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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/06のブログ 国神城 古館 寺内館
所在地
 福島県西白河郡矢吹町大字堤字堤、沢尻
歴史、人物、伝承

石川一族関連の居館か
 かつては約50m四方の土塁により囲まれた方形単郭の遺構が存在していた様子ですが、館跡の約半分は破壊され明確な遺構は残存していない模様です。
 また舘主は「白河古事考」によると、石川氏一族とされていますが傍証を欠き明確ではないとのこと。
 (「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)より引用)
 同書においても示唆されているように、三城目地域に所在することから戦国時代末期には恐らくは石川氏一族である中畑氏の影響下に置かれていたものと思われますが詳細については不明であるようです。

確認可能な遺構
 山頂部分に土塁・空堀跡のようにも見える地形が所在するがおそらくは林道跡かと。
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月6日 14時00分から14時50分
訪城の記録 記念撮影

( 2009/04/06 )
 大いに凹む
 「中世城館報告書」では、「郭、空堀、犬走」が残るとの情報も。 然しかつての植林などにより地形の改変が行われた模様であり、最高地点を中心にかなり歩き回った割には明確な遺構は無いも同然で(疲)
 そもそも自宅に帰ってきてから、城館名称自体の間違い気づくというような始末。少なくとも当日回っている間はずっと「沼尻館」だと誤解をしておりました。
 それよりも篠竹の「藪+荊」がなかなか頑強で、少なくとも両足を中心に10か所ほどは傷だらけに。めぼしい成果が伴わないだけに、この時点で精神的にかなり凹む管理人なのでありました。その影響でこの日の以後の探訪については、もうあからさまな数稼ぎモードに突入したのであります。

用水池越しに眺めた沢尻館 ⇒ 画像クリックで拡大します
用水池越しに眺めた沢尻館 -A-
( 2009/04/06 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、だいたいの撮影地点と方向を示していますが厳密なものではありません。
ほとんど意味がありませんが、画像クリックで拡大します
訪城アルバム
登口? ⇒ 画像クリックで拡大します
「」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 登り口?
 できるだけ笹薮の少ない個所から突入すべく、比高差30m弱の麓付近をウロウロと半周。かつての土取り、あるいは植林等に関連する行き止まりの林道は何か所か存在しますが、何れも手ごわい笹薮の塊が前進を阻止しておりました。
 その中では、この北側からの谷筋沿ルートが比較的入りやすそうに見えたのですが...ものの見事に当てが外れました(苦笑)
凸2 遺構ではなさそうな地形
 かつては遺構が所在したともされている山頂中心部はこのようにアズマザサが密生して殆ど見通しが利かず、この南側の植林地帯の部分だけがわずかに開けた状況なのでありました。
 なお、この画像の地面の盛り上がりは間違いなく人工的な地形要素を含んではおります。しかし空堀にしては緩い曲線状の明らかな下り坂で、然も土塁の内側に位置しておりました。
 麓の林道入口の存在とからめますと、左側の幅4mほどの窪地を含めて以前の林道等の整備に伴うもののようにも思われたのであります。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館4 岩手・福島」(2002/東洋書林)

郷土史関係等
「角川地名大辞典7 福島県」(1981/角川書店)
「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)、「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)

史料
なし

その他
福島県文化財データベース

・2009/05/23 HPアップ
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