復所要時間は徒歩にて40分程度。
・主郭の登りは比高差15mほど、城跡への道は比較的踏跡が明瞭な緩い下り坂の痩せ尾根一本道
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本)
「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」および「秩父風土記」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)
「皆野町史 通史編」(1988/皆野町)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父の文化財」(1990/秩父郡市文化財保護協会) 

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