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荏原氏館
関連ページのリンク  2005/07/11の日記 伝幡羅太郎館 人見氏館 内ヶ島氏館
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便5 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合23
所在地
埼玉県深谷市江原
歴史と沿革

上杉禅秀の乱で滅亡した一族
 深谷市の資料などによると荏原氏は猪俣党川匂政基の政重(荏原太郎)が荏原の地に館を構え荏原氏を名乗ったとされ、同族には人見氏、内ヶ島氏などがいます。「大里郡郷土史」( 大正8年/下田江東 編 ) によれば「・・・武蔵七党系図猪俣党の一族に荏原氏あり、これに本村に居住して、その在名をもって氏とせしものなるべし」と記されています。
 しかし15世紀の始め応永23年(1416年)発生した山内上杉家の家宰である上杉禅秀(氏憲)の乱において、禅秀側につき敗北し滅亡したとされています。上杉禅秀の乱には多くの豪族・国人領主たちが加わりましたが「埼玉県史通史編2」によれば、その背景には分割相続を基本として一族が結合する惣領制が廃れ嫡子による単独相続の傾向が強まり、その相続をめぐり一族が対立する傾向が増え、血縁的結合から「一揆」と呼ばれた地縁的結合に変化してきたという状況があり、その結果一族が足利持氏と上杉禅秀に分かれて戦ったという事例も多いようです。
 なお、敗北し滅亡または大きく勢力をそがれた一族には毛呂山の大類氏、深谷の蓮沼氏、熊谷の別府氏、本庄の本庄氏、寄居の藤田氏、深谷上杉氏の一族上杉憲国などがいます。また、天正18年の秀吉の関東侵攻に伴う忍城の水攻めに際して、利根川からの水を引き入れるにあたりこの館の土塁を利用したとの伝承が残されています。

確認できる遺構
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■現在は全く遺構を見ることはできませんが昭和40年代までは土塁や堀跡が確認できたそうで、その土塁の一部は天正18年(1590年)の石田三成の忍城水攻めに利用されたとも伝えられています。
 しかし、近年実施された確認調査では関連する遺構・遺物は発見されていないということです。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「埋蔵文化財発掘調査報告書第59集 庁鼻和城跡 第4次」(1999/深谷市教育委員会)
「埋蔵文化財発掘調査報告書第40集 深谷市内遺跡VI」(1994/深谷市教育委員会)
「深谷市の文化財」(1974/深谷市教育委員会)
「目で見る深谷の歴史」(1981/深谷市教育委員会)
「深谷市史 追補編」(1980/深谷市)
「深谷市のHP」
「角川日本地名大辞典 11 埼玉県」(1980/角川書店)  

文化財指定
深谷市指定史跡 1958年11月3日指定
訪城年月日
2005/07/11
訪城の記録

( 2005/07/11 )
派手な館跡の表示が...
 真言宗の摩利支天の堂宇の所在する場所が館跡とされていて、堂宇の壁面に大きく荏原氏館と記されているので本当に誰も間違いようのない場所です。 ただその場所に行くのに例によってやや勘違いをしたため、何故か一つ手前の集落付近でウロウロ。 近くにおいでになった地元の年配の方に伺ったところ、丁寧かつ親切な口調で「神社」があるから直ぐに分かりますよということでした。
  摩利支天は本来は古代インドの神であり、その名称もサンスクリット語の「マーリーチー」を音写したものだということです。まさに神仏習合とはよくいったもので、わが国では鎌倉時代ごろから軍神として武士の尊崇を集め守本尊とされ、さらに水難、火難、盗賊の難に後利益があるということです。 おそらくはこの地域の事情から推測すると、利根川の氾濫から生命財産を守る水難除けの「神」として尊敬を集めたと考えられるのですが。

Best Shot?



 ご覧のように神社のようにも見える仏堂が建てられていますが、基本的には真言宗の仏教に帰依したとされる古代インドの神々「天」の一人ということのようです。
 他の場所ではすでに盛りを過ぎてしまった紫陽花がちょうど花の盛りを迎えていました。
 それにしても、これだけ大きく「荏原氏館跡」と書かれている中世城館跡も初めての体験です。
( 2005/07/11 撮影 曇 )
交通アクセス

・深谷市北東部の県境に近い利根川南部の水田地帯 MapFan Web の案内図です  


( 2005/07/11 撮影 )

■本来は古代インドの神である摩利支天を祀った摩利支天堂
■摩利氏天堂の裏手にある大木の下に館跡などの説明版が設置されていました。
■右側の石碑は松尾芭蕉の句碑。
■深谷上杉顕彰会が設置した説明板。深谷市にはこうした説明版が数多く設置され本当に頭の下がる思いです。
 
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