( 2006/06/05 )
凸地面の下には遺構が、地面の上には筍が
八幡谷遺跡と同様に上越新幹線の高架橋の建設に地もなう発掘調査により、中世の館跡ものと思われる堀跡が検出された遺構であるとの情報です。従ってどう考えても地表上に視認できるような遺構が存在するという訳ではなさそうでした。それでも新幹線の高架橋の北側に広がる山林部分は手前の低地部分に対して比高差1.5mから2mほどの台地を形成しており、かつ伊奈町の第1号の保存樹林にも指定されていました。
さて竹林の中に何か目ぼしいものが見つかるかと思い孟宗竹の生い茂った中を蜘蛛の巣を払い、薮蚊を退治しながら見学したものの当然成果はゼロで食用にはだいぶ遅まきの感がある筍がニョキニョキと顔を覗かせていました。筍窃盗犯と誤認されても困るので速やかに撤退を完了。北側の細い水路沿いの低地から見上げると、実に格好のよい台地状の地形をしているのですが、地表上から見る限りでは残念ながらそれ以上の想像が働きませんでした。なお、堀跡が検出されたのはおそらく下の写真右側の上越新幹線の高架橋の付近のようです。
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( 2006/06/05 撮影 晴れ時々曇り) |
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■1■かつての清流は
「2」の水は本来この水路を北流してやがて綾瀬川に合流するはずです。しかし周辺の土木工事の関係からか水流が殆ど停止してご覧のような澱んだ状態となっていて下の写真同様の事故などの危険を感じます。なお、本来は自然の湧水を含む清流であったものと思われます。
訪城記録というよりも「環境汚染・工事危険個所告発」記録となってしまいました。ついでにいえば右手の土盛りは産廃を含むかどうかについては何とも分かりませんが工事の残土の山と思われます。
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■2■これも堀跡ではなく
自然の湧水が行き場を失って高架橋の真下で恰も池のような状態になっていましたが、とりあえずこの小川もかつては天然の堀として利用されていたものと推測することとしておきます。
区画整理関係の工事中の模様だ一部に柵も設置されているものの水深は場所により80cm前後はありそうな気配。余計なお世話かもしれませんが幼児の事故と橋脚の地盤の強度を考慮すると二重の危険が潜在しているように見受けられました。
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・ニューシャトルの羽貫駅前から上越新幹線の高架橋側道を南東方向に300mほど進んだ地点。
・いつもガイド の案内図です
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凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
旧蹟として別途伝承を有する東部地区に所在している「古城蹟 細田山」の記述はあるものの、こちらの無名の館跡についての記述は全くありません。あえてその関わりを探すとすれば、小名として記されている「北山」という個所が現在の小字「北」に相当するのかもしれないという程度です。
■武蔵志
具体的記述はありません。
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)・「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「伊奈町史資料調査報告書第7集」(1991/伊奈町)
「伊奈町史 通史編T原始・古代・中世・近世」(2003/伊奈町)・「ふるさと伊奈」(1990/伊奈町)
・2006/07/07 HPアップ
・2006/07/12 誤字訂正
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