凸別名を薬師館とも 城館関連地名として館山という小字名が残され、別名を薬師館とも呼ばれています。角田伊賀守が居住したとの伝承があるとのことですが、その詳細については不詳で、1970年代前半頃に行われたと思われる山砂利の採掘により遺構そのものはについては壊滅している模様です。(「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)等より) 文化財としての調査以前に消滅したために形態・規模については全く不明とされていますが、物見館など周辺の城館の事例から想定した場合には、どれほど大きくとも方1町前後の方形単郭館ではなかったのかと思われます。 また現在の集落規模などから考えますと、戦国時代末期には三城目城、隈井城などの城館とは大きく異なり、あくまでも村落領主規模の土豪階層の居館としての存在が想起されます。
( 2009/04/06 ) 凸 気力も遺構も共に消失気味 この日直前に訪れた沢尻館の探訪で気力の大半を喪失してしまうという失態。加えて予め遺構消滅という情報も。これに度重なる荊の傷の痛みが加わり、結果的にはこのあとの予定行動に照らして家畜舎裏手の丘陵を遠望したのみの都合20分ほどの所要時間であっさりと終了してしまうというだらしない管理人なのでありました(汗) なお、西側および北側に所在する農業用水池の近くから遠望したところでは、確かに遠目にも篠竹(アズマザサ)の藪と荊はかなり豊富な丘陵であろうことが十分に想像できましたので、この際は麓でUターンも致し方なく...とはいえ今後において再訪する可能性は皆無に近く、このあたりの判断が遠征の場合の難しいところなのであります。
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