・2005年6月27日 深谷城を避けて深谷市内の館跡めぐり |
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別にこれといって理由はないのですが、深谷城を避けてそれ以外の深谷市内の城館跡をウロウロとしてきました。夕方からはところにより雨がぱらつくという天気予報も出ているようでしたので、とりあえず5か所程度回れればというような目標設定を。
凸人見氏館
写真などで見る限りこの季節の訪城には余り向いていないようにも思ったのですが、北側の二重土塁の間の空堀もありがたいことに除草等が行われているようでお蔭でしっかりと確認できます。また西側の竹林の中には想像以上に規模の大きな空堀も残されていました。問題は次の目標に向おうとして時に元の道をそのまま戻ればよかったものを、成り行きでどうにかなるだろうといい加減に道をとったところ、暫しの間方向を失って20分ほどタイムロスしました。おまけに近くの人見氏菩提寺の一乗寺の入口が分からず、周辺を更にぐるっと一周...自宅から深谷市内まで道路地図も確認しないで来れるようにはなったものの、生来の方向音痴は改善されていないようです。
館跡自体は北側に水田を望む台地上に所在しますが、南側は平坦地であり全く自然の地形の有利性がなく、武士の館を引き継いでいるとはいえかなり不利な立地条件のように思えます。また、城館の立地条件としてはこちらよりもはるかに北側の水田を挟んで反対側に所在する丘陵の方が恵まれているように思えました。
凸秋元氏館
事前に仕入れた情報によると目印は大きなダイヤ建設の高層マンションの近くで、住宅地の中に小さなロータリーがあって...何のことはない数日前に、夕食に蕎麦を食べようとして目前を通過した場所でした。確かに何か書いてあったような気もしましたが、行く蕎麦屋が準備中だらけでイライラしていたもので全く目に入っていなかったわけです。
さて、ロータリーの中には昭和30年代に建設された懐かしい政治家の方々の名前が裏側に刻まれた大きな館跡の石碑と立派な説明版が所在しています。これぐらいあっけない訪城だと確かに数は稼げますが、本当にこれでいいのかと思ったりします。地形的には深谷城の南約1.5kmに位置し南北を唐沢川と下唐沢川の流れに挟まれた微高地に所在していますので、人見氏館と共に深谷上杉氏の本拠の深谷城の南方側をガードする支城として機能していたのかもしれません。
(^^)昼食
いつもは車を停めさせてもらうこともあって、当地のコンビニで済ませることが多いのですが、たまには普通の食事をしようと、最近蕎麦を食べることに執着し始めたこともあり、前回準備中の店構えの大きな蕎麦屋へ。アジサイの花もそろそろピークを過ぎ始めてきたようですが、この店の駐車場の脇のアジサイはまだまだ十分に観賞できました。さて、肝心の蕎麦。一人客の「もりそば400円」では申し訳ないので「ざる蕎麦500円」と「ネギ天400円」を注文。蕎麦自体でいえば未だ取入れが終わったばかりで国産のそば粉はもっとも新鮮味が薄れる時期らしいのですが、「俄か蕎麦喰い」にそんな微妙な味の違いなどが分かるはずもなく、幾分そば粉の含有量が少ないようにも思えましたがまずまずといったところ。ところが、おかずに頼んだ「ネギ天」のボリュームの半端でないこと。直径にして12センチ以上はありそうな塊が4枚もあり、その具が全てネギ。蕎麦の薬味もネギ。考えたらここは深谷。深谷といえば「深谷ネギ」なので、地元の特産ですが、これほどの量が出てくるとは思わず、どう見ても2人前から3人前相当。年代的に食べ物は残さない世代なので、最後は「蕎麦をおかずにしてネギ天を食べ続け」何とか完食に成功。暫くは薬味のネギも見たくない状況に陥りました(^^;
凸大沼弾正忠館
多分何も残されてはいないだろうと思っていましたが、よく見ると館跡とされる西蔵寺の周辺には堀跡と思われる窪みが方形で残されています。当時の様子をどこまで伝えているものかは全く分かりませんが、東西南北全ての方角について残っているようで、叢生する雑草でよくは見えませんでしたが西側の墓地との境部分にもしっかりと確認できました。お寺の方は現在どうやら無住の様子で、どちらかというとやや寂れた佇まいを見せていました。
凸曲田城
深谷上杉氏の重臣である岡谷氏の居城の一つであるらしいのですが、城跡とされる曹洞宗皎心寺の周辺には遺構らしきものは見ることはできませんでした。おまけに葬儀の準備のため境内は慌しく関係者の方々が動き回り、周辺と山門の辺りを撮影して退去しました。
凸内ヶ島氏館
永光寺が館跡とされていますが、深谷市が設置した指定文化財の標柱などのほかには館跡であったことを示すようなものはなく、こちらのお寺も現在無住のようで広い境内にはあちこちに夏草が蔓延り、通路には蜘蛛の巣が張られて全く人気を感じさせない環境でした。
凸伝幡羅太郎館
伝承のみで歴史的な背景が殆ど分からないようですので、まだ時間に余裕もあったのでちょっと立寄ることに。先月皿沼城に向うときに何かありそうな地形をしていると感じていた場所です。正確に言えば予感があったのは楡神社の方ですが、市の文化財指定がされているといっても全く何の遺構も確認できない所もあったので、正直全く期待してはいませんでした。 地図を頼りに見当をつけていっては見たものの細い路地を辿っていくと農家の裏側の「やぶ蚊」がうようよしている所にしか行き当たらず、あきらめて戻ろうかとも思いましたが、ビニールハウスの間のもう一本の細い路地を南の方に100mほど進んでいくとフェンスによって仕切られた屋敷林の道路沿いに沿って立派な高さ2mから2.5mの土塁が延長にして約30メートルほど。更に南に進んでいくとまた30m以上の土塁が続き、その先は土塁が東側に折れると共に何と幅10m前後の空堀が! 空堀から土塁までの高さは最大3m以上もあり西側と南側を土塁に囲まれた場所は郭の形態を残しているように見えました。土塁の高さは内側でも1m以上の高さを有していて、これほどの遺構に出会えるとは全く予想せず、本日最大の収穫ということに。「やぶ蚊」の攻撃を受け、蒸し暑い中を足を引きずりながらヨタヨタと這いずり回った甲斐があったというものです。
ここまでで合計6ヶ所と当初の目標を達成し、併せて両膝の具合がかなり微妙な状態なので、これ以上は無理をせず午後3時30分過ぎに帰路に着きました。それにしても特大ネギ天4個には参りました...自分でも吐き出す息が臭くて(^^;
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