■城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載あり
本書によればこの城郭の来歴について「あるときは那波氏の持ちとなり、あるときは由良氏に攻撃され、また謙信(※上杉謙信の越山を指す)に降り、信玄(※武田信玄の上州侵攻)に投じ、氏康(※北条氏康による天文期の上州侵攻)の蹂躙するところとなり、勝頼に屈し(※越相同盟期における武田勝頼による上州東部への侵攻)、戦国の頃を波瀾のうちにもまれ、はては天正18年(1590)小田原(※小田原北条氏/後北条氏)とともに滅んだのである」との記載があるが、これらについてはあくまでも周囲の歴史的背景から想定した内容であることに留意する必要があるものと考えられる。
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)掲載あり、縄張図あり
赤堀氏による永禄年間初期の築城で赤堀城の支城としているが、実際の城址の規模については余り大差は見られない。
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会)掲載あり
■歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)磯町の項に直接関連するような記述は確認できない
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「群馬県史資料編5中世1」(1978/群馬県)
「群馬県史資料編6中世2」(1984/群馬県)「赤堀文書」を収録
「前橋市史第1巻」(1971/前橋市)
「伊勢崎市史通史編1原始古代中世」(1987/伊勢崎市)
「伊勢崎市文化財ハンドブック」(2014/伊勢崎市教育委員会)
「赤堀町誌」(2004/赤堀町)南北朝期から戦国時代末期までの赤堀氏に関する動向に関する記述が詳しい。
■史料、地誌、軍記物
なし
■その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もある。
伊勢崎市公式HPなど