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アクセスありがとうございます。 学術的な城館遺構ではなく主に「素人の思い込みと勘違い」によるものです。
関連ページへのリンク  2007/01/10のブログ 御所堀 伝源範頼館 御所陣屋
所在地
埼玉県比企郡吉見町田甲
遺構まがいの地形
洪積台地(吉見丘陵)東端の岩壁
城館遺構の可能性
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

物見にふさわしい地形
 吉見丘陵北部に所在し幾分東側に張り出した比高差20mほどの岩壁を伴う地形を呈し、東側に展開する旧横見郡の水田地帯をほぼ見渡すことのできる優れた地理的条件を具備しています。源範頼の館跡の比定地のひとつである「御所堀」はこの地点から西へ約1キロメートルほどの地点に所在しています。
(追記)
 天正18年の豊臣秀吉の関東侵攻の際の布陣を描いた「天正庚寅松山合戦之図」」(「寛永諸家系図伝」編纂時の資料とされる)によると「高負」と記された位置に寄手である奥山長門守基長、鷲津九蔵、九沼少蔵という名が見えます。このことからその当時においても要害の地として知られていたことが推定されます。

訪城年月日
2007/01/10
訪城の記録 記念撮影

( 2007/01/10 )
見下ろす限りでは見事な岸壁
 「御所堀」からポンポン山近くの駐車場まで戻るついでに、「切り立った断崖で有名な高負彦根神社が所在するポンポン山」へも立ち寄った次第であります。 社殿裏の右手の坂道の途中では、確かに「ポンポン」とまではいかないにせよ「乾いた感じで幾分弾んだ太鼓をたたくような音」が発生することは確か。
 奇岩の景観と絶景で有名な岩場から眺める景色は遮るものがないので正に見事の一言に尽きるのでありますが、岸壁の存在が危険であることを示した注意書き以外には防護柵などこれといった安全設備もなく「事故責任は自己責任」(駄洒落)ということのようです。
 絶壁の辺縁部からまともに落ちれば、よくて全身打撲と複雑骨折間違いなしという感じです。 然し、下からの目測では比高差は12メートルから15メートルほどと意外に少なく、秩父の諏訪城の舳先状の断崖に比べればまだしも一命をとりとめる可能性がありそうです。 神社境内の西側部分を堀切れば格好の砦・物見台となるかもしれませんが、何分その方面には広大かつ平坦な畑が一面に広がっているのでありました。

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東側に岩壁を有する高負彦根神社の丘陵
( 2007/01/10 撮影 )
訪城アルバム
■1■カモさんが泳ぐ沼地
 ポンポン山駐車場近くの沼地では数匹のカモが元気に泳ぎ回っておりました。
 ところで今を去ること遥か40年以上前に南側に所在する吉見観音を含めて少なくとも2回ほどこの地を訪れているはずなのであります。ところが誠に遺憾ながら宅地開発などで当時とは大きく周囲の風景が変貌していることと合わせて、当時の記憶が殆ど残っていないのであります。
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■2■眺望の良い神社西側の畑
 この辺りに「堀跡」の形跡でもあればしめたものなのでありますが、トラクターにより穿たれた溝のほかには生憎吉見丘陵北部の広々とした畑が一面に広がっているだけなのでありました。なお、正面の遠く霞んで見える冠雪した高山は日光の男体山方面であります。
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■3■由緒正しい高負彦根神社の遠景
 ポンポン山の手前西側に所在する高負彦根神社社叢の全景。延喜式内社で「玉鉾氷川大明神」とも呼称され、祭神は「味?高彦根尊」(あじすきたかひこねのみこと)「大己貴尊」(おおなむちのみこと)「スサノオの尊」などといわれているそうです。
 和同3年(710)創建と伝わる古社とされ、近年に発見された宝亀3年(772)の太政官符によれば、「武蔵国幣帛ニ預カル社四処」の「横見郡高負比古乃神」と比定されています。(現地解説版より)
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■4■吉見、鴻巣方面だとは思うのですが
 高さ15メートル前後の絶壁の先端部からは荒川方面を含む関東平野が一望に展開。
 然し平坦な地形がひたすら延々と続いているために果たして何処からどこまでが吉見町、鴻巣市やら全く見当がつかないのであります。
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■5■絶壁は2段構えの備えが
 神社裏手の絶壁はこのように2段構えの防御線となっていて、写真の撮影位置よりあと1メートルほど下がると15メートルほど真下に転落することとなる次第。          画像クリックで拡大
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■6■ポンポン山山頂付近 画像クリックで拡大
 物見としては絶好の地理的条件を具備しています。東側の水田地帯から直接攻め上ることは絶壁の上からは丸見えで殆ど不可能と思われます。
 「玉ほこ山」ともよばれ「吉見八景」にも選ばれて吉見丘陵のハイキングコースにも含まれています。
■7■ポンポンと音がする辺り
 確かに画像右側の白い看板付近で「ポンポン」というよりもどちらかといえば、「乾いた感じで幾分弾んだ太鼓をたたくような印象の音色」を発します。崖地を構成する岩盤の一部に隙間のようなものがあり人の歩く振動により共鳴するような構造となっているのかもしれずなどと考えてみました。
(追記)
 なお、近世地誌の「武蔵志」でも「鼓のような音がする」旨の記述があります。
交通案内

・吉見丘陵の北部で、通称「ポンポン山」
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 


凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「吉見町史上巻・下巻」(1978/吉見町)・吉見町の公式HP 

・2007/04/27 HPアップ
・2007/04/30 記述追加

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