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2006/06/のブログ 倉田孫四郎館 | |
おすすめ評価 |
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埼玉県北足立郡伊奈町小針内宿 | |
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■岩付太田氏の重臣春日氏の館跡の一つ |
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空堀?? | |
周辺の地理的特徴 |
■北東方向に綾瀬川の低地をのぞむ大宮台地上のほぼ平坦地に所在しその立地条件としては西北西約1kmほどに所在している桶川市の倉田孫四郎館に近いものがあると推定されます。従って現在では全くといってよいほどに遺構らしき姿を目にすることができませんが、春日氏の居城のひとつと推定されている上尾市に所在する菅谷北城あるいは立地条件の酷似した倉田孫四郎館跡の空堀などの遺構をイメージすると良いのかもしれません。 |
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無 | |
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2006/06/05 |
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凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿 足立郡小針内宿村の旧蹟として「陣屋蹟 村の東にあり、小名を春日山と云う、春日下総守景定が陣屋跡なりと、今は村民居住の地となれり」と記されていますが、この景定の陣屋跡は天正18年(1590)の後北条氏滅亡後には次第に開墾が進み元禄7年(1694)の検地においては、すでにその全てが畑地とされていたとのことです。(「ふるさと伊奈」より) また、小針内宿村の小名として「堀ノ内 小名宿より少しく東の方を云う、昔春日下総守景定が陣屋の構堀ありし所なりと云う...」とも記されています。 春日氏は徳川幕府が編纂した「寛政重修諸家譜」(「春日氏系図」)では藤原北家の出身とされ、鎌倉公方・関東管領の下で活動したこととされていますがその足跡を具代的に辿る資料は見当たらないようです。そうした中で春日氏が歴史にその名を現すのものとしては、春日八郎行元が観応の擾乱の際に足利尊氏から軍功により観応3年(1352)の9月に武蔵国足立郡桶皮郷菅谷村(現在の上尾市)の丸八郎の所領を拝領した旨の下文の写しが所在しています。(「新編武蔵風土記稿」足立郡菅谷村の項) ■武蔵志 足立郡小針の項に「内宿・・・当所に春日氏の陣屋跡あり」との記述があります。 ■このほか「小田原衆所領役帳」(永禄2年/1559)によれば他国衆太田資正・氏資とともに所領役貫高50貫の春日兵庫助(景定の父か)の名が記されています。 更に永禄3年(1560)上杉謙信の関東侵攻に伴いその幕下に参集した255人の領主の中には春日弥八郎、春日摂津守の名が記されています。(「関東幕注文」) 次に天正5年(1577)の岩付衆の軍役では13の奉行から構成される1580人の軍勢が記され500人余からなる馬上の将兵を束ねる馬上奉行の一人として春日左衛門尉、鑓奉行の一人として春日与兵衛の名が記されています(「北条家印判状」豊島宮城文書より) |
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林) 「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)・「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)・ 「埼玉県史 資料編6中世2古文書2」(1985/埼玉県)・「埼玉県史 資料編8中世4記録2」(1986/埼玉県) 「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県) 「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店) 「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など 「伊奈町史資料調査報告書第13集 伊奈の板碑」(1996/伊奈町)・「伊奈町の寺社寺院」(1988/伊奈町) 「伊奈町史資料調査報告書第7集」(1991/伊奈町) 「伊奈町史 通史編T原始・古代・中世・近世」(2003/伊奈町)・「ふるさと伊奈」(1990/伊奈町) ![]() ・2006/07/03 HPアップ |
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