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桜田馬場(小内氏館)
関連ページのリンク  2005/07/11の日記  伊勢方仮城  曲田城             
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態5 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合26
所在地
埼玉県深谷市曲田
歴史と沿革

小内氏の館、屋敷?
 「新編武蔵風土記稿」の曲田村の記述によれば、「小名 櫻町 古上杉氏所領なりし頃は、櫻馬場と云いしと云う」という伝承が残るのみです。
 皎心寺の曲田城跡に設置されている説明版によると、「岡谷家譜」には天正18年(1590年)の秀吉の関東攻略の時に岡谷氏の家臣小内外記之助が曲田城を守っていたと記されています。またこの櫻田馬場には現在も小内氏の子孫の方が居住されている様子です。主家の岡谷氏についても深谷上杉氏が後北条氏に降った時点で帰農したとの説もあるので、このことから推測すれば16世紀半ばから16世紀末ごろと推定できそうな感じですが。

確認できる遺構
水濠、土塁?
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■「桜田馬場」は旧谷之村の東側に隣接し西側の一部は伊勢方仮城の東側、つまり曲田城の東側が存在するものと推定されています。周辺はおおむね平坦な水田地帯で何時ごろの時代のものであるかどうかは分かりませんが、北側部分で延長約100m、東側で32mほどで幅2間から3間、深さにして約1mの水堀跡が現在でも確認できます。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「埋蔵文化財発掘調査報告書第59集 庁鼻和城跡 第4次」(1999/深谷市教育委員会)
「深谷市の文化財」(1974/深谷市教育委員会)
「目で見る深谷の歴史」(1981/深谷市教育委員会)
「深谷市史 追補編」(1980/深谷市)
「深谷市のHP」
「角川日本地名大辞典 11 埼玉県」(1980/角川書店)   

文化財指定
訪城年月日
2005/07/11
訪城の記録

( 2005/07/11 )
立派な水濠が残されて
 曲田城城主とされる岡谷氏の重臣小内氏の館・屋敷?の周辺に残されているという堀跡を確認。16世紀中頃当時のものかどうかは全く分かりませんが、屋敷の北側と東側に水堀跡が残っています。偶然目にとまった近くの集会所に所在する五輪塔風の石塔もついでに撮影。元々曲田城、伊勢方仮城の道すがらに立寄っただけなのにもかかわらず、「堀跡」は一部とはいえきちんと残されているし、付近の「五輪塔」も撮影できたし...とまさに充実感に浸ったひと時でした。

Best Shot?



 北側の農道からみた櫻田馬場の北側の様子で、現在は少なくとも2軒の民家の宅地として利用されているようです。この場所から500mほど西側に曲田城跡が所在しています。
 ( 2005/07/11 撮影 曇 )
交通アクセス

・JR深谷駅より徒歩25分 MapFan Web の案内図です  


( 2005/07/11 撮影 )

■写真の左右方向にあたる東側水濠は現在でも角部分がきれいに残されていましたが、北側の堀は西に行くほど浅くなり宅地と農地の境の窪地のような状態になっていました。
■地区の集会所の敷地の端には寄せ集めのように見える小さな五輪塔が鎮座していましたが、上段の「空輪」とその下の「風輪」「水輪」は明らかに時代が異なっているように見えました。
 
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