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2017年11月29日のブログ 凸阿岨城 凸森下城 凸糸井の打出 凸貝野瀬の砦 |
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群馬県利根郡昭和村大字川額字永井、渋川市赤城町大字棚下 ※当該所在地については昭和村あるいは渋川市(旧赤城村)としているものがあるが、城域は両者の境界線上に所在している。各地図情報などを参照した限りでは、概ね主郭部については渋川市に、二の郭、三の郭は昭和村にそれぞれ属しているものと思われる。 |
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郭、土塁、小口、横堀ほか |
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1981年5月6日 群馬県史跡指定、城址碑、説明板あり |
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2017年11月29日 8時25分から9時55分 |
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( 2017年11月29日 撮影 ) 戦後間もない時期に当時の在日米軍により撮影されたもので、やや方位には誤差を生じてはいるように思われますがが、二の郭を中心とした土塁と横堀などの縄張りが確認できます。なお、赤枠の中心部が二の郭(折れのついた土塁と横堀の位置関係が明瞭)でその左側が主郭(土塁、横堀のほかに東側の喰違い虎口も確認できます)、同右側が三の郭(南辺の土塁と横堀が明瞭)に相当するようです。
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林) ⇒ 地図上の位置を確認するには役立つが、解説部分は概して簡略である。 「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社) ⇒ 基本的な資料ではあるが、近年に刊行された資料も参照すべきであろう。 「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「関東の名城を歩く 北関東編」(2011/吉川弘文館) ⇒ 出版年も比較的新しく縄張図が掲載されている。 「ぐんまの城30選」(2016/上毛新聞社) ⇒ この時点では最も出版年が新しく縄張図も掲載され、前項の資料と共に併読し ておくと役立つ。 「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版) ⇒ 所在地住所表記にやや誤りがあり、情報もやや古くなっている。 「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館) ■郷土史・歴史 「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社) 「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社) 「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社) 「群馬県の歴史」(1997/山川出版社) 「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社) 「両毛と上州諸街道」(2002/吉川弘文館) 「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店) ⇒ 棚下村、川額村の項が参考となる。 ■史料 「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会) ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収 「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院) ⇒ 「加沢記」に関する解説が掲載されている。 ■データベースほか 「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。 「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もある。 「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクション ※ダウンロード可能) ⇒この長井坂城に関しては、天正年間の後半に真田氏一族である沼田城代矢沢氏と後北条氏側の抗争の舞台のひとつとして登場するが、両者抗争の末期には事態は概ね兵力に優る後北条氏側の優位に推移し、後の名胡桃城奪取に関わったとされる猪俣邦憲が城番を務めていたともいわれているが、真田氏側の立場に基づく軍記という性格上から矢沢氏の武勇を脚色する傾向が感じられ、その全てを史実として受け取ることは難しい部分があるようにも思われる。 「昭和村HP」 ![]() ・2017年12月29日 HPアップ
・2019年3月2日 chrome対応のためタグ等を修正しました。 |
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