アクセスありがとうございます。 最初はホームページづくりの日記のようなもので始めたのですが。 時々ネコも出てきます。 もちろん、城跡めぐりも出てきます。 早い話、身辺雑記のようなものです....はい。
 
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・2005年6月29日    城館跡めぐりの整理も、植物の写真の整理も...
           

 あれから2日も経過しましたが未だに自分の吐き出す息がネギ臭くて困っていますので、周囲の人はもっと困っているかも知れません(^^; 植物の写真の整理もなかなか捗らないうちに、城跡めぐりの方もまだ2桁近い未整理分があります。したがって暫くはせっせとHPの更新作業に勤しむ必要がありそうですが、季節も夏に向っているのでHPの模様替えなどをしてみたくなり、あれこれと試行錯誤をしているうちに貴重な時間が過ぎていきました。トップページはもう少しシンプルなデザインにしたいのですが、技術とセンスが欠乏しているためなかなか思うようには行きません。

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■多分ゼニアオイかと思います。 ( 深谷市の人見館跡北側にある水田脇の道端にて )。

( 2005年6月27日 撮影 )



・2005年6月27日    深谷城を避けて深谷市内の館跡めぐり
           

 別にこれといって理由はないのですが、深谷城を避けてそれ以外の深谷市内の城館跡をウロウロとしてきました。夕方からはところにより雨がぱらつくという天気予報も出ているようでしたので、とりあえず5か所程度回れればというような目標設定を。
凸人見氏館
 写真などで見る限りこの季節の訪城には余り向いていないようにも思ったのですが、北側の二重土塁の間の空堀もありがたいことに除草等が行われているようでお蔭でしっかりと確認できます。また西側の竹林の中には想像以上に規模の大きな空堀も残されていました。問題は次の目標に向おうとして時に元の道をそのまま戻ればよかったものを、成り行きでどうにかなるだろうといい加減に道をとったところ、暫しの間方向を失って20分ほどタイムロスしました。おまけに近くの人見氏菩提寺の一乗寺の入口が分からず、周辺を更にぐるっと一周...自宅から深谷市内まで道路地図も確認しないで来れるようにはなったものの、生来の方向音痴は改善されていないようです。
 館跡自体は北側に水田を望む台地上に所在しますが、南側は平坦地であり全く自然の地形の有利性がなく、武士の館を引き継いでいるとはいえかなり不利な立地条件のように思えます。また、城館の立地条件としてはこちらよりもはるかに北側の水田を挟んで反対側に所在する丘陵の方が恵まれているように思えました。
凸秋元氏館
 事前に仕入れた情報によると目印は大きなダイヤ建設の高層マンションの近くで、住宅地の中に小さなロータリーがあって...何のことはない数日前に、夕食に蕎麦を食べようとして目前を通過した場所でした。確かに何か書いてあったような気もしましたが、行く蕎麦屋が準備中だらけでイライラしていたもので全く目に入っていなかったわけです。
 さて、ロータリーの中には昭和30年代に建設された懐かしい政治家の方々の名前が裏側に刻まれた大きな館跡の石碑と立派な説明版が所在しています。これぐらいあっけない訪城だと確かに数は稼げますが、本当にこれでいいのかと思ったりします。地形的には深谷城の南約1.5kmに位置し南北を唐沢川と下唐沢川の流れに挟まれた微高地に所在していますので、人見氏館と共に深谷上杉氏の本拠の深谷城の南方側をガードする支城として機能していたのかもしれません。
(^^)昼食
 いつもは車を停めさせてもらうこともあって、当地のコンビニで済ませることが多いのですが、たまには普通の食事をしようと、最近蕎麦を食べることに執着し始めたこともあり、前回準備中の店構えの大きな蕎麦屋へ。アジサイの花もそろそろピークを過ぎ始めてきたようですが、この店の駐車場の脇のアジサイはまだまだ十分に観賞できました。さて、肝心の蕎麦。一人客の「もりそば400円」では申し訳ないので「ざる蕎麦500円」と「ネギ天400円」を注文。蕎麦自体でいえば未だ取入れが終わったばかりで国産のそば粉はもっとも新鮮味が薄れる時期らしいのですが、「俄か蕎麦喰い」にそんな微妙な味の違いなどが分かるはずもなく、幾分そば粉の含有量が少ないようにも思えましたがまずまずといったところ。ところが、おかずに頼んだ「ネギ天」のボリュームの半端でないこと。直径にして12センチ以上はありそうな塊が4枚もあり、その具が全てネギ。蕎麦の薬味もネギ。考えたらここは深谷。深谷といえば「深谷ネギ」なので、地元の特産ですが、これほどの量が出てくるとは思わず、どう見ても2人前から3人前相当。年代的に食べ物は残さない世代なので、最後は「蕎麦をおかずにしてネギ天を食べ続け」何とか完食に成功。暫くは薬味のネギも見たくない状況に陥りました(^^;
凸大沼弾正忠館
 多分何も残されてはいないだろうと思っていましたが、よく見ると館跡とされる西蔵寺の周辺には堀跡と思われる窪みが方形で残されています。当時の様子をどこまで伝えているものかは全く分かりませんが、東西南北全ての方角について残っているようで、叢生する雑草でよくは見えませんでしたが西側の墓地との境部分にもしっかりと確認できました。お寺の方は現在どうやら無住の様子で、どちらかというとやや寂れた佇まいを見せていました。
凸曲田城
 深谷上杉氏の重臣である岡谷氏の居城の一つであるらしいのですが、城跡とされる曹洞宗皎心寺の周辺には遺構らしきものは見ることはできませんでした。おまけに葬儀の準備のため境内は慌しく関係者の方々が動き回り、周辺と山門の辺りを撮影して退去しました。
凸内ヶ島氏館
 永光寺が館跡とされていますが、深谷市が設置した指定文化財の標柱などのほかには館跡であったことを示すようなものはなく、こちらのお寺も現在無住のようで広い境内にはあちこちに夏草が蔓延り、通路には蜘蛛の巣が張られて全く人気を感じさせない環境でした。
凸伝幡羅太郎館
 伝承のみで歴史的な背景が殆ど分からないようですので、まだ時間に余裕もあったのでちょっと立寄ることに。先月皿沼城に向うときに何かありそうな地形をしていると感じていた場所です。正確に言えば予感があったのは楡神社の方ですが、市の文化財指定がされているといっても全く何の遺構も確認できない所もあったので、正直全く期待してはいませんでした。
 地図を頼りに見当をつけていっては見たものの細い路地を辿っていくと農家の裏側の「やぶ蚊」がうようよしている所にしか行き当たらず、あきらめて戻ろうかとも思いましたが、ビニールハウスの間のもう一本の細い路地を南の方に100mほど進んでいくとフェンスによって仕切られた屋敷林の道路沿いに沿って立派な高さ2mから2.5mの土塁が延長にして約30メートルほど。更に南に進んでいくとまた30m以上の土塁が続き、その先は土塁が東側に折れると共に何と幅10m前後の空堀が! 空堀から土塁までの高さは最大3m以上もあり西側と南側を土塁に囲まれた場所は郭の形態を残しているように見えました。土塁の高さは内側でも1m以上の高さを有していて、これほどの遺構に出会えるとは全く予想せず、本日最大の収穫ということに。「やぶ蚊」の攻撃を受け、蒸し暑い中を足を引きずりながらヨタヨタと這いずり回った甲斐があったというものです。 
 ここまでで合計6ヶ所と当初の目標を達成し、併せて両膝の具合がかなり微妙な状態なので、これ以上は無理をせず午後3時30分過ぎに帰路に着きました。それにしても特大ネギ天4個には参りました...自分でも吐き出す息が臭くて(^^;

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■「巨大ネギ天4枚完食.....(^^;」 ( 深谷市内の蕎麦屋にて )。

( 2005年6月27日 撮影 )



・2005年6月26日    お蔭様でアクセス2万件に到達
           

 日曜日の夜12時過ぎにアクセス件数が2万に件到達いたしました。アクセスカウンターを横目でにらみながら更新作業をしていましたが、何とか自分でキリ番を踏むことに成功しました。
 昨年の7月に開設して以来一年近くが経過しようとしていますが、当初は殆ど自分の分しかアクセスがなく1万件を超えるのは10年はかかると思ったこともあります。しかし、コンテンツが増えるに伴い語句の検索からのアクセスも増え、Googleの「城跡」検索の1頁目に表示されるなどのこともあり1日当たり100件前後のカウントを表示するようになりました。
 ご覧いただいた皆様に心より感謝申し上げますとともに、これからも、少しずつ内容を充実していくつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします。

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■翌日に昼食を摂った店の駐車場のアジサイ ( 深谷市内 )。

( 2005年6月27日 撮影 )



・2005年6月23日    ジオシティズのサーバー障害
           

 午後9時40分ごろから11時過ぎぐらいの間、HPの更新中にジオシティズへのアクセスが不通となってしまいかなり焦りました。原因はサーバー側の障害のようですが、ここ10日間ぐらいの間もHP表示に時間がかかる現象が発生していましたので、何らかの関連があるのかもしれません。この間にアクセスしていただいた方がいらしたら、ヤフージャパンになり代わりお詫び申し上げます。なお、この時間の平均的アクセス件数は過去3ヶ月のデータによると大体10件ぐらいとなっていました。
 さて、アクセスカウンターをよく見ると何と「2万件台」に迫りつつあるようです。こんな貧相なHPが開設後1年以内に到達するとは思いもよりませんでした。もっとも、重複カウントの制御が甘いことが影響しているかもしれませんが、一日あたりの訪問者の絶対人数でも60人前後となっているので、確かに計算上は1年で2万件に到達することになります。もっとも昨年11月ごろは一日あたりでは2桁に届かないことも多かったように記憶しています。HPを継続的に運営していく上で、確かにアクセス件数の存在は大きなものがあります。また、「極まれに頂く」(^^;「HP見ましたというメール」も大きな励みになります。
 こうした皆さんの励ましに支えられて、とりあえずの目標として、何とか来年の3月までに埼玉県内200城館の訪城を目指していきたいと思っています。

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■本庄市の宥勝寺境内のアジサイ。

( 2005年6月21日 撮影 )



・2005年6月21日    本庄市の館めぐり
           

 梅雨の晴れ間に有給休暇を利用して本庄市の館跡めぐりへ。今回は城とは全く無縁で、しかも殆ど遺構が残されていないところばかりです。そんな所へ往復4時間の所要時間を費やしていってきました。ま、もっとも梅雨時はアジサイとタチアオイが元気な花を咲かせているはずなので、始めからそうしたスナップ写真を撮りながらの館めぐりの予定でした。アジサイを撮影しに行くだけならば、居住地から近い所では越生の「アジサイ街道」が見ごろです。しかし山城は今のところ季節柄不向きですし、両膝の具合も微妙な所なので平地を目指し、ついでにアジサイなどの撮影もできればというような魂胆を秘めて。
■東本庄の館
 館跡の方へ行く前にまず、浅見丘陵から眺めた栗崎館の位置を再確認し、そのあと本庄一族の菩提寺である宥勝寺に向かい庄小太郎頼義のものと伝えられる五輪塔をデジカメに収めました。さてここで予想通りお寺の本堂の北側には盛りを迎えたアジサイの花が数十株ほどあり、これ幸いと館めぐりよりもアジサイの撮影に躍起となりました。平日の特に著名な観光地でもない場所なので参詣者は自分ひとりで、浄財100円でアジサイの画像を独占してきました。
 さて肝心の館の跡の方は先月末に訪城した栗崎館のすぐ東側で東本庄稲荷神社が目印だとのことでした。現地に赴いてみると、20年前の市史編纂当時とは異なり、目の前にいきなり本庄総合体育館の巨大な建物が現れ、場所を間違えたかとも思いました。しかし、よく前方を眺めるとその隣に小さく神社の赤い鳥居が見えたので、この場所に間違いないということに。また神社の境内には「館の跡」についての説明版もあり、とりあえず納得を。おそらく20年以上前には、畑と野原しかないような場所だったと思われ、あまりの環境の変化にしばし呆然としていました。「市史」の記述しているように、神社の所在する部分は周辺よりも数十センチほど高くはなっているようですが、近年の周辺の土地の造成工事などの関係で、元来の地形がほとんど分からないのには弱りました。
■森氏館
 牧西堀ノ内の直ぐ南西側の県道に面した場所で現在も広い宅地を有した農家が所在していますが、館当時の宅地は数軒に分割されているようで当時の面影は殆ど感じられませんでした。
■滝瀬氏館
 滝瀬神社周辺が館の跡とされているようですが、北東側の一部が児童公園になっていたりして、こちらの方も全く当時の面影はなさそうです。しかし、神社の社殿などはかなり年季が入っているというよりも、やや草臥れかけていました。参詣にあたり鈴もそっと鳴らさないと、落ちてきそうな気配もするような人気のない環境でした。
■滝瀬陣屋
 滝瀬の交差点の南東部分が秋元氏の陣屋跡とされているらしいのですが、現地には農家が2軒所在し大きなビニールハウスがある以外はこれといって本当に何もなく、ひたすら場所を確認するだけにとどまりました。
■西富田館
 今回の訪城というより、館めぐりでは唯一遺構らしいものが確認できた場所です。とはいえこの季節ですので、叢生する木々の隙間から空堀と土塁らしき高まりを目にすることができました。しかし、土塁のように見える上には小さな石祠がありますので、もしかすると近世の塚のようにも見えます。また、近くの四方田館にもいってはみたのですが、予想通り草木が叢生し季節的に無理がありました。せめて11月以降でないと内堀の状態が殆どわかりませんので、そのときに合わせて再訪するべきかと。
■今井館
 金鑚神社の南側の旧サンヨー食品の工場跡が該当地です。以前の工場はすっかり取り壊され整地されていますが、もちろん遺構のようなものがこの目で確認できるはずなどありません。かつての堀跡とされる四方の道路をぐるっと一周して、道端の馬頭観音と板碑の破片を眺めてから直ぐ南側にある久城田に向いました。
■久城田
 現在用水路が東西方向に流れている北側の十字路付近だと思われるのですが、どう見ても田んぼと畑と農家などの民家が並ぶごく普通の農村風景が広がっているだけでした。
 ただ、近くに所在している共同墓地には中世のものと思われる古びた五輪塔が一基だけ残されていて、唯一この土地の歴史を物語っているようでした。 

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■宥勝寺境内で偶然撮影できた光景ですが、慌てていたのでヒントがあまくなっています。

( 2005年6月21日 撮影 )



・2005年6月20日    植物図鑑の編集
           

 植物図鑑の編集作業が遅々として進みませんが、何とか20種類ぐらいの件数を公開することができました。今まで使用していた画像をもう一度再編集したりしたので、思ったよりも捗っていません。あと少なくとも80種類ぐらいはあると思いますが、品種の不明なものも多く、それを調べ始めると際限のないことになりそうなので、分かりやすいものから始めています。
 そういえば昨日は「父の日」で日頃ネコの面倒を見てやっているせいかも知れませんが、娘からビールのつまみのような物を貰いました。もちろん貰わないよりも貰ったほうが嬉しいのですが、無闇に食べて直ぐなくなってしまうのも勿体無いような気もして、未だに手をつけてはいません。
 残された2匹の子猫は、貰い手を募集しているようですが、「あんみつ」と「イチゴミルク」という一方的な命名をされていることから考えると余り手放したくないのかもしれません。さて「あんみつ」の方は相変わらず、人間に構われるのがたいへん気に入っているようです。人差し指を顔の前に出してやると前足で軽く撫でて、そのうち腹ばいになって4本の足で人差し指を撫で回して、最後には舌先で嘗め回しています。

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■白色のセイヨウアジサイもさわやかで清楚な感じがします。

( 2005年6月16日 撮影 )



・2005年6月18日    アジサイ(紫陽花)
           

 一昨年の1月になくなった父親の3回忌の法要で、東京の染井霊園へ出かけました。何度通っても川越街道から山手通に出る近道が分かりにくく、更に中山道(白山通り)へのアクセスもよく分かりません。このため往復1回ずつ道を間違えました。天気予報では曇とのことでしたが、薄日も差していましたので予想外の好天となりまずは何よりというところでした。
 訪城先のストックがなくなりましたので、以前からの宿題として、現在植物図鑑の編集中ですが、城跡めぐりと編集パターンが微妙に異なりなかなか捗りません。訪城には季節的に余りふさわしくないこの時期にある程度の件数を処理しておきたいのですが、どこまでできるのかは全く未知数です。
 足の痛みの原因はどうも「静脈瘤」のようです。同じ姿勢をとり続けていると足首や膝などの下肢の部分に2、3日ほど瘤のような塊ができます。足の痛みを考慮して普段乗っているマニュアル車ではなく、オートマチック車で出かけたので分かったことです。オートマチック車では、左足は運転中に殆ど動かさないで同じ姿勢でいることになります。帰宅して車から降りるときに異常な疼痛とだるさを左ひざに感じました。いままではどうしても我慢できないほどの激痛ではないので、関節または筋肉の炎症と思っていましたが、どうもそうではないようです。今日は往復3時間以上も運転していた関係で、左の膝の外側に明らかにそれらしい塊ができていました。よく見ると右足の同じ部分にもそれらしい塊がありました。道理で、立ち上がるときに鈍い痛みを伴うわけです。

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■アジサイはこの色が一番気に入っているのですが、道端のために泥はねなどで少し汚れています。

( 2005年6月16日 撮影 )



・2005年6月16日    ガクアジサイ(額紫陽花)
           

 仕事でHP用の町内の梅雨時の風景を収集しに出かけましたが、デジカメ撮影には天敵のかなり強めの雨が降ったりして思うような画像の撮影には程遠い状態でした。本来は蕎麦の白い花と実を撮影するのが目的でしたが、日照が不足していたためにオートフォーカスの調子がいまひとつで余り使えそうな画像がありませんでした。そのうちの少しはまともな部類がこのアジサイの画像です。道路脇の余り手入れされているとは思えない空き地の所に咲いていました。これで少し薄日が差し込みカタツムリでもいてくれたらば絵になるのですが。

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■よく見ると白い花びらの左上の方に小さな羽虫が一匹だけ止まっているのが分かります。
 ユキノシシタ科アジサイの属落葉低木。花色は、ピンク、紫、青、白、薄紫などがあり、中央の両性花を囲む装飾花を額に見立ててこの名が付けられたといわれています。酸性の強い土質では青系色に、弱アルカリではピンク・赤になるといわれていますが、同じ株でもピンクと青が混じりあっている場合もありますので一概に言えないようにも思います。

( 2005年6月16日 撮影 )



・2005年6月14日    貰い手の見つからない子
           

 一番自分に慣れている子ですが、なかなか貰い手が見つかりません。猫部屋に入ると構ってもらおうと近寄ってきます。「そうか、そうか、おう、よしよし」と抱き上げてそのついでにシャンプー洗面台まで行って行水。結果は相変わらずの風呂嫌いの怖がりのため、右腕に3センチ、5センチ、8センチの3本の傷を刻んでくれました(^^;

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■行水が終わりお古のバスタオルにくるまれるととても安心するようです。

( 2005年6月14日 撮影 )



・2005年6月13日    120ヶ所のHPの整理作業
           

 訪城した120ヶ所ごとのページの全てにカウンターを設定しました。ついでにアクセス制御をつけ解析機能も付加しましたが、元来タグの書式が統一されていないので、作業が捗らず丸一日を消費しました。今まではカウンターのあるものとないもの、カウンターの機能が異なるものなど訪城先によりまちまちでしたが、とりあえず統一化を図ることができました。しかし、それぞれのHP自体の見栄えの違いについては簡単に直せるものではなく頭を抱えつつも、なるべく気にしないようにしています(^^;
 子猫は未だ2匹が残っていますが、部屋に入るとベランダの方から母ネコのあとにくっついて「なんだ、なんだ」というような顔をして一列になってやって来ます。そのうちの一匹は動作がものすごく速くなり抱き上げるのに一苦労するようになりました。もう一匹の方は、近くまで寄ってきて構ってくれと言わんばかりの仕草をしますので、暫く自分の右手の人差し指をおもちゃにさせておきました。

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・2005年6月11日    2匹の子猫とお別れ
           

 娘に同行して、「いたずら好きの三毛」と「おとなしい行水好き」の2匹を新座市、所沢市方面にそれぞれ送り届けました。いたずら好きの方は嫌がりもせずすんなりと離れていきましたが、行水好きの方は娘のTシャツに最後までしがみついて離れようとはしませんでした。ネコにもいろいろと個性があるようですが、それぞれ短い間でしたが精一杯愛嬌を振りまいてくれたように思います。初めは馴れない家と人に囲まれて緊張するかもしれませんが、飼い猫として幸せに一生を全うしてくれればと願うばかりです。
 夕暮れ時の帰りの車内では娘も暫くは寡黙となり、Jポップの女性ボーカルの歌が静かにカーステレオから流れていました。

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■普段は爪を立てるようなことは殆どありませんが、どうしても娘にしがみついてなかなか離れなかった子。

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月10日    
           

 からだが一番小さいこともあり、いつも一匹だけでぽつんとしていることが多いように思いました。兄妹の仲でも一番母ネコによく似ています。1ヶ月ほど前に目ヤニで目が開かなくなり、ぬるま湯で行水をさせるついでに目ヤニをふき取ってあげたことを思い出しました。
 さて、そろそろお別れなので、今から最後の行水をさせようと思っていますが、かなりの怖がりで結構手こずります。5匹ともそれぞれ特徴のあるかわいい子猫たちでしたが...

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■ちょっと見ただけでは性別が分からず、動物病院で見てもらった結果、間違いなく一匹だけの女の子です。

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月9日    いたずら好きの子
           

 顔つきを見ればにすぐに分かりますがいたずら好きで、時々爪を立てるのが欠点です。5匹の中でも一番体が大きくて頑丈な雄ネコですので喧嘩はかなり強そうです。
 ちなみに後日登場予定の一回り体の小さい一匹だけが雌ネコで、母ネコのポミの小さいときによく似ています。同じ日に生まれていても、この写真のネコに比べると半分ぐらいの体重しかありません。
 よく考えてみるとこの猫たちが一生を終えるのと自分の一生の終わりが、ことによると同じくらいかもしれないようです。そのように思うとやや複雑な気分になってきました。

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■運動能力は一番ありそうです。

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月8日    ユニークな面立ちの子
           

 生まれてきたときは、ほぼ仮死状態だったそうです。娘が頭の方を下にして軽くたたいているうちちに呼吸を始めた子なので、きちんと育つかどうか大変心配されました。しかし、ご覧の通り立派に大きくなりました。面立ちに少し特徴があるので貰い手が見つかるかどうか心配されましたが、予定では明日川越の方まで送り届けることになっているようです。
 この子が見かけによらずに、性格的には一番温和で行水も嫌いではなさそうで、満足そうに気持ち良さそうな顔をして背中を流されていました。もっと構ってあげればよかったと後悔を...

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■風呂好きで大人しいやさしい性格です。

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月7日    子猫の丸洗い
           

 ここの所毎日一匹ずつですが、シャンプー洗面台で子猫たちを丸洗いしています。どの子もお湯をかけられるのは嫌いなようですが、2、3分もあれば済むので子猫がパニックになる前に終了します。丸洗いしたあとは、不要になったバスタオルの切れ端にくるんで暫くよく乾かしますが、そのときの子猫の表情は表現しがたい愛らしさを感じます。
 連れて行くときには心配そうな表情をしていた母ネコも、戻ってくると安心したように子猫の体を舐めてやります。あと2日もすると一匹ずつお別れになるのですが、どちらかというと子猫よりも母猫の方が心配です。

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■今度は間違いなく別の子です。

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月6日    デシカメプリント
           

 一昨日撮影した子猫たちの写真をデジカメプリントすることになり、近所の「カメラのキムラ」へ行って1枚37円で2枚ずつ、合計12枚分のプリンをして百円ショップで購入した額に収めました。デジカメを使い始めたのは去年の8月ですが、店頭でプリントするのは初体験なので機械の前でウロウロしていたら、店員さんがすぐに丁寧に教えてくれました。フォトショップを使って弄繰り回すよりも、時間の節約にもなり却って簡単でよいかもしれません。

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■写真をHPにUPしてから気がついたのですが、昨日のと同じ子だったようです(^^;

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月5日    まん丸の瞳で
           

 昨日子猫たちのお別れの記念撮影を挙行。今週中に逐次貰われて行く予定。今までは、「なごなご」「みぃーみぃー」と賑やかだったのが母ネコのポミだけになってしまう。娘も寂しいというが、親父もかなり寂しい(^^;
 毎日様子を見ていたわけでもなく、3日に一度ぐらいのご対面ではあったものの、半ば永久に会えなくなる子もいるのでしっかりと撮影したつもりが、なかなか云うことを聞いてはくれず...

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■このまん丸の瞳で見つめられると...歳のせいで涙もろく...

( 2005年6月4日 撮影 )



・2005年6月4日    
           

 天候が不安定という予報が出ていたのと、また膝の調子がよくないので自宅でせっせとHPの更新をするはずが、資料に目を通している最中に爆睡状態に突入し、結局1ヶ所だけしか整理できませんでした。植物の画像は20種類以上溜まっているし、訪城した場所もあと6ヶ所も未整理だし...
 

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■本庄城の北側の元小山川沿いにの復元?された石垣の上に咲いていた「マツバギク」。「マツバボタン」と葉の様子がよく似ています。ツルナ科の半耐寒性多年草で石垣に垂れ下がる姿が似合います。別名を「サボテンギク」ともいうそうです。

( 2005年5月25日 撮影 )



・2005年6月2日    
           

 子猫たちの様子を見に行ったら、三匹はタオルを敷いた籠の中に丸まって寝ていましたが、残りの2匹がなかなか姿を現しません。暫く待っているとやっと1匹は物陰から姿を現し、一歩一歩恐る恐るこちらへ近づいてきましたが、もう一匹の一番からだの大きい子が最後まで姿を現しませんでした。そろそろ、生き別れの時が近づいているので、きちんとした全員集合の記念写真を撮影しようと思うのですが数が揃わないことには...(^^; 
 とうとう、家内には内緒で杖を購入しました。伸縮式の簡易なものですけど。以前から膝の状態のよくない時など、車の乗り降りの時だけでもあったほうがいいとは思っていたのですが。常時必要ということではないのですが、痛み出したときなどに近くにあるとかなり便利なので。とうとう、そういう年齢になってしまったようですが、早いか遅いかの違いだけと割り切ることに。したがって、杖を突いた怪しい初老男の徘徊という按配で埼玉の県北地域の城跡に出没するということになりそうです。

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■深谷上杉氏の始祖とされる上杉憲英の墓石(深谷市国済寺)。
( 2005年5月25日 撮影 )


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