凸中畑氏家臣の居館か 館主は不詳とされていますが、国神城および隈井城(観音山館)の中畑氏家臣の居館と推定されているようです。また館の規模は一辺約30mの土塁を伴う方形館で空堀と馬道を有すると記されています。(「矢吹町史」ほかより) 一郡にも満たない恐らくは数か村程度に影響力を行使していた考えられる石川氏庶流の中畑氏そのものの領主としてのステータスと、この居館が所在したと思われる丘陵山頂の規模から想定する限りでは、ごく小規模な在地土豪(有力農民階層)の居館であったものと想定されます。
( 2009/04/29 ) 凸 あまりに慌ただしい探訪 いくら交通量が少ないとはいえ路駐を極力避けるべく駐車スペースを物色。しかし水田地帯に近いことから生憎と車を停めるような適当な場所が無く止む無くハザードで路駐させていただくことに。このような次第でさほど早くも無い足で比高差30mばかりの丘陵をヨタヨタと駆け上る管理人(苦笑) 城館跡に関連すると思われる辺りには神社の小祠が2か所ばかり所在し、丘陵の頂上部には如何にもそれらしい東西に長い多少の切岸らしい痕跡を含む楕円形形状の削平地(平場)も現存しております。しかし何分にもかなり急いでいたこともあり、「中世城館調査報告書」(1988)および「矢吹町史」(1980)に記されていた土塁と空堀の存否は確認できずじまいなのでありました。
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