( 2006/03/31 )
凸体力不足と経験不足の現状では
2006年の3月までに訪城するために、「秩父郡内の城館」さんからの情報をいただきました。しかし、現状では心技体の何れの条件も極めて不十分なことが判明し、現時点における直接の訪城を断念した城郭です。地図上の直線距離では麓からおよそ1kmですが比高差はなんと400m以上もあり、いかにも息が切れそうな尾根筋をただひたすら登攀していくという余り近づきたくない恐ろしげな山城です。比高差250mの塩沢城でさえ、やっとの思いで登頂したというのに、勾配のきつさやルートの分かりにくさを加味すればまず単独では登れないことは必定かと。従って、比丘尼城と共に当分訪城計画の先送りの筆頭となっています。
しかし、訪城した敏桑館からまるで手に取るように間近に見えたこともあり、この際せめて画像だけでも確保しようということで撮影作業に没頭。西側を浦山川、東側を橋立川に挟まれた峻険な尾根筋の北端部分に所在し、更に北側には深く広い谷を穿つ荒川が東流するという立地条件に加えて、近年は浦山ダムの堰堤そのものがが巨大な城壁の如く見えてしまいます。現在大きな痛みがないとはいうものの両膝の機能に支障のある自分にとっては、本当に見ただけで登る気力を喪失させるという厄介な山城になってしまいました。
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梅沢氏の著書によると、浦山ダムの側から正面に見える尾根筋に取り付くような至近ルートが記されていますが、写真の通りの急角度の斜面を間近に眺めると登ろうという意欲がそがれてしまいます。「秩父郡の城館」さんの情報によれば、正面の尾根筋のやや左手から尾根筋を進む道があるとのことですが、それでも少なくとも2時間近くの登攀が続くようです。
( 2006/03/31 撮影 晴れ )
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■1■余りの存在感に圧倒
山麓を東流する荒川の水面との比高差は550mほど、麓の平地との比高差でも軽く500mくらいはあります。尾根筋を南東に4kmほど辿っていくと武甲山の南側の連なる標高1273mの小持山に到達しますが、この尾根伝いからの城跡へのアプローチはほぼ一日がかりとなるので事実上不可能な印象です。
なお、「秩父志」付属の絵図にはまさに上記の写真の方向から描かれた室山城があり、尾根筋の九十九折の登攀路とともに山頂付近の平坦地には手前から三の丸、二の丸、本丸の文字が記されています。
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・浦山ダムの東側に聳え立つ比高差400mの山城。
・いつもガイド の案内図です
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凸参考資料
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)、
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)、
「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)
「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)、
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父郡誌」 (1972/秩父郡教育会編)大正13年出版の復刻本)
「中世の秩父」(2001/秩父地区文化財保護協会)
「秩父志」および「秩父風土記」(「埼玉叢書」の国書刊行会より出版された復刻本より)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「秩父の文化財」(1990/秩父郡市文化財保護協会)
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