( 2005/12/17 )
■凡その場所はこの辺りかと
そもそも所在地が不確かで、かつては確認されていたという土塁や堀跡などの遺構も今はどうやら不明な模様。板碑の破片と思しき物体が祀られているところと、「新編武蔵風土記稿」に記されているように、休耕中の畑の中にポツンと立てられている北山田稲荷社跡の標柱の辺りがそうだったのかなどということにして、余り時間もないので20分ほどで探索終了。このあと参詣者用の駐車場の隅をお借りしていたので、帰りがけに西側の上品寺に立寄ってお参りをして撤退。
( 2005/12/28 )
■おそらくこの辺りのような
後日、念のために東秩父村の担当の方に伺ったところでは、発掘調査などが行われていないので明確なことはいえないが民家の南側の畑のあたりというような様子でした。(下の写真の場所かと)
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「新編武蔵風土記稿」の記述から推測すると写真の左側の山林の手前あたりと云うことになるのですが、実際にはこの畑のあたりのようです。また、「埼玉の館城跡」(1968年埼玉県教育委員会編集発行)によると、その広さは121坪程度の長方形で土塁と空堀の一部が残存していたとされていますが、現在では耕地整理などによりそうした遺構等については全く判然としません。
( 2005/12/17 撮影 晴れ )
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■1■
山田氏の家臣の後裔に当たると伝えられる平野家が現在も同地に居住されているとのことで、この「山田稲荷社跡」の標柱も平野家により設置管理されている模様でした。
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■2■
少し南側に下がったあたりの木陰に三枚の板碑の破片が丁寧に祀られていましたが、破片も小さく判読するような能力にも欠けるので種類や年代は不明です。
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■3■( 2005/12/29 撮影)
山田氏の五輪塔4体と宝篋印塔1体。
後ろ側には板碑が破片も含めて7体が置かれていました。文化財としての標柱や説明などがあると嬉しいのですが、人口4千人の小規模な村ですので予算不足・人手不足等のためなかなか手が回らないのかもしれません。この墓石は県営団地の北側に所在する墓地の西端にあります。
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■4■( 2005/12/29 撮影)
東秩父村の文化財担当の方のお話では、山田氏館跡はこの写真の左側の畑の辺りと云うことのようです。一番上の写真の場所を西側の道路部分から撮影したものです。
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・線安戸宿旧道沿いの東秩父郵便局から北側に100mほど進んだ上品寺の反対側、右手前方民家の南側の畑付近
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