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城館跡の名称
関連ページのリンク  2006/03/07の日記 高松城 塩沢城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象3 総合22
所在地
埼玉県小鹿野町両神薄167付近
歴史と沿革

始め小澤氏のちに逸見氏との関わりが
 新羅三郎義光を祖とするとされる逸見氏は、逸見若狭守源義綱が武田氏当主武田信虎との確執から16世紀初めの大永年間に甲斐国より移り住んだとされています。また、現皆野町の高松城の城主も「新編武蔵風土記稿」によれば、「...鉢形北条の臣 逸見若狭守の城墟なり...」とされ、鉢形城の逸見郭にもその名を残す北条氏邦の有力家臣の一人とであり、「鉢形北条家臣分限録」によれば侍大将として1150貫文を知行されていたと記されています。近世に道場を開設した逸見氏の子孫の方が現在も居住されていることからも、こうした逸見氏とのかかわりの深さが推定されます。なお、「新編武蔵風土記稿」秩父郡薄村の項では、「屋敷跡 村の東小名小澤口にあり、小澤左近なるものここに居りしという、今に逸見太四郎と云うものその跡に居れり、彼が先祖若狭守は、甲州より移りて初て此處に住居して、今に子孫につづけりと云う、されど證とするものなし...」と記しています。
 逸見氏は、「武藏志」(江戸時代中期に福島東男1734-1802が編纂)などによると甲斐の出身とされています。始めは藤田氏と共に上杉方に帰属していましたが、「逸見文書」によれば永禄4年(1561)12月に後北条氏に降服したと推定され、以後30年間その家臣として武田氏や上杉氏との攻防で活躍したと伝わっています。
 また、このほかに関連のある近世地誌の記述としては、「増補秩父風土記」によると「小澤口、小澤左近居跡」とされ、「秩父志」では「小澤口砦 すすき、穴山氏」と記されているものの、その詳細は不明のようです。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■北側を流れる赤平川と南側を流れる小森川が合流する地点の西側台地上に所在し、赤平川の蛇行により西側を除く三方が深い谷が刻まれた地形に囲まれています。また西側には比高差200m以上の山岳が聳えるという自然地形を生かした立地条件となっています。

文化財指定
訪城年月日
2006/03/07
訪城の記録

( 2006/03/07 )
甲源一刀流
 時刻はすでに午後5時少し前で、日は大分傾いてあたりも薄暗くはなってきました。しかし、地図などによればと゜うやら宿泊先に向かう途中の道路沿いに所在するらしいとの情報。さきほど訪れた塩沢城の斜面の上り下りのためガクガクとなって、全く力の入らない両膝を叱咤激励して少しだけ立寄っていくことに。
 とはいうものの大体の場所しか分からず、具体的な遺構が存在するわけでもないようです。結果的には館跡東端の神社のあたりと、西側に所在する現在は屋敷門として使用されている埼玉県指定の文化財である甲源一刀流の道場の建物を表から見学しただけのことでした。地理的には北側を流れる赤平川と南側を流れる小森川が合流する地点の台地上に所在し、そうした自然地形を生かした配慮が働いていることが推察されますが、現地ではそれ以上のことはよく分かりませんでした。しかし後でよく調べてみると、どうやらこの道場の所在地が館跡の中心のようでした。

記念撮影



 遠くから眺めたときにはやや変わった形の長屋門だと思ったのですが、道場だとはすぐには気付きませんでした。そういえば塩沢城の麓に近い塩沢宇賀神社にも甲源一刀流の扁額が奉納されていたことを思い出しました。
( 2006/03/07 撮影 曇り )
訪城アルバム
■1■大山祗大神を祀る社
 館跡などとの関係は不明ですが、概ね館跡の鬼門に当たる位置に所在し、社殿の裏側は赤平川の断崖に繋がっています。大山祗神(おおやまづみかみ)は山と海をに君臨する山神の総元締め的な存在で、武門の神としても信仰され、大三島の大山祗神社は瀬戸内の水軍の尊崇を集めていたことでも有名です。
■2■河岸段丘上の台地
 館跡との具体的な関係は不明ですが、館跡の東端部分大山祗大神の社の西側に残されている地形で比高にして約5mほどの高さがありました。
画像クリックで甲源一刀流の現地解説板へ
■3■南側の正面からみた道場 画像クリックで現地解説板へ
 中里介山の小説「大菩薩峠」で有名になった甲源一刀流逸見氏練武道場の「耀武館」。10坪(2.5間×4間)の稽古場と2.5坪の控室ということですが、現在左側の方は農機具などが収納されていました。
交通案内

・小森川と赤平川の合流点の西側で、甲源一刀流の道場と資料館が目印
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本)
「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」および「秩父風土記」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父の文化財」(1990/秩父郡市文化財保護協会)
旧両神村(現小鹿野町)のHP 

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